エッセイ:スペース・マウンテンと悟り(あるいは、恋の教訓について)

季節は秋のはじめ。残暑も終り、涼しくなったデート日和のこと。当時、ぼくは大学二年生であった。
付き合いだしたばかりの彼女がディズニーランド(以下、TDL)へ行きたいと言うから、前日から夜行バスに乗り込み、われわれは東京に向かったのだった。
まず、ぼくの失敗は準備不足にあった。
彼女のほうはTDL本を丹念に読み込み、付箋まで貼り、デートの当日までにしっかりと旅行の準備を整えていたのであるが(ちなみに、旅券も宿もすべて彼女が手配していた)ぼくときたら浮かれていただけで、ほとんど旅支度をしていなかったのである。夜行バスの待ち合わせにもリュックサック1つ背負って現れ、数泊の旅程であったが、まるで大学に講義でも受けに行くぐらいの軽装であったという。これでまず顰蹙を買うが、楽しむ心は人一倍であったから許されると奢った気分でヘラヘラしていた。やがてこの準備不足が、TDLデートを地獄の戦場に変えてしまうとも知らずに。
さて、夜行バスで旅行をすると朝が早い。開園前にはTDLの駐車場に到着し、門のまえに並んでいた。が、これが凍えるほど寒いのである。それもその筈、ぼくはまだ夏の恰好をしていて、すこし肌寒くなっていることは理解していたものの、オシャレは我慢だと謎の言い訳をし、薄手のカーディガンの下は半袖のシャツ1まい、ボトムスは膝丈という、まるで季節感を知らない人のファッションをしていた。足から冷えた。朝イチの東京の気温はグッと冷え込んでいて、「うう、寒い寒い」と震えながら腕を擦っているような具合で、暖をとるべく彼女に抱きつくなどし、「もー、仕方ないんだからぁ」と面倒見のよい彼女に呆れられながら、まあ、それはそれでデートらしい雰囲気であったと言えなくもない。だが、ここで腹を冷やしたことがぼくを致命的な状況に追い込んでいく。
序盤はよかった。よく晴れた日で、開園後は気温も徐々に上がり、デートによって身も心もぬくもり、練りに練られた彼女のTDL踏破プランを果敢に楽しむことができていた。それは、まさしく青春と呼ぶべき。
ピンチはスペース・マウンテンの待機列で発生する。「次はあれ行こー!」と、彼女に引率されるまま入った列はなんと2時間待ち。それでも、付き合いたてのわれわれには苦ではない筈だった。恋愛のなかでは何を話しても楽しく、擽ったいくらい幸せで、いつまでも笑っていられる気がした。とりわけ、バカバカしい話なんかは無限にする自信もあった。
しかし、ここで腹がぶっ壊れる。早朝の寒さが祟った。読者らは知っているだろうか? スペース・マウンテンの待機列は外延から渦巻くように中心へと向かっていく。ちょうど一時間ほど経った頃で、われわれは既に渦のまんなか近くにいたのだった。逃げ場なし。この便意をどうしたものか。絶対絶命のシチュエーションに、はやくも冷や汗が。
しばらくは迷っていた。優先すべきはデートではないか。彼女はこんなにも楽しそうなのに、ぼくは(汚い)水を差すのか。が、どうも我慢できそうにない腹具合であった。便意を催したと告白するのも恰好悪いが、しかし漏らしてしまってはすべてが終わる。デートが終わるどころか破局の事態にもなるだろう。二人の関係は壊れ、更にぼくの尊厳も失われる。デート中に漏らした男としてこれから一生を過ごすことになるのだ。それは、あまりに暗い未来と想われた。
「ごめん。ちょっとトイレに行きたくなっちゃたんだけど。行ってきていい?」
「えっ、私をここに置いてくとか無いんだけど」
「だよね」
退路を絶たれた瞬間であった。付き合いたてということもあり、嫌われたくないという心理も働いてぼくは愚かにも戦う覚悟を決める。確かに、ものすごい人混みなのである。突然の申し出に、彼女のほうも混乱してしまったのかもしれない。あるいは、ぼくの腹具合を軽く見積もっていたのか。歳を食ったいまなら絶対に我慢などせず図太く切り抜けるが、どうにも当時は若かったのである。そこからは気もそぞろになり、何を話したのかも覚えていない。当然、彼女のほうも不機嫌になってくる。もう、最悪である。
