40.雷水解(らいすいかい)~春の雪解け②

六十四卦の四十番目、雷水解の爻辞です。
卦辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/n49210e762be2

40雷水解

主爻

主爻は、九二です。剛強なる才能をもって、九四・六五と共に陰なる小人を取り除くのです。

初六

咎无し。
象に曰く、剛柔の際(まじわり)、義、咎无きなり。

咎はない。

陰爻にして不正、志正しからぬ小人ですが、解の時にあって九四と応じ、かつ九二と比し、陽剛なる賢人との交わりによって心掛けを改めるのです。

九二

田(かり)して三狐(さんこ)を獲、黄矢(こうし)を得たり。貞にして吉。
象に曰く、九二の貞にして吉なるは、中道を得ればなり。

狩りに出て三匹の狐を得、かつ黄金の矢じりを得る。正しい道を堅く守り通せば吉。

三匹の狐とは、六五を除く陰爻すなわち初六・六三・上九を指します。天下に蔓延り国家を乱す小人を九二が取り除くのですが、激烈に過ぎては反撃を食らいます。中徳をもって、矢が真直ぐ飛ぶが如く正しい道を貫いて射るのです。黄金は五行の真ん中、中徳の象です。

六三

負うて且(か)つ乗る。寇の至るを致す。貞なれども吝。
象に曰く、負うて且つ乗るとは、亦(また)、醜とす可きなり。我より寇を致す、又誰を咎めんや。

荷物を背負うべき小者が身分をわきまえずして馬車に乗る。その身に災いが降るであろう。たとえ正しい行為であっても吝である。

六三は天下を乱す悪人の一人であり、九四に媚びを売って不相応なる身分にあります。これは恥ずべきことであり、やがて人々の嫉妬を招いて、得たものを奪われるのです。その身分が正式なる手続きによって得られたものであるとしても、心がけは吝なのです。

六三(繋辞上伝)

繋辞上伝の第八章より抜粋します。

子曰く、易を作る者は、其れ盗を知るか。易に曰く、負うて且つ乗る。寇の至るを致すと。負ふとは、小人の事なり。乗るとは、君子の器(き)なり。小人にして君子の器に乗れば、盗、之を奪はんことを思ふ。上には慢にして下には暴なれば、盗、之を伐たんことを思ふ。蔵を慢にするは盗を誨(おし)へ、容を冶(かざ)るは淫を誨ふ。易に曰く、負うて且つ乗る。寇の至るを致すと。盗を之れ招くなり。

孔子曰く、易を作られた昔の聖人は、人の物を盗み取ろうとする者の事情をよく知っている。易の言葉に「負うて且つ乗る。寇の至るを致す」とあるが、物を背負うことは、身分の卑い小人の仕事である。乗るとは、身分の高い君子であることを表すところの馬車である。卑い者が身分をわきまえずして馬車に乗るときは、盗賊はこれを奪い取ろうとして乱を起こす。上に対して怠慢かつ下に対して暴虐であるときは、盗賊はこれを討伐しようと思うことになる。倉庫の戸締りを疎かにするときは、盗賊にそれを盗めと教えるようなものであり、婦人がお洒落をして容貌を飾るのは、男に淫心を起こすことを教えるようなものである。つまり乱賊盗賊が悪いのではなく、自分の仕方がよくないために、彼らを招き寄せたのである。

九四

而(なんじ)の拇(ぼ)を解け。朋(とも)至りて斯(こ)れ孚とせん。
象に曰く、而の拇を解けとは、未だ位に当らざればなり。

己の足指にまとわりつく不快なるものを解きほどくがよい。さすれば信ずべき友は来たりて孚を得られよう。

而は九四、拇は六三です。震卦は足の象、六三はその下にある足の指です。九四も、比する六三も、応ずる初六も、いずれも不正位。不正なるものがまとわりつくのです。汚らわしい関係を断つことによって、やがて六五や九二との清い関係を構築し得るのです。

六五

君子維(こ)れ解く有り。吉。小人に孚有り。
象に曰く、君子解く有りとは、小人退くなり。

賢人君子が天下の艱難を解きほぐす。吉。小人は退いて心を改めるであろう。

賢人君子は九二と九四の陽爻であり、六五の天子は陰爻ですが中位、自分以外の心掛け正しからぬ陰爻を、寛大なる心をもって処置し、小人たちは心を改めるのです。

上六

公用(も)つて隼(はやぶさ)を高墉(こうよう)の上に射る。之を獲て利しからざる无し。
象に曰く、公用つて隼を射るとは、以て悖(もと)れるを解くなり。

高貴なる者が、高い塀の上から隼を射る。天下のもつれを解きほぐすためであり、宜しからぬはずはない。

公とは九四を指し、隼は上六の小人を指します。卦の最上位にありますので、高い塀の上です。互卦の坎は矢の象であり、高貴なる九四は弓矢をもって宮廷に残る最後の小人を平らげて、ようやく解の時が実現されるのです。

上六(繋辞下伝)

繋辞下伝の第五章より抜粋します。

易に曰く、公用(も)って隼(はやぶさ)を高墉(こうよう)の上に射る。之を獲、利しからざる无し。子曰く、隼は禽なり。弓矢(きゅうし)は器なり。之を射る者は人なり。君子、器を身に蔵(おさ)め、時を待ちて動く。何の不利か之有らん。動きて括(むす)ぼれず。是を以て出でて獲(えもの)有り。器を成して動く者を語るなり。

解の卦の上六に曰く「公用って隼を高墉の上に射る。之を獲、利しからざる无し。」と。
孔子曰く、隼は禽獣である。これを射るところの弓矢は道具である。これを射るところのものは人である。(すなわち人があって道具があって初めて獲物を獲られるのである。)君子は用に立つべき道具すなわち道徳才能を自分の身に備えて、そうして時の宜しきを待って初めて動くのである。それゆえに君子が動くときはいかなる場合にも宜しからぬことはないのである。動くときは滞らずして自由自在である。それゆえに、出でて事を行うときは必ず獲物がある。すなわち道具を成して、かつ時機を待って動くということを教えられたのである。

まとめ

未だ天下は解かれておらず、険阻なる状態が解きほぐされる途上にあります。具体的には初六・六三・上九の小人がはびこっており、これらを取り除いて回心させることが最後の仕上げになるのです。

初六は比する九二と応ずる九四に感化されて心を改めます。

六三は不相応なる身分を好ましく思わざる人々によって排斥され、かつ六三を推戴した九四は六三との縁を断ち切ります。

上六は、宮廷の中にあって最後まで居残りますが、やがて九四によって矢を射られて取り除かれるのです。

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