見出し画像

【雑記】数的イップス

 僕の書く文章には数字があまり出てこない。もともと規模や順序を表す符号としての数字に対する感覚が昔から鈍く、数字を扱うときはいつも足の形に合わない靴を履いている気分になる。
 計算して導くことができる(あるいは、計算して導かなければならない)ならいい。いま僕が悩まされているのは自明に順序が存在する数字のことだ。具体的には日付。月火水木金土日、かならず特定の日付が対応している。そのことは何でもない。しかし、日付と曜日との対応関係をキーボードの打ち間違いではなく、認識のエラーとして書き損じる。書き損じが頻発している、ということにやや頭を抱えている。怒涛のような新年度に一区切りがつき、自分自身の粗の多さにようやく目がいく時期だから、というのもあるのかも知れないが。
 たとえばこのあいだ、5月25日が水曜日であることは自明なのに、火曜日の気分でいて火曜日と書く。メールの相手の返信で失敗に気付く。ちゃんと手元でカレンダーを確認すればいいのだが、いろいろと追いまくられて懸案が頭の中で渦巻いているとそちらに気を取られて間違いの頻度が増える。疑心暗鬼になってメールチェックに時間を取られる。なんだかぎこちなくなる。へとへとになりまた次のミスが生まれやすくなる。あんまりでたらめばかりメールに書いてよこす人だと思われるのも具合が悪い。こうした一対一対応しているものごとに感じる居心地の悪さをあまり意識せずにいられるとき、調子がいいと感じる。
 イップスになって克服しきれていないアスリートもきっと同じ気持ちなのだろうか、という問いが頭に浮かんだ。僕はどちらかといえばぼーっとしていて、ひとをライバルとみなして競いあうことが苦手で、およそ競技と名のつくものについてはいつも主体的になれなかったから、何らかの「選手」の役割を立派に果たしている人たちの気持ちをちっとも分かってあげることができていなかった。けれど、器質的には問題ないのに何かボタンを掛け違えたように間違った動きをしてしまうということ、スポーツの世界以外でもありふれている。
 順序として、ルールとして、語用として、つまずきの根は目の前に広がっている。マナー講師はたくさんのべからず集を用意して目を光らせている。一回間違えると次の予期不安につながる。でも、ヒトといういきものはどうしても間違える。
 日付と曜日の対応を間違える、という問題に真正面からぶつかって疲弊するくらいなら、アナロジーの力で切り開いてみる。僕は僕の状態を数字をただしくあつかうことに対するイップス、数的イップスと呼ぶ。類比的に名付けることでちがう仕方の対処法が見えてくる。
 スポーツの技法書なんて一生自発的に読むことはないだろうと思っていた。でも、スポーツの世界にとどまらないイップスを何とかするためだったら、何でも取り入れてやりたい。次に書店に行くときは普段歩いたことのない棚の周りをぐるりとしてみようと思う。