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【小説】「夜の街の片隅で」(後編)

※前編はこちらから

石田と旅行の約束してから2週間が経ち、4月になった。

僕は昔からいろんなところに1人で行くことが多い。1人でいろんなところに出かけるひとのことを「おひとりさま」と呼ぶらしい。1人で旅行したことを言うとと「え、1人で?」と驚かれる。1人での旅行は僕にとって特別でもなんでもなく普通のことだ。なぜ1人で出かけることが多いのか考えてみた。まず、周りの友だちが結婚して子どもがいるので誘いづらい。大人になってから離れた友だちが多くなった。いや、僕から遠ざけたのかもしれない。

僕らは夜の高円寺の居酒屋で旅行の日程について詰めていた。
「旅行だけどさ、いつにする?」
「上高地の開山っていつだっけ」
「例年だと4月下旬らしいからGWあたりにする?」
「GWか……人多そうだな」
「GWなんてどこ行っても混んでるだろ」
「まぁ、そうか」
「ま、暇だから別にいつでもいいんだけど」
「今何してんの?」
「のんびりしてる」
「たまの休みならいいけど、ずっとのんびりしてたら退屈にならんか?」
「ひきこもらないようにたまに出かけたりしてる」
「偉い」
「働いてないけどな」
「いいんだよそれで。生きてるだけ偉い」
「志低いな、生きてるだけ偉いって」
「生きるために頑張らなきゃいけないこと多すぎて疲れるよな」
「わかる」
「だから旅行先もあえてなにもない上高地ってわけ?」
「そうね」
「なにもないところでボケーとする時間もありだな」
「もう今回の旅行はそれだけでいいや」
「秘境スポット的なところでのんびりか」
「"秘境スポット”もよく見つけてくるよな。本当はありえないんだよ。"秘境”なんだから」
「たしかに"秘境”じゃなくなるな」
「ところでなんで何もない上高地に人が集まるの?」
「んー、映え?」
「あー、日本の原風景的な」
「日本の世界遺産に行っても"まぁこんな感じか”ってなるじゃん。新鮮味がないよね」
「たしかに」
「歴史的建造物だって、行ったところで"ふーんこんな感じか”てなるじゃん」
「まだ自然景観を見てる方がいいな」
「それな」
「あと上高地って避暑地じゃん?」
「みんな暑いの嫌なんか」
「暑いときだけ涼しいところに逃げるのウケる」
旅行の日取りを詰めるはずだったのにいつもこうして話が脱線する。とりとめもない妄想をめぐらせていた。

「てか、はよ日程きめないと」
と、僕は本来の目的を思い出した。
「そうだな、今年の開山日は…4月27日か、26に出発するか」
「26か…有給使うか」
「有給使えるのすごいな。俺のとき有給使わせてもらえなかったわ」
「まじ?」
「担任持っちゃうとなおさらな」
「…………」
ここでようやく、今回石田が旅行しようと提案してきた理由がわかった気がした。前に石田が「自分が自分じゃなくなるような気がして」と、仕事を辞める理由を言っていたがもしかしたらこの旅行で石田は本当の自分を知ろうとしているのかもしれない。大学卒業してから石田と再会するまで10年もかかった。旅行の約束をしてからも僕はいつも通りすごしていた。食べて寝て起きて、会社に行く。書類をつくり会議に出て人に会う。電車の中で本を読んでときどき笑う。ときどき黙り、ときどきあくびを噛み殺す。石田と再会してからというものの、どこか身体が宙を舞っていて足元が遠くに見えた。久しぶりに会う友だちはみんな頑張って働いて、役職をもってて結婚して子どもも産まれて、着実に人生を歩んでいるのがわかる。比して石田に会ってあの頃と変わってない安堵の気持ちもありつつ、どこかで僕と石田で何か違う壁で隔てられているような気がした。僕はその答えをまだ知らない。今回はそのための旅行かもしれないとこのとき思った。

「そういえばさ」
と、石田が突如切り出した。
「何で行くの?新幹線?」
「じゃない?」
「新幹線で行くのおもしろくないよなぁ」
「なぜに?」
「時間が経てば勝手に着く文明の乗り物に乗って何がおもしろいの」
「自らの足で歩く方が良いとでも?」
「歩くとまではいかなくても、せめて車だな」
「せめての意味がよくわからないのだが」
「時間かけて行く旅がいいんじゃん」
「暇の極みだな」
車で行くのは乗り気ではなかったが、レンタカーを借りて行くことにした。このときいた高円寺の居酒屋で僕たちは、たしかな友情を今になって育んでいたのかもしれない。

