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発想の飛ばしかた

『プレバト』(TBS系毎週木曜19:00〜)の俳句査定が好きでよく見ている。出されたお題が例えば「ポイントカード」であれば、ポイントカードのある情景や心情を俳句にするのだが、「発想を飛ばして」例えば「診察券」や「御朱印めぐり」のシーンを詠んでもいい。夏井いつき先生が、感心し褒めるポイントのひとつが、この「発想の飛ばしかた」である。

俳句を作ろうとポイントカードを睨んでいてもダメで、ポイントカードを使うシーンを想像し、カード入れの中、診察券の映像を浮かべる。ポイントカードを押してもらう時のワクワクを思い出し、御朱印巡りの気持ちと重ねる。それが、発想を飛ばすということ。発想を飛ばす、というのは、飛ばす先があるから飛ばせるわけで、飛ばす先をいかにたくさん持っているか、つまり、いろいろな情景や心情を自分の中にストックしていることが決め手になってくる。カード入れがなければ診察券は浮かばない、御朱印めぐりを知らなければその気持ちもわからない。

発想力をアップするにはどうしたらいいか、と聞かれれば、第一に、この発想を飛ばす先を増やすこと。あまりに言い古された言葉だが、日頃から好奇心旺盛に、いろいろなことを体験し、インプットを増やすことに尽きる。読書やテレビ、ネット情報もインプットだが、ナマの体験に勝るものはない。ナマの体験といっても、街なかを歩いていて発見するものすべてが体験だし、飼っているペットの日々の成長だって体験だ。要は、情報だけで知ったつもりにならず、少しでも興味を持ったものは、一歩踏み出して実際に体験してみるということ。体験は心を動かし、次の好奇心を生み、また体験に繋がる。

第二に、これもまたあまりに言い古された言葉だが、日頃からアウトプットをすること。noteを書くのもいいし、日記をつけるのもいいが、一番簡単で一番効率がいいのは、人と話すこと。人と話すことで体験したことが認知されインプットされるからだ。

人は誰でも朝から晩まで何かしら体験しているわけだが、その体験が、発想の飛ばし先としてインプットされているかというと、そうはいかない。『チコちゃんに叱られる!』じゃないが、だいたいはボーッと生きている。人と話していると、例えば、「さっき見た夕陽が恐ろしく紫だったんだよ。蛍光パープルみたいな」と聞いたとする。そう聞くと「そう言えば、昨日の夕陽も紫だったよ」と紫の夕陽を見た体験が自分の中に形作られる。その会話が印象に残って数日後にまた夕陽を見た時に写真に撮るかもしれない。「思わず立ち尽くしたよ」と友達にメッセージするかもしれない。どういう条件で紫の夕陽になるか気象について調べるかもしれない。これで、ボーッと流れてしまう体験が、ひとつ、形として残る。情景や心情を認知することで、時には言語化することで、インプットになる。

それでも、インプットした体験は、自分の中に、ずっと残っているわけではない。次々に記憶から抜け落ちてしまうが、それはそれでいいのだと思う。企画のネタやタイトル案などはメモをしておくことを勧めているが、いろいろな体験をいちいちメモしておくのはキリがないし、メモを見ないと忘れてしまう体験には、発想は飛んでいかない。人間の記憶はよくできていて、忘れてしまう体験はそれまでのこと。強いインプットは忘れたくても忘れないし、インプットした意識がなくても、何かをきっかけに蘇る体験もある。忘れられてしまう体験、長く残る体験、潜在的に残っている体験、その濃度も含め、インプットされたものは自分だけの財産だ。

「人と話す」アウトプットは、体験をインプットする以外に、企画やタイトルを考えている時にも、大いに効果がある。単純に反応が見られるし、貴重な意見も聞ける。話しているうちに考えがまとまったり、何か思いつくこともある。実際、酒の席で盛り上がって決まる企画も幾度となく見てみた。

「企画が通らない」「すごくいい企画なのに全然わかってくれない」と上の文句を言っていた若い頃に先輩編集者に言われたことがある。「目の前の人を説得できない企画なんて読者に届くわけがない」。確かに、その通りで、目の前の人、ひとりを「おおー、それ読みたいー」と思わせられない企画が、大勢の読者に「おもしろそうー」と思わせられるわけがない。編集者のなかには、最初から手ぶらで「人と話す」なかから企画を考える人もいるぐらい、「人と話す」ことは大切だと思う。

話を発想力に戻すと、あまりに言い古された言葉をもう一度書くが、たくさんインプットして、どんどんアウトプットするなかで、点と点がつながりやすくなるということだ。小さなインプットと小さなアウトプットでいい。点と点がつながりやすくなると、その質も量も徐々に必ず上がってくる。

編集の仕事はマルチタスク型で、次の号の企画を考えながら、連載の打ち合わせをしたり、取材撮影に行ったり、前の号の校正をしたり、たえずいくつかの仕事を並行して進めている。目の前の仕事と直接関係のない展示会や発表会も頻繁にある。大変ですねと言われるが、それが逆に発想の原動力でもある。一見違うテーマの仕事でも点と点は繋がり、行き来し、新しい発想を生む。だから、編集者がすごいのではなく、インプットとアウトプットを繰り返す編集的な仕事の捉えかたをしていると、発想が生まれやすくなるのだ。実際のところ、かなり忙しくしている時期のほうが発想が次々に生まれる。仕事が途切れて何もしない日々が続くと急激に発想力が落ちていく。

ところで、ゼロからイチを作り出す「ゼロイチ」という言葉があるが、私自身は、ゼロからイチが生まれることなんてないと思っている。自分の中にあるインプットされた点と点が繋がって何かが生まれる。アウトプットしながら繋がりをより明確に形にする。つまり、社会の中にある無数のコンテンツが、誰か人間の想いを通して、新たなコンテンツを生む。そういうことじゃないかと思う。

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