見出し画像

AI時代に生き残るカメラマンとは

ここ数ヶ月でAI系の話題が急速に沸騰している。
ChatGPTなんて名前をよく聞くようになったのは昨年12月ごろで、そこからたったの数ヶ月で、今では毎日ニュースを目にするほどにまでなっている。

この流行り方は、いわゆるバズキーワードであと数ヶ月でほとぼりも冷めると捉えることもできるが、おそらくそうはならない。
話題に上ることは今ほどではなくなるにしろ、社会における様々な場面において、ChatGPT含めチャットAIとどう付き合うかを考えていかないといけなくなるだろう。

ChatGPTに仕事が取られる!なんて言説はもう既に耳に胼胝ができるほど聞いているだろうが、僕が懸念しているのは趣味までAIに取られてしまわないかということだ。

僕の趣味はカメラである。
技量は素人に毛が生えた程度だが、いっちょ前にそれっぽいことを考えて撮ってはいる。

そんなカメラマンからすると脅威となるAIが現れた。
Stable diffusionである。
このAIにより僕は「カメラで写真を撮る」という趣味を失ってしまうかもしれない。

少し検索すればネット上にはStable diffusionで作成された画像があふれているが、これを見てまず感じたのは、
エロは人を動かす
ということだ。
みごとにエロい画像しかない。

そして、AI技術の発展にも驚いた。
一瞬本物の写真と見間違うほどのクオリティに至っている。
まだ指の造形や背景と体の整合性など課題は残るものの、ぱっと見は本当に遜色がない。
もうあと1年もあれば、「花火大会で浴衣を着て微笑んでいる西野七瀬風美少女」と打ち込めば本物と見まがうばかりの写真が生成できるようになるんじゃないかとまで思われる。

カメラもモデルも、両方なくても自分の求める写真が生成できる時代がもうそこまで近づいている。

では、「指示したイメージ通りの画像を生成してくれるAI」が実現した世の中では、どのような写真がAI産に置き換えられるのだろう。

僕はAIに関しても、写真に関しても素人だが、少し考察してみたい。

まず、世間一般的にAIに置き換えられそうな仕事というのは
「特定作業の繰り返し」が多い仕事というのが定説だが、写真においても似たようなことが起こるだろう。
つまりは、属人性の低い写真はAIに置き換えられるということだ。

言葉を代えて言うと、
被写体自体のブランド価値よりも外見情報に価値がある写真
ということが代替される一つの判断基準になる。
どういうことかは代替されそうな事例を見ていくとなんとなくわかっていただけるだろう。


まず、真っ先にAI産に置き換えられそうなのは
グラビアアイドル市場だ。
なんなら、前述の通り既に置き換わりつつある。

この市場では、グラドル個人のキャラや性格など目に見えない情報はほとんど価値を持たず、顔の可愛さとスタイルの良さ、水着や構図のきわどさなど視覚情報だけで写真の価値が決まる。

そんな市場はまさにAIの得意分野だ。
AIであれば人間にはなかなかいないレベルの顔とスタイルと大胆さを併せ持った仮想の人物を生成できる。
仮想の世界には今のところ人権も法律もないので、めちゃくちゃリアルな人造人間に自身の欲望の限りを尽くすことができるのだ。
もちろん現実味のあるレベルの顔とスタイルの人間も生成できる。

そうなるとどこの馬の骨かも分からない人間がわざわざ服を脱ぐ必要はなくなってしまう。
そのうちグラビアアイドルは姿を消してしまうだろう。


次に置き換えられそうなのは、モデル市場である。
これは例えばアパレルブランドのECサイトの着用モデルや、企業HPのイメージ写真の中に登場するモデルなどだ。

これもまさに、その人である必要が全くない。
着させたい服の写真があれば着用モデルも生成できるだろうし、会社の風景の写真があれば適当な人物を生成してそこに立たせることもできるだろう。

今SNSでモデルを募集してポートレート写真を撮っている趣味カメラマンも、プロンプトを勉強して自分で写真を生成した方が楽だし理想に近づけることに気付く日も近い。

そうするとプロのモデルはおろか、趣味で写真を撮られているモデルも消えてしまうかもしれない。

逆に、代替されなさそうな写真はなんだろうか。
それは上記の逆である「被写体自体のブランド価値」が高い写真と、「写真の写実性が重視される」ような写真だ。

被写体自体のブランド価値が高い写真は、最近巷でよく見る大谷翔平の顔がでかでかと出ている化粧品の広告写真なんかが挙げられる。
あとは過去に癌になったことがあるタレントが起用される保険の広告などもそうだ。
こういった写真はまず代替されないだろう。

写真の写実性が重視される写真は、例えば週刊誌の写真だ。その瞬間その光景に価値があるし偽造が許されないので、AIに代替されることもまずない。
それとあとは、自分の子供の成長過程を写真で残したり、卒業記念に集合写真を撮るといったような、記念写真系もこれに該当するだろう。


ここまでは主に人の写真を撮る人に焦点を当てていたが、無生物の写真を撮るにしても同じことが言える。
その場所・物の物質的情報だけが重要な写真はAIに代替されてしまうだろう。
例えば、どこかも分からない雪景色の幻想的な風景などは、AIでそれっぽいものを作ってしまえば本物の写真と見分けがつかないし、本物の写真である意味もあまりない。
逆に、観光地の広告写真や災害現場の記録写真などは代替されにくい。

これからカメラマンを志す人は、上記のような写真を撮るカメラマンを目指すべきだし、モデルを志すものは自身のブランディングに尽力すべきだ。
ただし、大谷翔平の写真を撮れる人材になるための登竜門的ポジションはかなり減ってしまうだろうし、大谷翔平もモデルになりたくてモデルをしているわけではない。
そう思うと、カメラマンで安定して食っていくには写真館のカメラマンになるのが一番いいだろうし、モデルは目指すものではなく成り行きでなれたらラッキーくらいに考えておいた方がいいだろう。

このように、あらゆる写真がAIに代替されてしまう世界がすぐそこまで迫っている。
僕らはAIの強み弱みを理解し、上手く活用しながら生きなければならない。
ただし、もちろん中にはAIによって仕事を奪われるカメラマンやモデルもいるし、なんなら趣味まで奪われる人もいるかもしれない。

僕の場合もそうだ。
基本的に被写体自体のブランド価値はない写真ばかりを撮っている。
そのうちカメラで写真を撮るという趣味はコストが高すぎるとか言って、AIで写真を生み出すという趣味に移行するかもしれない。

だが、それでもいいと思っている。
この世は諸行無常。
終わりがあれば始まりもある。
ある仕事がなくなっても、別のところでは新しい仕事が発生している。
趣味が奪われても、時間の可処分所得が増えて新しいことを始めやすくなっている。

何事も変化するというのは不変の真理である。
われわれは変化を受け入れ、適応して生きていくしかないのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?