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日常の中で匿名になりたい

電車に乗って、割と行きなれた目的地まで移動するとき、私は匿名になる。電車の中で私に話しかけてくる人は基本的にいないし、乗り換えをするために駅構内を移動するときも、人の波を見ながらぶつからないようにだけ気をつけて、匿名のままでいる。沢山人がいるけど、この人たちって二度と会うことないんだろうな、と思いながら、するすると歩くのは楽しい。ただ、最近は電車で事件が起こることが増えてきたから、私の予期不安が強くなると、電車には乗れない。匿名ではいられなくなるから。

この前久しぶりに飛行機に乗って、これは空を飛んでいるから落ちるかもしれないことと、ハイジャックが起きたら終わりということ以外は、いい移動手段だなと思った。乗り換えを気にすることもなければ、寝ていて乗り過ごす心配もない。本を読むのにうってつけの移動手段。こちらも乗ってしまえば匿名でいられる。

新幹線は、地上を走っているけど、基本的に知らないところに行くので、一人で乗るときは常に気を張っていて疲れてしまう。一番最悪なのはバスで、1つのバス停を複数の路線のバスが使うし、乗り方もバスによって違うし、バス停の名前もよく分かんないし、不安の塊でしかないので、なるべく使いたくない。匿名の反対。私がずっと私を引っ張っていかなきゃいけないから、徒歩30分で着くとかなら、余程天気が悪くない限り歩く。

私は普段ほぼひきこもり状態なので、意外と歩けることに驚かれることが多い。歩くというのは、他の移動手段と違って、私の意思でスピードが変えられるし、止めることもできるので、調子のいいときは好きな移動手段第1位になる。匿名性も高い。すれ違う人のことは知らないし、向こうも私を知らない。それがすごく好き。しかも歩いてるときは逃げられるので、閉じ込められるみたいな恐怖も考えなくて済む。方向音痴だけど、グーグルマップをちゃんと使ってGPSも上手く動いていれば、迷うこともそんなにはない。目的地に向かって歩いているときは、いつもより背筋が伸びる。
調子の悪いときは外に出られないので、そもそも歩けない。気晴らしに散歩という手段も取れない。何故なら歩くことで頭の中がぐんぐん回って、ものすごい破滅的な考え方に着地してしまうことが多いから。あと、目的地がないと歩けないのも、散歩ができない理由の1つ。

最近植物園に行ったときに、土の地面を歩くのが楽しくて、ざかざかと落ち葉を踏みながら歩きまくった。こういう風に楽しくざかざか歩くのは、今帰仁城跡に行ったときもやったし、韮山反射炉辺りを散策するときもやった気がする。順路なんだよね?入っていいんだよね?みたいな、道として整備されてるのかよく分からない道を歩くのが好きになったのは、最近な気がする。こちらは、匿名にはならないけど、精神年齢がぐっと下がって、自意識も少し薄れる。

他にも匿名になれる場所はある。ライブ会場とか、劇場とか。暗転した瞬間から、私は匿名になって、溶ける感じがある。匿名というかもう、体もない。
あと、病院の待合室で、番号札を握りしめているときとか。こっちは普通に本当の意味で匿名。番号で呼ばれるの好きなんだよな……。

そうやって、たまに匿名になると楽しい。ついこの間もスパで匿名になっていた。誰も私を知らないし、私も誰のことも知らない。そのことにひどく安堵する。

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