見出し画像

共同体について  自由主義が生み出した「リバイアサン」---歴史の終わり(下)より抜粋

大統領選挙やエベレスト征服が人間の野心的な本性に訴える一方で、現代生活には、認知への欲望に対してもっとありきたりな満足を与えてくれる場所がある。それは共同体、つまり国家より一段下に位置する団体生活である。

トクビルやヘーゲルは、近代国家において公共心を育てる場の中心として団体生活を重要視していた。現代の民族国家では、大衆の市民権は一般に数年おきにおこなわれる議会代表の選挙で行使されるのが関の山だ。政治と言うのは個人とは距離のある非個人的システムであり、そのプロセスに直接参加できるのは、選挙への立候補者か選挙スッタフ、または政治をなりわいとしているコラムニストや論説記者に限られてしまう。このことは、古代の小規模な共和政体が政策決定から軍役にいたる共同体の生活にほぼすべての市民の積極的な参加を要求したのときわめて対照的である。

現代において市民権はいわゆる「仲介機関」---政党、民間会社、労働組合、市民団体、専門組織、教会、PTA、学校の理事会、文芸団体など---を通じてもっとも有効に活用されている。このような市民団体を通して人々は自分の殻を脱ぎ捨て、自分だけの利己的関心事の世界から一歩外へ踏み出すのだ。

われわれの通例の理解によればトクビルは、よりハイレベルの民主政治のための学校として団体生活が役立つと論じたことになっている。だが彼は団体生活それ自体の価値も認めていた。なぜならそれは、民主主義的人間がたんなるブルジョアに堕するのを防ぐからである。民間団体は、それがどんなに小規模であれ一つの共同体を形成しており、人々がいっそう大きな計画のためにそれぞれの利己的な欲求を犠牲にして努力するという「理想」の役割を果たしている。アメリカの団体生活は、プルタルコスが称賛した偉大な徳行や自己犠牲を要求しているわけではないが、もっと大勢の人々がおこない得る「毎日のささやかな自己犠牲行為」をもたらしているのである。

プライベートな団体生活は、大規模な現代民主主義社会のたんなる一市民であること以上に、人々にもっと直接的な満足を与えてくれる。国から認められるというと、どうもよそよそしい印象がつきまとうけれども、それとは逆に共同体の生活では、利害関係や往々にして価値観、宗教、人種などをともにする仲間から個人として認められる。共同体のメンバーは、たんにその当人の普遍的な人間性にもとづいてではなく、自分という存在を作り上げている様々な個人的特質のゆえに認められるものだ。戦闘的な労働組合や地域の教会、禁酒同盟、女権拡張組織、あるいは癌撲滅団体のメンバーは、自分がその一員であることに日々誇りを抱くが、このような団体ではその構成員を個人的な形で「認知」しているのである。

だが、トクビルのいうように強固な共同体生活が民主主義にとっては市民を「最後の人間」にさせないための最良の保証だとしても、その生活は現代社会のなかではつねに脅威にさらされている。しかも、意義深い共同体建設の可能性を脅かしているのはその外からの圧力ではなく、共同体の土台であると同時にいまや世界のいたることろに広まりつつある自由と平等の原理そのものなのだ。

中略

「資本主義経済のダイナミズムと未来社会」
強固な共同体生活は、資本主義市場からの圧力によってもその存続を脅かされている。自由経済の原理は、伝統的な共同体をなんら支えてはくれない。逆にその共同体を極端に細分化し解体させるおそれがある。労働の流動化や教育への需要の高まりにつれ、現代社会の人々は自分が育ち、代々住み慣れた共同体にしがみついて暮らす度合いが減っていく。
資本主義経済のダイナミズムとは、生産の場所と形態のたえまない変動、そして労働の絶え間ない変化を意味し、そのために人々の生活や社会的つながりはますます不安定になってしまう。このような状況のもとでは、人々が一つの共同体に腰を据え、仕事仲間や隣人と末永くつきあっていくのはますます困難になる。人はつねに新しい街で新しい生活設計を立てなければならない。地域性やローカリズムによってもたらされるアイデンティティは減少し、人々は家庭という視野の狭い世界に引きこもりつつ芝生用の家具のごとくに転々と居場所を変えていくのだ。

(↓ここからは日本緑組の強さかな?と思い引用)
自由主義社会とは対照的に、「善と悪とについての言葉」を共有する共同体は、私欲のみ分かち合う社会より強い絆で結びついているように思える。アジア諸国のさまざまな集団や共同体は、これらの国の精神的な自己修練と経済成長にとっても非常に大きな意味をもつようにみえるが、これらの集団や共同体は私的な利害関係にある当事者どうしの契約にもとづいているわけではない。むしろアジア文化の共同体志向は、宗教や、幾世紀にもわたって伝統的に受け継がれたおかげで宗教的な地位を占めるようになった儒教の教えに端を発している。同様に、合衆国におけるもっとも強固な共同体生活の形態も、合理的な私欲というより、むしろ共通の宗教的価値観に根ざしている。ピルグリム・ファーザーズなどニューイングランドに定住したピューリタン社会は、みずからの物質的福利のためではなく、神の栄光をたたえるという共通の関心のために一つに結びついていた。

アメリカ人は自由への希求心の起源を、十七世紀ヨーロッパの宗教的迫害から非国教徒派に求めがちである。しかしこのような宗教上の共同体は、気質においては自主独立心がきわめて旺盛だったにせよ、革命を自由主義の発現として理解した世代にくらべればまったくと言ってよいほど自由ではなかった。彼らはみずからの宗教の実践のために自由を求めたのであって、宗教そのものの自由を求めたのではなかった。今日、われわれはピューリタンを不寛容で偏屈な狂信者とみなしがちだし、現にそうしている場合が多い。トクビルが合衆国を訪れた1830年代にはロック流の自由主義がすでにこの国の精神生活を支配していたが、彼の観察した市民団体の大多数はその根底に宗教を色濃く残し、あるいはさまざまな宗教上の目的を持っていたのである。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?