見出し画像

『春の庭』柴崎友香 記憶はどこにあるのだろう

『春の庭(柴崎友香・著)は、取り壊されることが決まっているアパートで暮らす太郎と、アパートの隣に建つ「水色の家」に魅せられた女性を描いた小説です。 (第151回芥川賞受賞作品)

『春の庭』はこんな話

アパート「ビューパレス サエキⅢ」で暮らす太郎は、ある日同じアパートの2階からじっとどこかを見ている女性・西の存在に気づきます。

西とご近所付き合いをするようになった太郎は、1冊の古い写真集を見せられ、その舞台の家こそが隣の水色の家であると告げられます。この家の中が今どうなっているのか、写真集のままなのか、それを確かめたくて家をのぞいたり、周囲をうろついたりしている、という西。

太郎は次第にそんな西の「奇妙な願望」に引き込まれていきます。写真集「春の庭」には、当時CMディレクターだった「牛島タロー」とその妻で小劇団の女優「馬村かいこ」の日常がありました。

2人が住んでいた「水色の家」はすでに他人の手に渡り、今また新たな住人を迎えています。住む人が変わることで、家の中がどんな風に変わったのか、そこにあった日常はどうなったのかー。
太郎は西のそんな思いを理解するようになります。なかでも西が見てみたかったのは、黄緑色のモザイクタイルが貼られた浴室。

新たな住人、森尾実和子と親しくなった西は家に招かれることも増えましたが、さすがに浴室を見る機会はない。

そこで、太郎に協力を頼み、ついにー。

評)記憶はどこにあるのだろう

知らなければ何とも思わない景色があります。景色ってそんなものかもしれません。

それが、なんらかの記憶と結びついてしまうと気になってしょうがなくなる。でも、それが何であるかがわからなくても困ることもないのだけれどー。

この小説にはそんなモチーフがたくさん登場します。

庭の木にできた「エゴノネコアシフシ」や、太郎が見つけた壺のような「トックリバチの巣」

記憶が意味を作るとしたら、記憶が想起されない日常には意味がないのだろうか。いや、そうではないはず。淡々と過ぎていく時間や季節は、そのときには意識できない「記憶のかけら」を人の心や場所に包み込んでいくのかもしれません。それが何かのきっかけで割れて、こぼれ落ち、次の記憶や、ときには形あるものを作っていくのかもー。

そんなことをつらつらと考えたくなる小説『春の庭』です。

離婚した一人暮らしの太郎の日常に心の軸をおきながら、西にも親しみを覚え、一緒に写真集『春の庭』の世界を追うような気持ちになります。

そんなノスタルジックになりがちな話ですが、なり過ぎない「しかけ」があって面白い。後半、突如「太郎の姉」の目線で語られる箇所があります。太郎と幼少期を一緒に過ごした姉とも、微妙に記憶がズレていることがわかり、そこまでの太郎中心の世界をちょっと離れたところから見るような変化が味わえます。

今日も昨日と変わらない一日が始まるー、と思ってカーテンを開けたら、わが家の庭にも朱赤色のボケの花が。春になると芽を出す植物たち。冬の間には存在すら意識しないものが、春になると姿をあらわす。「記憶」って、そんな「春の庭」みたいなものかもしれません。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?