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『コロナの時代の僕ら』を読む/ブームで終わらせない/おすすめの人間ドラマ

2021年11月8日

新規感染者の減少が続いている。街中にも人が増え、イベントも再開。感染の再拡大を過剰に警戒する声も静まってきたように思う。こうなることを待ち望んでいたはずなのに、どこかそうでもない気分になるのはなぜだろう。再拡大が怖いわけでもないし、GoToなどの消費喚起に踊らされるわけでもないのに。

そんなことを考えながら読んだ『コロナの時代の僕ら』(パオロ・ジョルダーノ著)

大学で物理学を専攻した著者によるこの本は、2020年春、感染者と死亡者が急増する母国イタリアの変わっていく日常と、そこに数学的見方を加えることで冷静かつ繊細にコロナの時代を生きる心もちが綴られている。

このところ「コロナの日々をどう過ごしたか」という類の本を読むことが多い。COVID-19がどういった病気でどんな変異株があってワクチンの効果や副反応がどうでー、といった連日報道される「情報」ではなく、その中で人々がどう過ごしたかに触れたくなるからだろうか。SNSではとかく両極に振れた人の言葉ばかりが目に入る。やっぱり本はありがたい。

この本の終章には「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」が記されている。社会やメディアの姿勢だけでなく、著者個人の後悔の念も綴られている中にこんな一文がある。

支配階級は肩を叩きあって、互いの見事な対応ぶり、真面目な働きぶり、犠牲的行動を褒め讃えるだろう。<中略>一方、僕らはきっとぼんやりしてしまって、とにかく一切をなかったことにしたがるに違いない。到来するのは闇夜のようでもあり、また忘却のはじまりでもある。

『コロナの時代の僕ら』より

私の中にもきっと元に戻ってほしくないことがあるのだと思う。それを大事にしていきたい。


そんな元に戻ってほしくないことのひとつが軽率で粗雑な消費行動。新しいものや流行りのものに囲まれて育ってきた世代だからこその後悔と負い目がある。いまさら環境問題やSDGsを持ち出すのは気恥ずかしくもあるのだけれど、若い人を中心に広がるこのムーブメントは支持したいと思う。

少し前にも書いた ヴィーガンの話にあるように、私は偏食で肉嫌い。が、単に好き嫌いではなく環境保護や動物倫理の観点からも肉食を避けようという意識を持つようになった。ほかにもできるだけ使い捨てにせず再利用できるものを使う。これからの季節は暖房の利用も控えめに。できることを地道に継続していきたい。

話は変わるが、今朝の朝日新聞で大きく報じられているシリア内戦の拷問の話が強烈だった。想像しても想像してもそれを超えてくる現実に打ちのめされそうになる。

格差や分断、対立の原因でもある「想像力」の欠如。たしかにそうだけれど流行りのように「想像力が」「想像力を」といい、ネットには「想像力の鍛え方」なんて記事がゴロゴロしている。しかしそこに書かれているのはせいぜい「気配り」や「気働き」のレベル。それで「想像力」がある気にならないようにしたい。


Netflixのドラマ『チェスナットマン』(公式サイト)が面白かった。

舞台はデンマーク。女性が被害者となる連続殺人が発生し現場には栗人形(チェスナットマン) が残されている。被害者に共通する育児放棄の疑い。1年前の未解決誘拐事件とその被害者の現職女性大臣。事件の捜査にあたるのはシングルマザーと左遷させられてきた訳ありのくせ者刑事。事件は30年前のある事件につながりー。(ネタバレ禁です)

テーマが激重だしなかなかグロい描写もあるけれど、これは人間ドラマとしても秀逸。原作小説も面白いというので機会があれば読んでみたい。

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