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台風の夜

見知らぬ人からDMが届いていて、何だろうか、と読んでみると、私の詩をモチーフにして、学校の授業で絵を描いた生徒がおり、学内展示にも出したいようなので、詩の掲載許可を貰えないだろうか?という内容だった。

正直言って、最初は新手の詐欺か何かか?と思った。
でも、「あなたの詩をモチーフにして絵を描いた生徒がいるから、学内展示での詩の掲載許可が貰えないか?」という内容のどこにも詐欺の要素はないし、そもそも私の詩に詐欺に使えるような価値などない。だから詐欺ではなく、この世で本当に起こっていることなのだ、と理解した。

見知らぬ人と思っていた方は、小学校で図画工作を教えている方で、授業内容は、詩や物語をきっかけに想像を広げて絵にする、というものらしい。
そして、とある生徒さんが、私が「眠い森林」というユニットで発表している詩に辿り着いて、絵を描いたという。
あらゆることが許されるなら、どうやって検索して、どうやって辿り着いて、何が引っかかってこの詩をモチーフにしよう思ったのか、聞いてみたいことは本当は沢山ある。

どこかの小学校の展示で、私の詩とその子の絵が隣り合っている、ということを想像すると、随分遠くまで、それから予想もしなかったところに、詩は届くものだなぁと思う。

できれば絵を見せていただけないだろうか、と無理を承知でお願いしたところ、学校もその子の親御さんも快く許可して下さり、さらにはこうやってnoteを書いて、その子の絵も載せても大丈夫だと仰ってくださった。

ので、ここで、どこかの小学校であった風景を再現してみる。


『夏の夜更けデッサン』は、「未明」という詠題で書いた詩で、きっと台風が迫っていたのだと思う。夏だし。

夜中に誰かが喋っている声を聞くと、この世界に私一人だけではないのだ、と少し安心する。
今はだいぶSNSが発達して、こんな夜中でも起きてる人がいるのだということが可視化されるけれど、そういうものがなかったとき、私の心の拠り所は深夜ラジオであったり、こういう台風のニュースのようなものであった。
外は風の音がごうごうとしていても、テレビの中のアナウンサーは淡々と情報を伝えている。だから大丈夫、ということでは本当はないのだけど、でも大丈夫だと何故か思えてしまう。
誰かがいる、というのは、実際の距離はあまり関係がない。こんな夜中でも、誰かが起きているという事実があれば、それだけで安心するし、眠りにつける。

この絵を描いた子の中には、どんな世界があるのだろうと思う。
人には人の世界があって、近いように見えても全然違ったり、全く混じり合わないなと思う人と変なところで近しい点があったり、合わないと思ってたけどやっぱり合わないな、ってこともある。でもそれは仕方のないことだ、人だし。
完全には重ならない、完全には分かり合えない、どう頑張っても人は一人なので、私は人が好きだし、その人の頭の中にある世界を覗きたいと思うことがよくある。

私が小学生だったのはもう15年以上前のことで、なんならそのうちすぐ20年前のことになる。なので、あまり記憶としては残っていない。
この子も、これから色んな経験をしていく中で、この絵を描いたことも忘れてしまうだろうなと思う。それは別に悲しいことではなくて、当然のことというか、多分この先様々なことを感じたり考えたりしていく時期だと思うので、色んな楽しいことと出会ったらいいなと思う。豊かであれと思う。

でもきっと私は忘れない。思ってもいなかったところまで、高名な詩人でもない、ただの私の詩が届いたという経験は、仕事では得られない、何物にも変えがたい嬉しさがある。こんなにシンプルに、書いていてよかった、と思ったことはない。

一生に一度、あるかないかのご褒美です。見つけてくれて本当にありがとう。


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