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『夜の果てへの旅』セリーヌ 「善」に対する不信と恐怖

『夜の果てへの旅』は、作者ルイ=フェルディナン・セリーヌの自伝的小説です。

全編に渡って呪詛、罵言を吐き散らし、内容も文体も類を見ないほど破格で破滅的。とっても読みにくいうえ、文庫上下巻計800ページもあって、ちょっとやそっとじゃ読み進まない修行本です。

世の中に溢れる上っ面だけのキレイごとや、おためごかしにウンザリしている人にはおすすめです。それらが一掃され、充分すぎるほどのお釣りがくることでしょう。

『夜の果てへの旅』のザックリとしたあらすじ

主人公は作者の分身、フェルディナン・バルダミュ。

第一次世界大戦時中のパリで暮らすバルダミュは、志願して戦地へ赴くが負傷兵となり帰還。悲惨な体験が戦争への恐怖と愛国心をあおる社会への反発心を募らせていく。

恋仲になった女性アメリカ人女性ローラとも破綻し、逃げるように植民地のアフリカへ。そこでバルダミュと同じ流浪の身であるロバンソンと出会う。

アフリカを離れアメリカに渡ったバルダミュはローラと再会するがうまくいかず、自動車工場で職に就くも、抑圧に耐えられずふたたびパリに戻る。

医師免許を取得し、貧しい人を相手に診療を行うバルダミュは再びロバンソンと再会しー。

というお話です。

評)呪詛、罵詈雑言は「善」対する不信と恐怖

ストーリーだけで見るとなんのことはない話なんですが、ほぼ一人称で進んでいく話にいちいち恨み言が挟まれています。

甘い考えは捨てることだ、人間は互いに語り合うなにものも持ってはいない、めいめいが互いに自分の苦労を口にするだけだ。他人のことまで構っておれるか。恋愛中は、相手の上に、自分の不幸を押しつけようとする、がそうは問屋がおろさない、骨折り損、そいつは自分の悩みは、ちょっとも離れやしない。<中略>そして、日頃は、首尾よくそいつを、自分の悩みを払い捨てたつもりでいる、がそれがまったく偽りであることは、そいつをそっくりそのまま自分に持ち続けていることは、誰だって承知している。そんな芝居を続けてだんだん年をとるうちに、しだいに醜くひねくれだし、いつしか自分の悩みを、惨敗を隠しきれず、ついには顔全体にそいつを、きたならしい皺面(しわづら)を浮かべだす、そいつは下腹から最後に顔面に登りつくのに20年、30年、それ以上かかるのだ。人間にできることと言えばそれくらいだ、その皺面を作り上げる仕事に人間は一生をかけるのだ、それでもまだ完成できるとはかぎらない、それほどそいつは、自分の本性をあまさず表現するために作り上げなければならない渋面(じゅうめん)は分厚く、そして複雑だ。

  『夜の果てへの旅』下巻より

こうした言葉を「旅」の途中で出会う人に、遭遇する出来事に、そしてバルダミュ自身に向けて容赦なく放ちます。それらは人間の本質に迫るもので、読んでる自分に向けられた言葉のように思えてくるのです(上記引用部分)。

バルダミュだけじゃなく、ロバンソンやアンルイユ婆さん(ロバンソンに殺されそうになったが生き延び、ミイラの展示室の管理人となる守銭奴)やマドロン(ロバンソンに執着する女)といった面々のキャラも強烈。バルダミュの呪詛魂が鎮まることはありません。

人間の醜い部分をこれほど露わにしてあると、どこかに「救い」があるんじゃないかと期待しますがー、ないです。そんなものは見当たりません。

話の終盤、いろんな人との関係が破綻していくバルダミュは、ある人物の無教養さを心の中でこう罵ります。

この女は僕にとって十分な低さにもういなかったのだ、降りてくることはできなかった!僕がいるところまで......教育と気力が不足していたのだ。人生は登り道じゃない、下り道だ。この女にはその力はなかったのだ。もう僕のいるところまで降りてこれなかったのだ......僕のまわりには彼女にとってあまりにも闇が多すぎた......

『夜の果てへの旅』下巻より

闇に染まるためには「教育」が必要って......。バルダミュは自分がダメ人間ってわかっているのに、良くなろうという気がないというか、「良い」という状態がとにかくイヤなんでしょうね。

あるのは「善」に対する不信と恐怖。「ツラいこと、イヤなことがイヤ」という思考の正反対のようでいて、いや、意外と共通する部分が多いのかも。

作者セリーヌとは、

作者セリーヌ(ルイ=フェルディナン・セリーヌ)は1894年フランスの生まれ。本作『夜の果てへの旅』がデビュー作で、卑語や俗語をふんだんに盛り込んだ文体とリアリズムが評価された。

反体制主義者、アナーキストかと思いきや、第二次世界大戦中には反ユダヤ主義を主張し『虫けらどもをひねりつぶせ』『死体派』『苦境』などの偏狂的作品を発表。結果、戦犯として投獄され、その死に際しては司祭から葬儀の執行を拒否され、今なお国賊作家と呼ばれている。

セリーヌにどれほどのイデオロギーがあったのかはわかりませんが、「社会」というものに対してではなく、自分を映す「世界」に存在する善悪に不信や恐怖を感じているようで、その思いはわからないでもない、かな。

訳者・生田耕作氏の罵詈雑言の語彙がスゴイ!


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