4月26日20:00、僕は石田を乗せて上高地をめざして車を走らせた。レンタカーを提案してきた石田は偉そうに助手席にドカンと座っていた。高速を使えば東京からなら3時間で着くが、僕たちは下道で行くことにした。これもまた石田の提案だ。なぜそんなに車だったり、下道だったり、こだわりがあるのだろうと思っていたが、どうせ向こうに着いたところでなにかするわけじゃないのだがら急いで行っても仕方ない。というのが石田の理屈だ。それは確かにごもっともだが、運転手が僕1人だけなのが気に食わなかった。仕事柄、営業で運転したりするから運転に関してはそんなに苦ではなかった。

フロントガラス越しに見た、4月の夜空。哀しいくらいに黒く澄んでいた。昨日見た快晴が嘘みたいに。2人して国道を走らせ、東京を抜けてしばらくすると市街地からはずれたどこかの道端で休んでいた。どこか寂しげで交通量もみえないところだった。小刻みに点滅するハザードの音が寝静まった街に鳴り響いた。
「なぁ」
スマホをいじっていた手をとめて石田の声に耳を傾ける。
「お前ってこれからどうしていきたいの?」
「なんで?」
「俺が仕事辞めるって言ったときお前言ったじゃん。"これからどうしていきたい?”って」
「あぁそのことか」
「だってお前33になってもまだ結婚もしてないでしょ?」
「石田だってそうじゃねぇか」
「お互い、悠々に生きてんなー」
「悠々に生きているほうが楽だろ」
自分がこれからどうしていきたいか、今この場では答えが出なかった。ハザードの小刻みな音が鼓動となって自分の中にこだましていた。

また車を走らせ、名もなき道から幹線道路へとハンドルを向けた。まだまだ先が長い。静まり返る車内で石田は
「曲流していいか?」
と、言いiPhoneから音楽を流した。

遥か空に旅客機 音もなく
公団の屋根の上 どこへ行く
誰かの不機嫌も 寝静まる夜さ
バイパスの澄んだ空気と僕の町

泣かないでくれダーリン
ほら明かりが
長い夜に寝付けない二人の額を撫でて
まるで僕らはエイリアンズ
禁断の実 ほおばっては
月の裏を夢見て

「これ知ってる?」
「いや、知らねぇな」
「知らんかぁ」
「なんて曲なの」
石田らしからぬ選曲で驚いたが、正直興味は無いのだけど一応聞く
「KIRINJIのエイリアンズだよ」
「ほーん」
「今の状況にピッタリだろ。夜の街を車で走らせてさ」
「まぁたしかにしっとり系の曲だから夜のドライブにあうかもな」
時刻をみたら0時を回っていた。道路標識を見たら「高崎まで10km」とあった。初めて今群馬にいることがわかった。夜の街を走らせても外の景色は暗くて何も見えていなかった。ちょうど道の駅を見つけたので休憩がてら立ち寄ることにした。眠気覚ましに買っていたガムやコーヒーを切らしていたのでちょうど良かった。自販機でBOSSのエメマンを買って夜風に当たっていた。なんと不思議な時間だろう。コーヒーの味がちょっとニガい。
「お前ってコーヒー飲むんだっけ?」
「いや、眠気覚ましに買っただけ。普段は飲まねぇな」
「コーヒー1本の味ってシチュエーション次第で変わるよな」
「そうかね」
今飲んでいるコーヒーの味は少し甘い。出発してから4時間が経とうとしている。まだ群馬にいることに驚いているが、別にどうでもいいことだった。

「お前って夢ってあるの?」
「……なんだよ急に」
「働いては帰って寝るだけの生活でこんな歳まで生きてきて、もうことさら夢なんてねぇなと思ってさ」
「……石田って何してる時が1番幸せ?」
「…………今かな」
「…………!」
「なんか…こうしてるときが生きてるって実感するよ」
「大変だったんだな」
「上高地に行きたいって言ったけど、別にどこでもよかったんだよね」
「えぇ…!?ここまで来といて……」
「いや、そうじゃないんだ。車でどこか遠くに行きたいと思ってさ。2時間や3時間では行けない、どこか遠くに」
「……そう。いや、でも、こういう旅もいいかもな」
夜の街の片隅で、僕たちしかいない街で、僕たちの間に隔てられていた壁が壊れる音が聞こえた。今まで抱えていたなぞの気持ちの整理を前に、勝手に向こうから壁が崩れてきた。このドライブで石田は多くを語らなかったが、着実に石田の中で未来への道をつくっていた。僕はこのとき忘れていた感情を思い出した。僕も石田も、生きてきた人生は青年とおっさんの狭間の不明瞭さが漂っていた。この人生に何と名前をつけようか。別に世界が変わってほしいわけではないが、新しい風が吹くことを願う。

「大人になっても青春ってあるんだな」
「あぁ、そうだな」
「よし、帰るか!」
「おう」

今日までの僕らの時間は終わった。そして明日からは。僕たちは何も見えない未来を誓い合った。

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