だが、ここで死ぬわけにはいかない。兎に角、全神経を漏らさないことに向けてチューニングした。ここからおよそ1時間、ぼくのお腹は耐えられるのであろうか。不安しかなかった。考えてもみてくれ、これはまったく救いのない無謀な戦いなのだ。地獄の1時間をなんとか無事に耐えきったとして、次に待ち受けているのはスペース・マウンテンという山場も大山場。もはや試練ともいえない、それは処刑の類いと思われた。言葉少なに列にならんでいると、天井のスピーカーからは案内が頻りと聞こえてくる。《スペース・マウンテンは真っ暗な宇宙空間を超光速スピードで上下左右に・・・・・・》云々かんぬん。耐えられるのかよ、こんな腹具合で。列んでいる途中に何カ所かある緑の非常口から脱出することも考えた。だが、彼女はすこし意地になっていて、ぼくも意地になっていた。あるいは、その時点でもはや思考する力が残っていなかったという見方もある。苛酷な苦役のなかで、人は諦め、ただその場を生き延びることだけを考える。ぼくは一人の捕囚であった。ここを切り抜けるしかないんだ。
スペース・マウンテンの順番がやってくる頃には、ほとんど瀕死の体であった。「楽しみだね」と言う彼女に「うん」と青ざめた顔で答える。案内係のすばらしい笑顔も邪悪にみえる。ここまでなんとか耐えきった。なのに、その果てに待っていた運命が、これとは。残酷かよ。世界を呪いたい気持ちでマシンに搭乗する。ここで気を抜けば宇宙空間に汚物が飛び散ることにもなろう。ぼくは虚ろな目をし、最後まで油断するな、と自身に言い聞かせる。
スペース・マウンテンに乗ったことのある人ならわかるが、マシンは出発してすぐ、宇宙の彼方に輝いていている一つの星に向かって、ゆっくりと傾斜を上っていく。無気味なほど静かで真っ暗やみの宇宙。ガタンゴトンと車輪とレールの音だけが響く。ああ死ぬんだ、と思った。絞首の死刑囚が階段をのぼりつめる時こんな心境になるのかもしれない。てっぺんまで上り詰めた後、ガックン、とマシンは奈落へと急降下し、ついに《超光速スピードで上下左右に》という激しいアトラクションが始まった。すべてのカーヴが、スピードが、ふッと無くなる重力が、ぼくにトドメを刺そうとしていた。やつら緩んだ腹ばかりを狙ってきやがる。弱気になった。その仕打ちに、とても耐え切れそうにないと危うく泣きそうになる。もはや我慢の限界か。そして、
ぼくは悟りの境地に至る。そうか、重力に逆らってはいけないんだ。無。完全な無だ。上下左右に振られるままに。からだを強張らせて抵抗するのではなく、流れのままに身を委ねること。網にとらえられない風のように。水に汚されない蓮のように。ぼくはマシンと渾然一体となり、もっと大きくは宇宙との合一化を果たし、その神秘のに包まれて、喜びも苦しみも超越した物体の次元に至り、自由自在の精神となって宇宙空間を超スピードで疾走したのである。周囲がワーとかキャーとか絶叫する中、ぼく一人だけが静寂の底にいて宇宙の意志に触れていた。
気付けばアトラクションは終わっていて、われわれは地球のステーションに戻っていた。とても穏やかな気持ちであった。もちろん、漏らしてもいなかった。どうやらぼくは生き延びたのらしい。「楽しかったね」と言う彼女に「うん」と青ざめた顔で答える。それから無事にトイレへと駆け込んで、安らかに用を足し、事なきを得ましたとさ。めでたし、めでたし。
教訓は、デート(旅行)の準備はちゃんとしましょう、季節にあった服を着ましょう、というその2点にて。各位、気をつけられたし。

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