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15歳の自分のために仕事をしている

この前、応援している配信者さんがギターを弾いたりしゃべったりするライブ配信をやっていて、ふと頭に浮かんだのでBUMP OF CHICKENの『ギルド』をリクエストしたら、歌ってくれて、それであらゆる記憶が開いた。

中3のときにバンプにハマって、そのときは毎日生き延びるために『ギルド』とか『太陽』とかをよく聞いていたけど、どこからかあまり聞かなくなった。

それで、ライブ配信で『ギルド』をもう10年以上ぶりぐらいに聞いたんだけど、中3のときに何であんなに執拗に『ギルド』を聞いていたのか思い出した。私は立ち止まりたかったんだった。

悲しいんじゃなくて 疲れただけ
休みをください 誰に言うつもりだろう

BUMP OF CHICKEN『ギルド』


15歳から学校に行けなくなったのだけど、決定的なきっかけは覚えてなくて、ただぼんやりと進路について悩んでいたような記憶はある。多分あの時は、今に比べて何十倍も頭が不安に覆われていた気がするし、言語化する能力も全然なかったと思うから、覚えてなくても仕方のないことなのかなと思う。

ぼんやりとした記憶の中には、大学で何を学びたいのかとか、その後どういう仕事につきたいのかとか、私には何にも分からなくて、みんなはそれが分かって勉強しているのか、そんな未来のことまで見えているのか、みたいな焦りとか不安みたいなものが入っている。

学校に行くと、授業があって、テストがあって、部活もわりと忙しくて、自分自身のことを考える時間がなかった。性格的に、自分がこの先何を学びたいのかも分からずに、とにかく大学受験に向けて勉強する、ということができなかったので、一度立ち止まって考えたかった。それを当時、自分では気付いていなかったから、『ギルド』を聞くことで、今私はこの状態だと自覚したのかもしれないし、そういうことを思ってもいいのだと許された気持ちで『ギルド』にすがっていたのかもしれない。

結果として、学校に行かないことで無理やりに立ち止まった。同級生たちは、あの急流のようなカリキュラムについていっていたように見えたけど、でも疲弊したり、私のように離脱する人が何人かいることも知っていた。

今でも、疲れたから少し立ち止まらせてほしいと感じることがある。

疲れたというのは、身体的な意味もあるけど、私は精神面において強く感じることが多い。あの時の学校と同じか、それ以上の急流に、いつの間にかまた入っているような気分で日々を過ごしている。今起きていることには対処できるけど、未来のことにまで目を向ける余裕が正直ない。

目の前のあらゆることをどうにかこなして、寝るためにベッドに入った瞬間、「もうだめかもしれない」という大きな絶望感に襲われたり、この先どうやって生きていくんだろうと考えたらそこには何もなくて、真っ黒で、あ、死んでしまう、と思って逃げるように寝たりするときがある。とても怖い。本当に怖い。


私が今仕事をしているのは、15歳の私のためでもある。あの時の自分を肯定するために、自分の選択は何も違っていないのだと言ってあげるために頑張っているのだけど、なかなか難しい。難しいの中には、細分化されたあらゆる難しさがある。

だから今また『ギルド』をよく聞いている。この曲があれば、私は15歳の自分に会えるし、これからどうしていくか相談ができる。どうしていくか。

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