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【随想】結局、女の敵は男ってこと? ―映画『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』が提起した歴史の新解釈―

世にもドラマティックな女の戦いを、現代に再現する意義

今をときめくアイルランドの女優、シアーシャ・ローナン(Saoirse Ronan)にどハマリして2年目。昨年日本で公開された映画『アンモナイトの目覚め(原題:Ammonite)』(2020年)を観て以来、彼女が出演している作品という作品を見まくってきました。

そして遅ればせながら、今回観たのが『ふたりの女王 メアリーとエリザベス(原題:Mary Queen of Scots)』(2018年)。シアーシャがスコットランド女王のメアリー1世を、そしてオーストラリア出身の女優、マーゴット・ロビー(Margot Robbie)がイングランド女王のエリザベス1世を好演しています。

そういえば、1998年の映画『エリザベス(原題:Elizabeth)』でも同じオーストラリア出身のケイト・ブランシェットが主演していますから、何か因縁があったのか、それとも単なる話題作りか……。いやいや、演劇の本場である英国で長らく舞台演出を手掛けてきたジョージー・ルーク(Josie Rourke)の目は、決して節穴ではない。シアーシャもマーゴットも、格調高いイギリス英語を完璧に使いこなし、女王の威厳に違わない貫禄十分の演技でした。ちなみに本作品が、映画監督としては彼女(ジョージー)のデビュー作となります。

原作として、ケンブリッジ大学特別研究員のジョン・ガイ(John Guy)が著した『Queen of Scots: the True Life of Mary Stuart』がベースとなっており、本著は2004年に『My Heart Is My Own: The Life of Mary Queen of Scots』のタイトルで、その斬新な歴史的解釈から「ウィットブレッド賞(2004 Whitbread Awards)」の伝記部門で受賞しました。

"Mary Queen of Scots (Tie-In): The True Life of Mary Stuart"
written by John Guy, Fletcher & Company

言うまでもなく、イギリス史上最も劇的といえる(筆者の独断と偏見に満ちた感想)、同時代に生きた二人の女王が豪快な立ち回りを見せる豪華なダブル主演の歴史悲劇。これにインスピレーションを得て、数多くの小説や戯曲の元ネタとなり、また少なくとも5回は映画化されています。2016年から、NHK BSプレミアム枠で『クイーン・メアリー 愛と欲望の王宮(原題:REIGN)』という訳の分からない邦題のドラマも放映されていましたね。はい、全話視聴完了。

蛇足になるけれど、このアメリカ版テレビドラマ、ツッコミどころ満載で、むしろ笑いのネタとして見るのが正解。「NHKの大河ドラマで歴史を学ぼう」という暴挙並みに、歴史のお勉強にはなりません、絶対。

ケナとかいうラテン系美女の侍女が、スキンヘッドで髭の濃いおっさんことアンリ2世とデキちゃったあたりは、まだご愛敬なんだけれど(史実では、メアリーのおばで養育係でもあったフレミング卿夫人がアンリ2世との庶子を設けたらしい)、侍女の分際でローラが廃位にされた意気消沈のフランソワを慰めるために一夜ヤっちゃった挙句、世継ぎが生まれて、ご主人様のメアリーとはビミョーな三角関係になっちゃったとか(そもそもフランソワ2世に子はいなかった)、さすがは“王室のゴシップガール”だわ……(唖然)。いや、それはそれで楽しいんですよ。大して中身はないけれど、それなりの時代風セットや衣装で目の保養にはなるという点で、これまたトンデモ史劇の『ブリジャートン家』並みのエンターテインメントとして、大いに楽しんじゃおう!

劇中の行軍シーンで出てきそうな、スコットランドの高地(Highlands)

そこへ行くと、ルーク監督による「二人の女王」の映画はどうでしょうか。もちろん脚色は多かれ少なかれありますが、“嘘のつき方”が違う。何よりもまず、キャスティングがユニークです。当時の時代背景からして到底あり得なかったとしても、アジア系やアフリカ系の俳優を起用したのは、単なる現代的ポリティカルコレクトネスというよりも、ルーク監督いわく「その役を演じるに足る演技力があるかどうか」という観点からだったとか。これはおそらく、舞台作品に多い配役の仕方ですね。ソープオペラ的なエンターテインメントとは一線を画し、観客を楽しませるためだけの安易な嘘はつかない、というスタンスが貫かれているからこそ、登場人物の人間性を掘り下げることに成功しているのではないか思います。

