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 ピアニストのフジコヘミング氏が亡くなった。92歳だったという。彼女の演奏は実は大学院にいた頃に大学が企画したオンライン演奏会で聴いたことがある。その時は確かショパンのソナタに彼女の代名詞とも言えるラ・カンパネラなどを弾いた。はっきり言ってしまえばミスタッチもあったしおぼつかないところ、楽譜が飛んでしまったところもあった。ここ数年は病とも戦っていたこともありなかなか昔のようには弾けないこともあったという。だがそれでも私は今でも彼女のたった一度のその演奏が昔から何度も繰り返し聴いてきたCDと同じくらい記憶に残っているし、当時先行きの見えない情勢下でありながらも曲と対話を重ねて演奏しようとする彼女の心持ちが演奏にそのまま現れており、大変に感動したのである。



 私はたくさんのマエストロや技巧派の演奏を沢山聴いていくうちに思うことがあった。飽きてしまったのである。身も蓋もないことを言うと、技術のあるピアニストは世界に何十人何万人もいる。現代のピアノ界では正確無比さ、作者の意図への忠実さ、感情表現の豊かさ、これらを両立できるだけのテクニック、特に超絶技巧がもてはやされる。コンクールを足掛かりにして音楽界で順風満帆に成功を収めたエリートは多い。しかもマスコミや雑誌などはそのような人物が若いほどもてはやす。これまでに何人もの神童が生まれ、神童を卒業していった。フジコヘミング自身もかつて天才少女としてもてはやされていたが、聴力を失うなどして長らく表舞台に出ることはなく細々と音楽教師としての活動を続けていた。
 
 そして更に身も蓋もないことを言ってしまうと、技術のある人だけが集まるコンクールを聞いても、どれも上手く聞こえてしまうから面白みがない。ピティナピアノコンクールに至っては楽譜に忠実であることが求められるため学習者としては役立つのだが、演奏を聴いていてもみんな同じに聞こえる。筆者はかつて独自の解釈を先生と作り上げていったもののあえなく落ちたことがある。
 そんな環境下で演奏が人々の目にとまるかどうかは運や趣向次第なのだろう。技術のある人ですら埋もれるこの界隈であれば、逆に技術がおぼつかない人は言うまでもない。それでもピアノや音楽が好きだという気持ちで長く続けてきた人も多いが、表舞台に出ることはあまりない。中には志半ばで折れたものの音楽や芸術を愛する思いがやめられない、そんな人もいるだろう。これは音楽だけでなく恐らく美術でも同じようなことが起こっているだろう。また、ピアニストに限らず芸術家にとってミス=許されないものだから心が折れることは多い。私もそれで心が折れたことは数えられない。それ以上に練習をサボっていたから当然なのだが、少なくとも音楽と書道どちらでも上手くいかずに心が折れたことは数え切れない。


 フジコヘミングの演奏は年を取るにつれて脳内での理想と現実の指の動きが乖離することも多かったかもしれない。それが時には酷評を招いたこともある。だが彼女は決して折れることはなかった。それは波乱万丈な人生を送るなかで培われた高い精神力に起因するのだろう。彼女が偶然見つかったことの意義は大きい。そのまま何事もなくうまい人として人生を終えた可能性もあるだろう。これも運命のめぐりあわせなのだろうか。彼女の波乱万丈な人生経験を経て紡がれる音は、他のピアニストにない感動をもたらしただけでなく、あまり表舞台に出ることのなくともピアノや芸術を愛する人の後押しになったに違いない。誰よりも勇気と強い意志のあるピアニストだったのではないだろうか。彼女は時に賛否両論を巻き起こす自身の演奏についてこう述べたという。

「ぶっ壊れそうなカンパネラがあったっていいじゃない。私は繊細でぶっ壊れそうな芸術家が好き。少しくらい間違ったって構やしない、機械じゃあるまいしさ」

 彼女の演奏から学ぶことは多い。技術を極めた人の演奏が素晴らしいのは本当だが、彼女が長年ラ・カンパネラというピアノ界屈指の難局に挑んできたその証こそが、決して同じ姿をしていない複製不可能な芸術作品としての価値を生み出し、多くの人の心を打ってきたのだろう。岡本太郎は言った。芸術とは根源的なものから生まれるものであり、芸術とはうまいか下手かよりも思いの強さやこれまでにないものを作りだしたかどうかが重要である、と。彼女の演奏は変わることも多かったが、芯は最後まで変わらなかった。


 複製技術かとも見まがうほど、機械やTASさんの如く正確無比なピアニストの数が増えていること自体は非常に好ましい。だが彼女のように人間味と慈愛の精神に溢れるピアニストがこの世を去ったことは、私にとって技巧派ピアニストが多く誕生し時代を席巻すること以上に寂しいことである。まず彼女のことを見つけてくれた人や環境があったことに感謝したい。同時に、わたしは結局どんなに物事を理性の尺度で測ろうとしても結局人々の振る舞いが気になるし、そんな人々の振る舞いが芸術文化に触れて変化するのを見るのがとても面白い。そしてフジコヘミングに魅了されて未経験から生涯をラ・カンパネラに捧げた漁師徳永さんのような人々が増えることが真の芸術文化による豊かな社会なのだろう。私自身もそんな芸術家になりたい。私はフジコヘミングのことをまだそこまで知らない。だが私のミッションは、先人の残した芸術文化という答えが見えないものを挑戦し、楽しむという態度を伝承し、実践すること。

参考

正直なことを言うと徳永さんは指が非常に大きく見えた。フジコヘミングも同じである。羨ましい。ただ未経験の徳永さんが7年かけて弾けるようになった。経験者の私が折れる理由はない。

夢かなうまで挑戦。


合掌。ノースザワニッパー

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