33.天山遁(てんざんとん)~戦略的撤退①

六十四卦の三十三番目、天山遯の卦です。
爻辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/n0b2319b6c663

33天山遯

1.序卦伝

物は以て久しく其の所に居る可からず。故に之を受くるに遯を以てす。遯とは退くなり。

雷風恒の卦は夫婦関係を比喩として、長く久しく有り続けることを説くものでしたが、現実の世は常に流転するものであって、いつまでも同じ状態を続けるわけにはいきません。

よって、恒の卦の後には天山遯の卦が来ます。遯とは退くことです。

2.雑卦伝

遯は則ち退くなり。

君子はいたずらに進むばかりではなく、折を見て退き、時機の来たるを待つべきことを説いているのです。

3.卦辞

遯は亨る。小は貞しきに利し。

天山遯の「遯」とは、逃れることです。

なぜ逃れなければならないのかというと、邪悪なる陰の勢力が伸長しているからです。陰の勢力の兆しはとっくの昔に現れていたのですが、泰平なる乾為天の時に惰眠を貪り、油断していたのです。不穏なる兆しを察知することができなかったのです。

その兆しは既に天風姤の時点で現れていたのですが、いや、更に厳しいことを言うならば、乾為天の時点でその兆しがやがて現れるであろうことを前提としたうえで何らかの備えをすべきだったのですが、それを怠ってしまったのです。

今のこの状況は、天地否の一歩手前です。天地否は「閉塞」の卦です。天下を閉塞感が覆う状態です。すなわち天山遯は、天地否の兆しでもあるのです。

初爻から陰なる小人がニョキニョキと生え始め、それが二爻目まで達しているのです。この陰なる小人は勢い付いているのです。君子がその勢いを止めることは、甚だ難しいのです。

このような状態であるときは、陰なる小人と正面切って対峙してはならず、戦略的撤退をするのが最善なのです。

外卦は乾の卦、内卦は艮の卦です。乾の卦は剛強にして勇ましいのですが、艮の卦は止まっております。山はどれほど高くとも、天まで届くことはありません。富士山やエベレストのような高い山は、あたかも天とくっ付いているのではないか、と錯覚するほどでありますが、その実は余りにも遠くかけ離れているのです。

隠遁も、かくあるべきなのです。小人の側からみて、今にも追い付きそうであるけれども、その実はなかなか追い付かない、そのようであるべきなのです。

ところで、本当に、その名の通りに撤退しなければならないのでしょうか。プライベートな人生においては、確かにそのような局面はあるでしょう。しかし、ことビジネスにおいて、遯の時だと言って本当に逃げ隠れすることが最善である、という文字通りの局面はあるのでしょうか。

あると言えばあるのでしょうが、それよりも、そのような小人なり障害なりに対して真正面から向き合うことを避ける、ということではないでしょうか。進むべき道は無限にあるのです。小人が行く手を遮っているならば、迂回して別の道を通ればよいのです。必ずしも前進することを止める必要はないのです。

そのようにして迂回するということは、正直なところを言えば本望ではないでしょう。迂回せずに、そのまま真直ぐに進みたかった、というのが正直な思いでしょう。しかし、真直ぐに進むと閉塞してしまうのです。ここは天地否の状態になることを避けることが最優先であると心得るべきなのです。本意と比べれば実入りは減りましょうが、しかし結果としては吉なのです。だから小は貞しきに利し、つまり当初の目論見よりも実入りは小さくなりますが、正しい道を守っていくのですから利はあるのです。

遯の時であるにも関わらず、つまらん人や物事に対して真正面から対峙するというのは、蛮勇であって、まともに相手せず遠回りすることが結果として近道になる、ということを説いているのです。

4.彖伝

彖に曰く、遯は亨るとは、遯(のが)れて而して亨るなり。剛、位に当りて応じ、時と與(とも)に行なふなり。小は貞しきに利しとは、浸(ようや)くにして長ずればなり。遯の時義、大(おおい)なるかな。

遯の時ですから逃れて隠遁すべきではあるのですが、ここでは遯の卦の構造を少し詳細に掘り下げていきます。

勢力が弱まって逃れるべき陽爻を象徴するものは、中位の九五です。そして勢力を強めて拡大途上にある陰爻を象徴するものは、同じく中位の六二です。これら九五と六二が、相応じているのです。

つまり、微妙なる時なのです。逃れよ、と言っておきながら、その一方では打開ないし回復の道を手探りせよ、と言っているのです。遯より前の天風姤の段階では、陰が生じる兆しが見えるのみであり、遯より後の天地否の段階では、既に閉塞に至っております。

この遯の時であれば、伸長する陰の勢力がはっきりと表に現れている時であり、かつ完全に閉塞するに至っていない時でありますから、この状況を打開する機会は全くない、というわけではないのです。

ですから、まずは思い付く限りの手立ては講じてみるべきなのです。その一方で、逃れるべきときは逃れる腹積もりはしておくべきなのです。時と興に行なふなり、とはそのような意味合いです。

そして、小は貞しきに利し、ですが、小は小人のことを言うものである、という解釈も有り得ます。つまり君子は小さい実入りしか得られない、ということではなく、小人が利を得るときである、ということです。

易の主人公は君子でありますから、どうしても君子目線で解釈してしまうのですが、小人目線での解釈も有り得るのです。このような時であればこそ、小人は貞であれ、小人なりの正しい道を歩むがよい、ということです。

君子の度量が試されるときなのです。だからこそ、遯の時の意義というものは、まことに偉大なるものであるのです。

5.象伝

象に曰く、天の下に山有るは遯なり。君子以て小人を遠ざけ、悪(にく)まずして厳にす。

天の下に山があって、その山は天に届きそうであるけれども届かない、それが天山遯の卦です。

君子はこの卦をみて、小人と一定の距離を置いてこれを遠ざけるのです。しかし小人を憎む想いを露わにすることはありません。ただひたすらに、己を律するのです。そうすることによって、小人は君子を敬い畏れて自然に遠ざかっていくのです。

6.十二消長卦

乾為天の卦をもって陽の道は完成し、その瞬間から崩壊が始まります。

天風姤は、その兆しです。表向きはその現象が現れていないのです。表向きの現象として現れた時点で、天山遯となります。逃れるべきか否かの選択を迫られる時です。

もしも逃れたならば、閉塞感が増して天地否となります。

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