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鮮烈な心象が”解釈”を引き寄せる 『少女を埋める』の評論で議論

文學界9月号に掲載されている桜庭一樹氏の小説『少女を埋める』をめぐって、とても興味深い議論が起こっています。

朝日新聞の文芸批評(8月25日)で、評者の鴻巣友季子氏が「ケア労働と個人」というテーマでいくつかの作品を紹介されています。そのひとつ『少女を埋める』の評論の内容に対し、誤った"あらすじ"を掲載しているとして著者の小説家、桜庭一樹氏が抗議。これに対し鴻巣氏は「"解釈"は自由」「"解釈"と"あらすじ"は不可分」との見解で反論。その後Web版(朝日新聞デジタル)には「わたしはそのように読んだ」という評者の言葉が補われ一応の解決となったのですがー。

とにかくその小説を読んでみないとわからないー、と思いさっそく文學界9月号を購入『少女を埋める』を読んでみました。

(桜庭氏のnoteで3分の2ほど公開されています)

『少女を埋める』の評論をめぐる議論の概要

自伝的な小説として描かれる本作は、父の看取りをめぐる家族の物語です(ザックリでスイマセン) あることから距離が生じてしまった母娘関係。父の最期と葬儀、その後の出来事がコロナ禍の今を舞台に描かれています。

議論の論点は、夫を長年看病し続けた母の状況を評者、鴻巣氏が「その中で夫を虐待した。弱弱介護の密室での出来事だ。」と記述した部分です。桜庭氏は「小説にはそんなシーン」はどこにも、一つもないと反論し、本作が自伝的随筆でもあるため実在の母にいわれなき誤解や中傷が及びかねないと記事の訂正を求めたのです。

「ひとまず議論のことを意識せずにー」と読み始めたところ、グイグイと小説の世界に没入。やさしかった父との思い出、一方、母との微妙な関係に私自身穏やかではいられない気持ちになりながら読みすすめ、議論の箇所にさしかかりました。

正直「そう読むか? 」と思うほど、評者の「弱弱介護」という読みとは距離感がありました。

いよいよ蓋を閉めるというときになって、母がお棺に顔を寄せ、「お父さん、いっぱい虐めたね。ずいぶんお父さんを虐めたね。ごめんなさい、ごめんなさいね……」と涙声で語りかけ始めた。「お父さん、ほんとにほんとにごめんなさい……」と繰り返す声を、ぼんやり寄りのポーカーフェイスで黙って聞いていた。内心、(覚えていたのか……)と思った。

文學界9月号『少女を埋める』より

その後、昔母に暴力をふるわれた"記憶"にふれる箇所が出てきます。さらに父が亡くなる少し前のシーンでは、

記憶の中の母は、わたしから見ると、家庭という密室で怒りの発作を抱えており、荒らしになるたびに、父はこらえていた。

同引用

とあります。ここから「その中で夫を虐待した。弱弱介護の密室での出来事だ。」と評者は"解釈"し、記述したのでしょう。

しかし、「虐待した」「出来事だ」と言い切る表現は、"解釈"を超えているのではないかと私は思いました。

自分の思いに解釈を引き寄せすぎてしまう

鴻巣氏の評論「ケア労働と個人」の冒頭では、『星の王子さま』(サン=テグジュペリ)を取り上げ、「王子がヤングケアラーに見えてきた」と論じています。そういう読みもあるのか、と思う一方で、論じようとするテーマに作品の"解釈"を引き寄せすぎてるのではないかとも思いました。

私自身この『少女を埋める』を読みながら、自分と母のことを考えずにはいられませんでした。

記憶に残る母はとても厳しい人です。離婚して1人で子どもを育て、他人にバカにされることを何より嫌がり、子どもの私が何かに劣っていることを許さなかった。そんな厳しい"記憶"の母に、私はあらゆる抑圧感の原因を背負わせているだけなのかもしれません。もしかすると母自身も社会に排除されることをひどく恐れていたのかも。すでに亡くなってしまった母の思いは想像するしかありません。

『少女を埋める』は私の中に鮮烈な心象を描かせました。もしかするとそれが作品の"あらすじ"と異なる"解釈"をさせてしまうのかもー、と今回の議論について考えました。


件の議論を離れても、この『少女を埋める』はコロナ禍の今、読んで良かったと思えた作品です。桜庭一樹作品といえば『赤朽葉家の伝説』『私の男』『少女七竃と七人の可愛そうな大人』ほかは未読なのでこれを機に読んでみたいな、と。

・『少女を埋める』にも登場する『ファミリーポートレイト』

両方を立てるわけではありませんが、鴻巣氏が文芸批評で取り上げられた作品にも興味が。

・ポルトガルの作家ゴンザロ・M・タヴァレスの『エルサレム』

あ、そもそもこの議論に興味を持ったのは、今読んでいるこちら2冊があまりにも面白く、"読むって"何だろうと思わされたからです。

・『読んでいない本について堂々と語る方法』ピエール・バイヤール

・『「罪と罰」を読まない』岸本佐和子・三浦しをん・吉田篤弘・吉田浩美

この2冊については、また別の機会に。


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