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人と地球のデータ革命 - 宮田裕章先生「共鳴する未来 - データ革命で生み出すこれからの世界」の感想にそえて

宮田裕章先生が10月に出版された、「共鳴する未来 - データ革命で生み出すこれからの世界」を読んで感動したので、その感想と気候変動の関連について述べる。

データを、社会の「所有財」ではなく「共有財」として定義し、そこから生まれる多様な価値を、経済の新しい駆動力にしていくという「データ駆動型社会」は、希望だけでなく実現性の詰まった新しい理念だと感じた。Googleを始め、アメリカの巨大ITプラットフォーマーがほぼ無償で私たちの利用から様々なデータを吸い上げ、データを独占することで価値までも独占している。

「個人の価値、市場の価値、社会の価値、未来課題を実現するという『四方よし』」をデータ共創社会が作られるというビジョンについても、強く共感した。これまで社会が蓄積してきた様々な知識だけでなく、経験などの暗黙知もデータ化し、属人的から解放された幅広い使われ方をすることで、社会の様々な困りごとが、別の場所で生まれた知恵を用いて解決できるという姿を思い描くことができた。一人では解決の難しい問題でも、社会の共有知を使うことで、その問題の解決までのプロセスを見通しよく設計することができ、今必要なリソース・これから行うべきことをデータからガイダンスを受けることができる。すべてをデータとアルゴリズムに依存するということではなく、社会問題や環境問題に対しては全体像を定量的に把握した上で、ベストな解を設計するのはコンピュータに依る計算が得意な場合もある。その解をリファレンスとし、心のこもった人やガバナンスの必要な部分のみ人が対応することで、人の活躍する場を活かしつつ、課題解決を素早く行うことができる社会になっていくものと想像した。

「ヨーロッパでは、データに関する権利は、所有権ではなく、人格権として捉えられる傾向が強い」という点は驚きだ。つまり、個人に属するデータはあくまで個人のものであり、権利行使も個人が判断できるようにするというのがヨーロッパのGDPR(一般データ保護規則)だ。データは共有されるからこそ価値を発揮するものの、個人のデータは個人の人格や尊厳を持っているという哲学があれば、個人のデータ利用も、個人へのデータ利用も、よりガバナンスの強いシステムを設計しなければならないのだろう。宮田先生はその点も強く意識しており、そうすることで信頼性の担保につながると述べられている。データに依る判断はあくまでリファレンスであり、優先されるべきなのはあくまで自己の価値観と判断であることも強調している。
データが現実的な価値を持ってきた以上、データ独占に依る価値独占、ひいては社会のコントロールは許されない。「デモクラシー・バイ・デザイン」とは対談コラムの中で山本龍彦先生が言われた言葉だが、まさに社会の様々なアクターによりデータによる民主主義の再構築が求められているのだと、強く感じた。

「GDP」から「持続可能な共有価値」へ ― シェアリングエコノミーに代表される、GDPに反映されにくい価値に対する新しい指標が必要とされている。環境や健康などの共有価値を可視化することで、データを共有することでグローバルな「共通言語」になり得る。SDGsのように、GDPに反映されない新しい価値がグローバルスタンダードとなりゆく中で、社会のKPIをどのように測るかは、もはや一つの指標ではありえない。多元的な評価指標を機能的に社会が利用するようになることで、個人・コミュニティレベルの「社会貢献を組み込みながら、経済活動を回していく」ことができるようになる。システム設計には様々な準備が必要になるが、「多元的な評価指標」だからこそ、全体を包括する必要もなく、ある範囲でのサイクルが回るようになれば成立するはずなので、小さく修正しながらシステムを設計していくこともできるだろう。修正を繰り返しながら少しずつ良くしていく「アジャイル開発」の威力が、ここで発揮される。

これまでリアルの資源のみを価値としていた社会は、その所有権を競い合い、経済指標というひとつのステージの上で競い合う社会だった。しかし、データによる多元的な評価指標の上では、「人々が自分の得意な分野で価値を実現するために『生きる』人生に転換する」ことができる。一人ひとりが生きる経験が実際の価値に転換され、それがお金ではない生きるリーソスとなっていけば、世界の各地で問題になっている経済的貧困も解決できるようになるかもしれない。

この宮田先生の考え方を、気候変動問題に当てはめて考えてみたい。気候変動は、少し前までは地球温暖化と呼ばれることが多かったが、地球環境の急速な人為的変化である。1980年代に生まれた概念であり、それがようやくビジネス世界で対応され始めるまで、40年ほどかかってしまった。しかし、今では世界各地で森林火災や干ばつ、豪雨など様々な気象災害が発生している。気候変動による影響については、長らく研究界から警鐘を鳴らされていたにもかかわらず、温室効果ガスを出し続け、この有様である。

この一つの要因は、研究におけるデータが広く利用されて来なかったから、という考え方はできないだろうか。政治的・経済的な闘いを抜けて、今では気候変動へ対応することが社会全体の合意となってきたが、より多くの人が研究のデータを自由に利用できる状態にあったなら、より早い対応ができたかもしれない。

環境問題は、人間が自然を改変した結果が人間にフィードバックして悪影響を与えることで、初めて問題と認識される。かつての公害問題や、オゾン層の破壊、海洋プラスチックの問題など、誰かが見つけその事実と人への影響が広く知られるようになって、初めて行政や企業が対応してきた。問題解決に至るまでに費やした年月の間で、多くの被害が出てきたことは言うまでもない。海洋プラスチックや気候変動、生物多様性の現象などは、まだ問題の全体像もつかめていない。

この問題に対して、このIT化された社会では、データができる役割があるはずだ。今やGoogleを始め、グローバル企業は人や社会、自然のありとあらゆるデータを収集している。分析も、AIを使えば自動的に必要な情報を取り出せる。つまり、自然の有意な変化も昔よりずっと早く検出できるようになっているのだ。

人が自然のデータをじっくり観察し、そこから有意な変化・人にとって重大な影響を検出し、証明するまでには膨大な時間がかかり、それまでに多くの犠牲を出してしまう。人口はまだまだ増加を続け、自然の改変もまだまだ続くだろう。私達がまだ知らない問題が今既に眠っているかもしれないし、これから出てくるかもしれない。新しい感染症は、人類が初めて踏み入れる世界にいるウイルスなどと触れ合うことで、これからも新型コロナウイルスのような事例が発生することが危惧されている。自然のデータをより自動的に・精緻に監視し続けることで、人への影響をより早く察知し、影響を最小限に抑えることができるのだ。

宮田先生は人や社会のデータに重点を置かれていたが、そこにはぜひ「地球」のデータも加えて欲しい。地球のデータをデータ革命に加えることで、地球という惑星における人とのバランスと調和についてより理解が深まり、研究者だけでなく、より多くの人がリアルタイムで事実を知ることができるようになる。誰ひとり取り残さず、地球という惑星において持続可能に生き続けること。SDGsも目指すビジョンを、人と地球のデータ革命によって、より明瞭に捉えることができるようになると考えている。



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