見出し画像

【園館訪問ルポ】詩のある動物園――到津の森公園「種田山頭火歌碑」/「森の音楽堂」/「いとうづのもりがたり」(福岡県北九州市)


 「キリンもゾウもいない、そんな動物園があってもいいじゃないか。」印象的なフレーズが話題となった動物園があります。

 この園は、福岡県北九州市の「到津の森公園」いとうづのもりこうえん)。西日本鉄道が運営する「西鉄到津遊園」としての開園は1932年と、非常に歴史のある動物園でした。経営不振により1998年に閉園が発表されるも、北九州市民を中心に26万人もの存続を求める署名が集まり、市の動物公園「到津の森公園」として2002年に再開園しています。

 この動物園を訪れて非常に印象的だったことは、動物たちの姿とともに、ことばとイメージ(表象)が織り成す世界の開かれ方を提示し続けていたことでした。


画像1

画像2

画像3

人影ちらほらとあたゝかく 獅子も虎も眠つてゐる 山頭火

 漂泊の歌人、種田山頭火(1882~1940)が到津遊園を訪れたのは、開園間もない1934年(昭和9年)2月のことでした。当時最新のレジャーランドだったこの場所を訪れて、山頭火は何を思ったのでしょうか。旅の道中で書かれた『其中日記』には、こう記されています。

春光うらゝかである、満ち足りた気持である。
星城子君我儘不出勤、自から称して禄盗人といふ、いつしよにぶらぶら歩いて到津遊園鑑賞。
動物園はおもしろい、獅子、虎、熊、孔雀、兎、鶴、等々には好感が持てるが、狐、狸、猿、鸚鵡、等々には好感が持てない、殊に狐は悪感をよぶばかりだ。
七面鳥はおしやれ、鳩はさびしがりや、鶴はブルヂヨア、いやさインテリゲンチヤ、鸚鵡はどうした、考深さうに首をかしげてゐる!
総じて、獣よりも鳥が好き、人間は人間にヨリ遠いものほど反感をうすらげますね。
――種田山頭火『其中日記』

 今なお、園内には歌碑が残されています。

画像4

 到津遊園が開園して5年目の1937年(昭和12年)。第1回「林間学園」が開園されました。動物園の森の中で自然に親しみ、仲間と協力することを学ぶ学園は、第二次世界大戦や遊園閉園に伴う中断を挟みながらも、この動物園を特徴付ける取組みとして現在に受け継がれています。

 林間学園の主要な舞台となる「森の音楽堂」には、「みどりの こども」の歌詞が掲げられています。

 子どもの頃の特別な思い出とともに記憶されるであろう「詞」の存在を知った時に私の胸中に去来した、「ことば」こそが再開園に向けて人々を、市を動かす大きな原動力になったのではないか、という空想は、飛躍しすぎていたでしょうか。

椎の葉わたる朝風に 林の学校おはじまり 先生お早う みなさんも さあさあこれから 朝のうち 丸木のいすに腰かけて 緑の子供 光の子  みんなで勉強いたしましょう


画像5

画像6

画像7

 2012年(平成24年)。「到津の森公園」として迎えた10周年の記念に、この園では、来園者とアーティストたちが一体となって作品を創作する、コラボレーションプロジェクトが実施されました。その名は、「いとうづのもりがたり」。来園者が執筆したこの動物園にまつわる「物語」を、アーティストたちや子どもたちがリライトし、作品として再編集しています。創作された作品の一部は、2019年現在も園内に残されていました。

 ぼくのイノチ きみのイノチ ぞうのイノチ ムシのイノチ トリのイノチ はなのイノチ くさのイノチ イノチ イノチ まわる まわる まわる まわる オモシロイ         ――「いとうづのもりがたり」

 山頭火が80年以上もむかし素朴に日記にしたためた、「動物園はおもしろい」という感嘆。時代は流れて、回り回って、「イノチ」に対する人々の向き合い方もずいぶんと変化していって、それでも最後に出てくる「オモシロイ」という、重なる感嘆。ここに私は、「詩のある動物園」という在り方が連綿と続いていることを感じ取りました。


 ここまで見てきた、園内に今も残る「詩のある動物園」の系譜を踏まえ、冒頭に取り上げた「話題のフレーズ」に立ち返ってみましょう。西鉄到津遊園閉園から再開園、そして現在に至るまで、園長として激動の時代を乗り越えてきた岩野俊郎園長のメッセージも、確かにいのちをまなざす優れた「詩」として、わたしたちの胸に届いてくるのです。

画像8

キリンもゾウもライオンもいない。そんな動物園があってもいいじゃないか。外国の動物園を真似たようなのじゃなく、日本人らしい情趣のある公園のような動物園。森で憩える動物園。ここは、一度無くなりかけたけれど、北九州市民がとりもどした動物園なんですから、市民のみなさんには自分の庭だと思って来ていただきたい。  

たとえ動物園からキリンやゾウやライオンが居なくなったとしても、日本文化に脈々と受け継がれてきた、花鳥風月、生けるものの情趣をまなざし、彼らを愛で、憩い、詩歌に詠ずる営みは、これからも続いていくことでしょう。動物と向き合うヒトの営為の場として、動物園は生きていく。

 そんな提案を、岩野園長は「提案」としてどぎつく打ち出すのではなく、長い歴史を彩る先人たちのやり方にならって、「詩歌として」表出されているように感ぜられました。

 多くの人のこころに届くことばが生まれていく動物園。到津の森が示す「可能性」は、動物園・水族館等施設を取り巻く環境が激変していく中にあって、今後いっそう重要な示唆を与えてくれることでしょう。