【随想】文化人類学的生き方のすすめ
ちょうど今から3年前、クリスマスをテーマにこのような記事を書きました。
それから世界情勢も日本社会も目まぐるしく変化し……と言いたいところですが、実質的には悲惨な出来事が増えただけのような気がします。果たして、人類は賢明な方向へいくらかでも進んだのでしょうか?
アフガニスタンで中村哲医師が銃弾に倒れたニュースはまだ記憶に新しく、ともすれば、宗教間の争いや利害関係が生んだ出来事として捉えられてしまっている節もありますが、それはキリスト者でもあった中村医師の望むような解釈ではないように思えます。
中村医師の活動を追ったドキュメンタリー番組「武器ではなく 命の水を」では、極めて文化人類学的なアプローチで現地の人々と接し、彼らの置かれた状況やニーズを洗い出していく真摯な姿が描かれていました。
いわゆるポストモダン時代に派生した人類学の守備範囲は、民族だけに限りません。例えばここで「民族」という言葉を、「ジェンダー」などに置き換えても十分通じるでしょう。さらに、サント=ブーブの読書論の中の一節から引用します。
文化人類学のフィールドワークで必要とされるのは、語学力やコミュニケーション能力もさることながら、地道に理解しようと試みる真摯な姿勢と不断の努力です。そして、その根底にあるのは、人間としての他者に対する想像力と共感にほかなりません。
人間が生きる上で最も貴いはずの「他者への想像力と共感」が、いつしか現代社会で、“忖度”や“KY(空気を読む)”といった軽々しい言葉で表現されるようになったことを危惧するばかりです。
文化人類学的な生き方は、現代社会に蔓延する短絡的な言動に対し、ある一つの“防波堤"として提示できるのではないでしょうか。
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