23.山地剥(さんちはく)~戦略的撤退①

六十四卦の二十三番目、山地剥の卦です。
爻辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/nfea5e2bba36a

23山地剥

1.序卦伝

飾を致して然る後に亨れば盡(つ)く。故に之を受くるに剥をもってす。剥とは盡くるなり。

前の山火賁の卦は、外面を飾り立てる卦でした。飾るということは、人間関係を円滑ならしめる「礼儀」でもあり、「彩(あや)」でもあります。本質ばかりを剥き出しても無骨すぎるのです。ですから飾を活用することによって、物事の成就がスムーズに運ぶ、ということは確かに有り得ます。

しかし、飾が過ぎた後にやって来るのは、退廃です。物事が過ぎれば、最後には尽きてしまうのです。剥げ落ちてしまうのです。ですから、山火賁の後には山地剥の卦が来るのです。

2.雑卦伝

剥は爛(ただ)るるなり。

上九の爻辞に「碩果(せきか)食はれず。」とあります。収穫されずに残ったままの果物が爛熟して地面に落ちようとしているのです。陽の勢いが衰え果てて、今まさに滅びようとしている様子を喩えたものです。

3.卦辞

剥は往く攸有るに利しからず。

山地剥の「剥」とは、文字通り「剥ぎ取る」「剥ぎ取られる」の意です。

その意味するところは、詳細を申し上げるまでもないでしょう。卦の形をみれば一目瞭然だからです。陰の勢力が下側から段々と増長し、五爻目の位置にまで達しております。残る陽の勢力は、一番上の六爻目のみです。

陽の勢力は、もはや風前の灯火です。ここまで来たら、もう成り行きに任せるしかありません。ジタバタと足掻いたところで、無駄です。成すがままに任せて、無駄な足掻きをしないことが最も時の宜しきに叶うことなのです。真冬の到来なのです。真冬は永遠には続きません。必ず春は来るのです。ここで無駄に足掻いて真冬の到来を遅らせるよりは、むしろさっさと真冬にすることによって、春の到来を一日でも早めることが得策なのです。

艮の山が上で、坤の地が下です。大地の上に悠々とそびえ立つ富士山のような光景ではありません。今にも崩れ落ちそうな山なのです。山が崩れて平地になろうとしているのです。艮の徳は止まることであり、坤の徳は柔順なることです。前に向かって進むべき理由はないのです。

二爻目と五爻目、中徳の位置は共に陰爻に抑えられています。オセロの四隅を取られたようなものです。賢人は身を隠して、春の到来を待つことに徹するべきなのです。

4.彖伝

彖に曰く、剥は剥ぐなり。柔、剛を変ずるなり。往く攸有るに利しからずとは、小人長ずればなり。順にして之に止まる。象を観ればなり。君子は消息盈虚(しょうそくえいきょ)を尚(たっと)ぶ。天行なり。

山地剥の剥とは、剥ぐことです。この卦は、まるでオセロのように、下から陰爻に変じていき、最後に一枚分だけ陽爻が残っている形です。賢人の敗北、小人の勝利です。ここは潔く、敗北を認めて逃げ去るべきです。

しかし、人生の全てが敗北したわけではないのです。これは戦略的撤退なのです。ここで踏ん張ろうとすればするほど、墓穴を掘るだけなのです。

消息盈虚とは、欠けるときは欠け、満ちるときは満ちるという天の運行法則です。真の君子は、この盈虚の道を貴び、進むべきときは進み、退くべきときは退くのです。新月は半月経てば必ず満月になります。西に沈んだ太陽は半日経てば再び東から昇り始めます。冬は四半期経てば必ず春になります。これが天の運行です。人の道もまた然りです。

5.象伝

象に曰く、山、地に附(つ)くは剥なり。上以て下を厚くし宅を安んず。

高くそびえ立っているはずの山が萎え崩れて、大地にべったりと付きそうになっている形が山地剥です。

君子はこの卦をみて、下にある人民に恵みを厚くして生活を安泰にしようとします。根本が脆弱であるからこそ、上がぐらついて剥ぎ落とされるのです。下々を顧みて、これを厚くすることによって、自分自身の地位も安泰になるのです。下を厚くするとは、大地の分厚いことを喩えたものであり、宅を安んずるとは、山の本来の形はどっしりと構えて動かないことを喩えたものです。

6.十二消長卦

山地剥は、陰の勢力が卦の全体を支配する寸前まで到達している状況です。もはや陽の勢力は風前の灯火です。

この卦を過ぎると、全て陰爻である坤為地となります。

そこから徐々に陽の勢力が息を吹き返すのです。それが坤為地の次に来る地雷復です。来るべき地雷復を予見して、ここでいったん君子は戦略的撤退を選択するのです。

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