中でも一番印象的なのは、エリザベスが信頼を寄せる侍女「ハードウィックのベス(Bess of Hardwick)」として、陰ながら存在感のある役柄を担うジェンマ・チャン(Gemma Chan)。昨年公開されるや爆発的な話題を呼んだ、クロエ・ジャオ監督の新作『エターナルズ』でセルシ役を演じたことが記憶に新しいですが、『エターナルズ』ですっかり彼女のファンになってしまった筆者としては、アジア系だとか史実に忠実でないとか、そういう些末な衒学的考証なんかどうでもよく(笑)、清楚で抑制の利いた彼女の立ち居振る舞いに、ひたすらメロメロになっていたのでした。

もちろん、映画公開時には厳しい批評も決して少なくなく、映画祭では衣装デザイン賞やメイクアップ&ヘアスタイリング賞以外での受賞・ノミネートにはほとんど届きませんでした。マーゴットの助演女優賞ノミネートはちらほらあったものの、“賞レースの常連”の異名を持つシアーシャには珍しく、本作ではノミネート歴もなし。なんで?(シアーシャ推しには不満なのだ)

いいんだもん、この作品のおかげで、シアーシャは異母兄役のジェームズ・マッカードル(James McArdle)と共演を果たし、その後の『アンモナイトの目覚め』ではマーチソン夫妻を演じ、さらにはAlmeida Theatreでの舞台『The Tragedy of Macbeth』でマクベス夫妻(夫はガチのスコットランド訛り、妻はガチのアイルランド訛りを喋るという異色の演出)を熱演したのだから。今後も、この名コンビには目が離せません。

閑話休題。本作公開当時に「The New York Times」の映画評論家、A. O. スコットが、次のような批評を書いています。

History has generally treated Mary as a villain, and “Mary Queen of Scots” seeks both to revise this judgment and to examine its sources in misogyny, nationalism and bigotry.

【大意】
歴史上で、メアリーはほとんどの場合、悪役として描かれてきたが、映画『Mary Queen of Scots』ではこの見方を捉え直し、そのメアリー像が形作られた源流を、ミソジニー(女性蔑視)やナショナリズム、偏狭な敵対感といったものの中に見て検証しようとしている。

‘Mary Queen of Scots’ Review: Sexy, Spirited and Almost Convincing

“一国の長”とは名ばかりで、絶えず男性優位社会の渦中に揉まれ、概念的にも、肉体的にも、精神的にも「女性性」に苦しめられた二人の才女は、いったいどのような思いで、それぞれの運命を生きたのだろうか――。ルーク監督の意図は、必ずしも忠実な歴史劇を描くことではなく、むしろそういった現代にも十分通じるテーマを惹起させることにあったと考えられます。

メアリー1世(スコットランド女王)/Mary Stuart
エリザベス1世(イングランド女王)/Elizabeth I


女社長はつらいよ:運命に引き裂かれた二人の従姉妹

さまざまな視点で独自の解釈が新鮮な本作ですが、やはり何といっても見どころは、二人の女王がみすぼらしい小屋で密会するシーンでしょう。史実として現実に会ったかどうかは、この際、問題ではありません。ある意味でこの邂逅は、ライバル同士としてお互いを強烈に意識していた二人が交わす、精神的な会話ともいえるからです。

それでは、シアーシャとマーゴットによる、見事な掛け合いからどうぞ。

【原語のセリフ(抜粋)】
Mary: "I have been abandoned by so many. I am utterly alone."
Elizabeth: "As am I. Alone."

Mary: "Together we could conquer all of those who doubt us. Do not play into their hands. Our enmity is precisely what they hope for. I know your heart has more within it than the men who counsel you."
Elizabeth: "I am more man than woman now. The throne has made me so. But I have no enmity with you."

Elizabeth: "I was jealous. Your beauty. Your bravery. Your motherhood. You seem to surpass me in every way. But now I see there is no cause for envy. Your gifts.….. are your downfall."

from MARY QUEEN OF SCOTS (2018) - FULL TRANSCRIPT

【日本語の字幕(同上)】
メアリー:「私は皆に見捨てられた。独りぼっちです」
エリザベス:「私もよ。たった独り……」

メアリー:「一緒なら男達に勝てる。私達の敵対こそ、彼らの望みなのだから。あなたの心は男達より温かい」
エリザベス:「私はもはや男なの。王座がそうさせた。でも敵対など望んでいない」

エリザベス:「私は妬ましかった。あなたの美しさ、大胆さ、子どもがいること――私はあらゆる点で勝てない。だけどもう妬む理由はない。あなたの美点が、あなたを失脚させた」

UNEXT版より

字幕版はかなり意訳されていますね。直接的に「men(=男達)」とは明言していませんが、つまり“従わぬ臣下=男達”に裏切られたことには変わりない。まあ、字幕は限られた文字数の中で、いかに本質を伝えられるかが勝負ですから、かなり健闘した方なのではないでしょうか。

