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カレーのノスタルジー/『マルチの子』を読む/なぜか書けない猫のこと

2021年10月5日

緊急事態宣言が解除になり、総理と内閣も刷新(というほどでもないけれど)され、世の中が動き始めた。図書館の予約本の順番も回ってきて追われるように読む。

その1冊、食べ物にまつわる本の書評エッセイ『味見したい本』(木村衣有子・著)が面白かった。その中で紹介されている『アンソロジー カレーライス‼  大盛り』 (杉田淳子・編)は、池波正太郎や向田邦子、井上靖といった名だたる書き手たちがカレーについて綴っているというもの。

カレーという食べ物が呼び起こすノスタルジア。読んでいてふと、子どもの頃に食べていた母の作るカレーを思い出した。

どこにでもある市販のルーで作る母のカレーは「辛口」であること以外、特にこだわりのないカレーだった。が、ある日どこで聞いたのか「これを入れると美味しくなるらしい」と2~3枚の枯葉を入れるようになった。家の前の公園の特定から木の葉っぱをを採ってベランダで数日乾燥させておく。素直な子だった私は、枯葉を入れることでたしかに美味しくなった気がしていた。そして「カレーに枯葉を入れる」を特別の秘密のように思っていた。

しかし、ある日突然「この葉っぱは違っとったらしい」とだけ言って、母は貯めていた枯葉を全部捨てた。

カレーに入れると美味しいと言われるのはローリエの葉、月桂樹だと私が知ったのはしばらく経ってからだった。家の前の公園の木が月桂樹だったのかどうかもわからない。母はどうやって間違いと知ったのだろうか。誰かに指摘されたのだろうか。そんなモヤモヤとともに思い出すのは「違っとった」とあっさりなかったことにしてしまえる母の気質だ。どんなカレーよりもスパイシーな人だった。

私が近ごろ作るカレーといえば、グリルで作る豆ドライカレーばかり。久しぶりに煮込み系のカレーを作ってみるか。ローリエの葉、入れてみようじゃないか。


もう1冊『マルチの子』(西尾潤・著)について。MLM(マルチレベルマーケティング)にハマった著者の実体験を基にした小説。マルチの手法やその界隈の空気感がリアルで面白い。登場人物たちの語り口にはSNS上に数多いる「ネットで稼ぐ」面々に共通したものを感じる。

自分が頑張って稼ぐだけでなく下につく人(ダウンというらしい) を応援し、その人の成功が自分の報酬になる。みんなで褒め合って遅くまでよく働く。その中で21歳の主人公鹿水真瑠子は社会に認められる満足感を味わう。それっぽくいえば「承認欲求」が満たされて「自己肯定感」が高まるのだ。悪事をしている感覚など微塵もない。わずかに芽生える危ういという感覚でさえ「承認欲求」と「自己肯定感」が吹き飛ばしていく。

が、破綻する。小説としての読みどころもそこにある。さらにラストには「破綻」以上のなんとも言えない残酷さが漂う。「認められる」って、そんなに大事なことなんだろうか。


8匹の飼い猫うちの1匹が亡くなった。15歳。だんだんご飯が食べられなくなり、病院に行くべきかいろいろ考えたあげく、自宅で看取り庭に埋葬した。

その間いろんな人の猫闘病や亡くなった後の思いを綴ったブログを読んだ。そして自分には書けないと思った。書けない寄りの「書かない」かもしれない。

なぜかはわからないけれど、そういうこともある。


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