総曲輪通りでつかまえて(4)北陸新幹線糸魚川行き
私が北陸にいた2年間はこの地域では例外的に豪雪がなかった2年間だった。台風も直撃することはなかったし、地震被害もなかった。『まっとうな人生』の中で富山の災害の少なさが富山県人から語られる場面があるが、実際に私の周囲でも「立山はバリアだから」と冗談めかして話す同僚がいた。
だから、私の中では富山は暮らしやすいというイメージばかりが先行しているのかも知れない。ずっとこの地に暮らしている人の苦労も知らず呑気に過ごしてしまった、と引け目を感じることもある。
もっとも、台風被害については印象深い出来事もあった。長野県の千曲川が氾濫した令和元年台風19号で北陸新幹線が浸水被害を受け、車両は廃車。復旧まで大きな時間を要することになったのだ。
北陸新幹線が不通になったあの日、富山駅には新幹線の予約を取り消す長蛇の列ができていた。こんなにも多くの人がこの街で働いているのか、と驚いた。北陸新幹線が不通になり、東京まで鉄道で行くには在来線と「特急しらゆき」を乗り継いで上越新幹線に辿り着くか、金沢からのしらさぎ経由で名古屋を通って東海道新幹線で行くしかない。富山空港も飛行機の臨時増便により対応した。北陸新幹線はしばらくして臨時の「はくたか」号が出ることになったが、糸魚川を目的地としたままの時刻表が何だか不思議だった。
私は北陸新幹線が開通してからの富山駅しか知らない。あの長い長いエスカレーターの富山駅。キャリーバッグを落とす事故が多発している、と注意喚起を呼びかけている富山駅。東京をはじめ他の地域の動物園へ遠征するときも幾度となく利用した富山駅。
しかし、新幹線が通るまでの富山は、東京よりも関西との結びつきが文化の面で強かったと聞かされていた。
台風によって東京への鉄路が分断され、図らずも「かつての富山から見た東京の距離感」を意識することになった。
以下は余談だが、「伝説のコンビニ」立山サンダーバードは、富山県が「東西文化の分かれ目」であることを逆手に取り、関西風のだしと関東風のだし、2種類の「どん兵衛」を販売していた。
この「サンダーバード」についてはまだ綴りたい話題もあるので、いずれ。