現代でいえば、周りが自分を引きずり降ろそうとする、生き馬の目を抜くような厳しい男社会で、女社長をやってるわけですからね。しかも一国の長。そのストレスたるや、一般庶民には想像を絶するものがあります。そして女社長同士だからこそ、本人達にしか分からない悩みや苦労も、お互いに共感できたのに違いありません。何よりも彼女達は従姉妹ですから、いくら敵国とはいえ、政治の駆け引きと人情の狭間で、揺れ動くものがあったとしても不思議ではないでしょう。現に、エリザベスは直前まで、メアリーの処刑執行を躊躇し続けたのでした。

エリザベス1世が署名したメアリー1世に対する死刑執行令状

「あなたの美点が、あなたを失脚させた」――いやぁ~なんともシビれるセリフですね! ちょっと自分も言ってみたい気がする……(一体誰に?)。ともあれ、二人の時代に関していえば、政治的に軍配が上がったのはエリザベスの方でした。失脚後、イングランドを転々としながら幽閉されていたメアリーは、エリザベス暗殺に関わったかどで有罪・死刑を宣告され、断頭台の露と消えます。享年44歳。他方、9歳年上のエリザベスはさらに長生きして、当時としてはかなり長寿といえる69歳の天寿を全うしました。彼女の統治したエリザベス朝は、イングランド黄金期とも称えられるほどの繁栄を築いた時代。間違いなく成功者と呼べる、女社長です。

それで、その後の歴史はどうなったのか? 子孫を残さなかったエリザベスの死により、テューダー朝が絶えた一方で、メアリーからステュアート朝を継いだ息子は、スコットランド王のジェームズ6世、そしてイングランド王のジェームズ1世として両国の王位を継承し、このとき初めて「同君連合」となったのでした。それが後世に、さらなる歴史の紆余曲折を経て、あの長ったらしい名前となるのです。はい、地理の時間に習った、あれです。「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)」――面倒くさいから、なんとなくイギリスのことを「U.K.」と短縮しちゃうのも、ここから来ているんですね。そして現イギリスの王室に至るまで、メアリーの直系子孫なのだそうです(王室ウォッチャーじゃないから、詳細はよく分からんけど)。

すると、いまだに王室のDNAが引き継がれていることを鑑みれば、長い目で見て軍配が上がったのは、やはりメアリーなのか? エリザベスの半生が「女性社長一代記」だったとするなら、メアリーはとにかく会社の存続に腐心した、やんごとなき社長令嬢といえそうです(もっとも、彼女は0歳にして即位済み)。双方、なんとも波瀾万丈でドラマティックな人生だこと。そりゃ何度も映画化されるはずだわー(納得)。

めでたく世継ぎを授かった母とはいえ、最初の夫フランソワ2世の夭折をはじめ、再婚相手のダーンリー卿とは冷えた仲で性生活も束の間、そして三番目の夫となったボスウェル伯とは(映画の中で描かれている限り)ほとんど誘拐に近い形で結婚を迫られたのですから、メアリーの女性としての喜びは薄かったかもしれません。おまけに亡命の末、息子のジェームズとも長らく生き別れ、彼はメアリーの処刑当日にも姿を現さなかったのですから、ちょっと泣くわ……。他方、既婚者の寵臣ロバート・ダドリーと長らく愛人関係にあったエリザベスは、真剣に彼との結婚を考えた時期があったものの、周囲からの反対を理由に断念しています。あー、結婚ってめんどくさ!

要するに、二人の関係は因縁のライバルではあっても、勝ち負けで決まるような単純な敵同士ではなかった。エリザベスも自身に世継ぎがないのを承知の上で、「自分に歯向かわず、おとなしくしてりゃあ、ジェームズのイングランド王位継承権は認める」と明言しているわけですから、なまじ“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”みたいな存在だったとも思えないのです。

しかしまあ、「女は男の肋骨から作られた」みたいな誤訳(※)を鵜呑みにして信じて疑わなかった男尊女卑ゴリゴリの時代に、二人の女王様とも大変ご苦労様でした、というほかありません。21世紀になっても、そこかしこで、まだまだ女性達の闘いは続く……やれやれ。


※『旧約聖書』のうち「創世記」の一部は、メソポタミア神話が源流といわれているが、イヴがアダムの肋骨から作られたという「創世記」のエピソードについては、“肋骨の女”に相当するシュメール語「Nin-Ti」(Ninは「女」の意)が、本来なら「肋骨の女」ではなく「生命の女」と訳されるべきだったことが分かっている。

「歴史上最大の誤訳  -女は男の肋骨からつくられた-」より

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