61.風沢中孚(ふうたくちゅうふ)~誠実なる心②

六十四卦の六十一番目、風沢中孚の爻辞です。
卦辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/n99f239077923

61風沢中孚

主爻

主爻は九二と九五です。中正にして応じてはおりませんが、応じない者同士が時間をかけて感応すれば、同じ徳が一緒になって、その効果は一層大きくなるのです。

初九

虞(おもんぱか)れば吉。他有れば燕(やす)からず。
象に曰く、初九虞れば吉とは、志未だ変ぜざるなり。

事をしっかりと量り考えれば吉。他に心が移れば安んずることはできない。

初九が心を寄せるべきは、応ずる六四です。それ以外に目移りすれば、心が落ち着きません。だからと言って六四に対して無条件に心を開くのではなく、初めに詳らかに是非善悪を量り、信ずるべきものであると確信を得た後に信ずるのです。

九二

鳴鶴(めいかく)、陰に在り。其の子之に和す。我、好爵(こうしゃく)有り、吾(われ)、爾(なんじ)と之を靡(とも)にせん。
象に曰く、其の子之に和すとは、中心願ふなり。

鳴き声を発する鶴が、陰なる場所(沢)にある。その子(九五)が、親の鳴き声に合わせて鳴く。(子鶴が言うには)我は天より爵位を賜った、我は汝にこれを分かち与えて共にこれを楽しもう、と。

中孚の卦全体は鳥の形、真ん中の陰爻は身体、上下の陽爻は羽根です。互卦の内卦は震の長男、外卦は艮の三男、よって九二を親、九五を子とします。内卦は兌でありますので、九二は沢にある親の鶴です。陽爻同士なのですぐに応ずることはできませんが、時間をかけて相感応すれば、その陽徳はひときわ高い効果を発するのです。

九二(繋辞上伝)

繋辞上伝の第八章より抜粋します。

鳴鶴(めいかく)、陰に在り。其の子、之に和す。我、好爵(こうしゃく)有り、吾爾(なんじ)と之を靡(とも)にせん。子曰く、君子、其の室に居り、其の言を出だして善なれば、則ち千里の外、之に応ず。況や其の邇(ちか)き者をや。其の室に居り、其の言を出だして不善なれば、則ち千里の外、之に違ふ。況や其の邇き者をや。言は身に出でて民に加はり、行は邇きに発して遠きに見(あら)はる。言行は君子の枢機なり。枢機の発するは、栄辱の主なり。言行は君子の、天地を動かす所以なり。慎(つつし)まざる可けんや。

風沢中孚の九二の爻の言葉を指して、孔子曰く、君子(鳴鶴の鶴)が自分の室の中(陰)にあって、何か物を言う(鳴鶴の鳴)のに、その言葉が良い言葉であるときは、千里の外の遠いところ(九二と九五の間)にあるものまでも、これに応じてこれに従う(其の子之に和す)のである。まして近いところにあるものは尚更のことである。もし君子がその室にあって、何を物を言い、その言葉がよろしくないときは、千里の外の遠いところにある人までも、皆これに違い、これに従わないのである。まして近いところにあるものは尚更のことである。言葉は自分の一身から出でて、その影響は多くの人民の上に加わって大いなる影響を及ぼす(其の子之に和す)のであり、行為は極めて近い自分の一身から起こり(鳴鶴陰に在り)、その影響は遠いところにまであらわれて広く天下に大いなる影響を与える(其の子之に和す)のである。
言葉と行いとは、君子が人民を動かし世の中を動かすところの重要なる原動力となるものである。その言葉と行いが外にあらわれるのは、栄誉と恥辱の根源である。言葉と行いとは、君子が天地を感動せしめるところのものであるので、慎重にしなければならない。

六三

敵を得、或は鼓(こ)し、或は罷(や)め、或は泣き、或は歌ふ。
象に曰く、或は鼓し、或は罷むるは、位当らざるなり。

戦うべき敵を得て、或いは太鼓を叩いて(これを攻めようとし)、或いは(攻めることを)止め、或いは泣き、或いは(喜び)歌う。

六三は兌の口であり、口先だけで人に取り入ろうとする、節操のないものです。敵とは応ずる上九と比する六四であり、本来これらと感応すべきところですが、六三は進退するに一定の方針定まらず、喜怒哀楽が常に変わるのです。

六四

月、望に幾(ちか)し。馬匹(ばひつ)亡ぶ。咎无し。
象に曰く、馬匹亡ぶとは、類を絶ちて上るなり。

月が満月になろうとしている(が如く、六四は天子のお側に控える)。馬が自分の仲間を失う(が如く、私党との縁を切って九五に忠誠を誓う)。咎はない。

馬匹とは馬車馬の仲間、ここでは応爻の初九と比爻の六三を指します。互卦の震は馬の象、六四と六三は陰の仲間です。六四は九五のすぐ下にあり、恐懼して慎むべき位置です。以前の仲間との繋がりを廃し、私心なき真心で九五に仕えれば咎はないのです。

九五

孚有り攣如(れんじょ)たり。咎无し。
象に曰く、孚有り攣如たりとは、位、正に当るなり。

誠実なる心をもって、(九二と)堅く手を取り合い結ばれる。咎はない。

九二とは不応ですが、中孚の卦は感応することがテーマであり、不応を乗り越えて真心をもって最後は感応します。中孚の道の完成であり、天下の人々の心もみな堅く結ばれます。

上九

翰音(かんおん)、天に登る。貞なるも凶。
象に曰く、翰音、天に登る、何ぞ長かる可けんや。

鶴の鳴き声のみ、天に昇る(鶴の本体は昇れない)。正しい道なれども凶。

不正位にして行き過ぎ窮まり、能力乏しいにも関わらず名声のみ高い人を喩えます。鳴き声だけは天高く届きますが、その体は高く飛ぶことはできません。名声が高くとも実質が伴わなければ、行いは正しくとも凶です。

まとめ

六三と上九が行き過ぎて悪く、他は良い爻です。

初九は初めに是非善悪を量り考えて六四に忠誠を誓い、六四は旧来の縁故を顧みずして九五に忠誠を誓います。

九二は低い位置にあって言動を良くし、九五はそれに感応して孚をもって天下を心服させます。

六三は弁舌巧みにして言動一致せず、上九は名声のみ先んじて中身が伴わない小人です。

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