【雑記】ぼくはフランケンシュタイン――「研究者未満」と「パッチワーク」と「やわらかいわたしのことば」の行方
ふたつの動物園史を「完結」させた。片方は編年体で、もう片方は列伝形式で。
しかし、これらはひとつの巨大なデータベースーー京都大学のオープンリソース「大型類人猿情報ネットワーク」(GAIN)に、その大部分の典拠を求めている。
私は霊長類学や動物園学の学位を取得した正規の研究者ではない。私的な時間を何時間も何ヵ月も費やしてまとめを作るくらいには、この領域を好ましく思っているが、市井の愛好家の域を抜け出ていない。
巨人の肩の上に乗って、小人が何事かをわめいているようなものだ。
私の文体は、無数の既存の文書を「パッチワーク」のようにつなぎ合わせて、あたかもそれが新しい言説であるかのように脚色しているものである。正規の研究者であれば、いや研究者でなくとも、剽窃の誹りを免れないかも知れない、という自己反省は、常に抱いている。
「アカデミックですね!」「勉強になりました!」という感想を目にするたび、「ああ、こういう風に映ってしまっているんだ」と、実は少しだけ肩を落としている。
かしこく見られたい訳じゃない、衒学趣味なだけなんだ、と独りごちながら、「ちがう仕方で」表現できない自分にもどかしさを感じる時がある。
高校1年生の頃に近代文学の名作を読み、感想文を書く課題に取り組んだことをふと思い出した。私は芥川龍之介の『歯車』を読んで、よしこれは自信作だぞ、と思って提出した。
返ってきた作文に書かれた、国語担当教師のコメントは今でも忘れられない。
「何かを写しましたか?」
頭がかっとなったのを覚えている。いやにこなれた文体は、これまでの私の読書体験の再生産であった。無意識に、そうしていたのだ。(わたしはしばしば文庫本巻末の「解説」を読んでから、こういうことかぁ、と見取り図を描きながら本文を読み込む癖があった。フィクションであっても、ノンフィクションであっても。)
授業後職員室に足を運んで、何事か反論しようとしたが、結局要領を得ずに飲み込んでしまった。(余談だがこの先生にはその後3年間クラス担当としてご指導いただき、卒業後もお世話になっているから分からないものだ。)
あの頃から私の作文術の悪い手癖はちっとも変わっていない。そればかりか、滲みのようにこびりつき、澱のようにこぞんでいった。
大学で卒業論文を書けば、「参考文献リストの提出」が求められた。仕事で文書を作れば、「エビデンスあるの?」と詰問された。
「発言を行うときは根拠と出典を挙げなければならない」という強迫観念がある。
そうして「典拠を明示する」ことばかりに腐心していくうちに、私は「わたしのことば」をやわらかく創造するゆとりを失っていった。あるいは、サボっていった。
私は未だに、「わたしが感じていること」をやわらかいことばで書き記し胸に留めおくことができていない。
あるいは、「他のひとが感じていること」のやわらかいひだを丁寧になぞることができていない。
時々なにかを逆なでして、修復不能にしてしまうことがある。
「キミはさぁ」以前付き合っていたひとにこんなことを言われたことがあった。「だれかと何かですれ違ったとき、簡単にこころのシャッターを下ろすよね。見切りが早い、というか。結局話し合っても分かり合えない、って、深いところで諦めてる感じがする、というか」
そのひととははっきりとした別れを切り出すこともなくいつのまにか疎遠になってしまった。
自分の気持ちも、誰かの気持ちも、屈託なくやわらかく解き放ってもダメなんかじゃない、というところから認識をまず立ち上げていく必要がある気がする。
きょう、戯れに短歌を作ってみた。人がどう思おうが、評価なんて知るか!って思いながら想い出を手繰ってことばをつむいだ。いいリハビリになる気がした。
引用じゃない、オマージュじゃない、もちろん剽窃でもない、「わたしのやわらかいことば」を探してみたい。自分の時間くらい、自分のことばでしゃべってみたい。身を守るためだけじゃなくて、だれかとつながるためのことばももっと自由に使いこなしたい。