51.震為雷(震為雷)~雷鳴の轟き②

六十四卦の五十一番目、震為雷の爻辞です。
卦辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/n4f4a2151138b

51震為雷

主爻

主爻は初九です。天下の烈しい大活動を起こすところの原動力であり、不正の九四よりも遥かに力が強く、他の陰爻を大いに震い動かすのです。

初九

震来たるとき虩虩(げきげき)たり。後に笑言(しょうげん)啞啞(あくあく)たり。吉。
象に曰く、震来るとき虩虩たりとは、恐れて福を致すなり。笑言啞啞たりとは、後に則有るなり。

地震の来たるとき、(人々は)恐れて周りを見回す。後には笑い声が聞こえる。吉。

恐れて福を致すとは、恐れて自戒する姿勢でいれば福を招く、ということであり、後に則有るとは、恐れて自戒することで正しい処し方を得られる、ということです。

六二

震来たるとき厲(あやう)し。億(おもんぱか)りて貝(ばい)を喪ひ、九陵に躋(のぼ)る。逐(お)ふ勿れ。七日にして得ん。
象に曰く、震来るとき厲しとは、剛に乗ればなり。

地震が来たるとき(最も)危い位置にある。これは危いと思い量りて財貨を失いながらも、丘陵に登って(難を逃れる)。(失った財貨を取り戻そうと)追いかけてはならない。七日経てば(再び)得るであろう。

六二は震源地たる初九の最も近い位置にあります。互卦の艮のふもとにおりますので、慌てて貝殻の貨幣を失いながらも登って危険を逃れます。七日とは六爻が一巡して元に戻ることです。

六三

震して蘇蘇(そそ)たり。震して行けば眚(あやまち)无し。
象に曰く、震して蘇蘇たりとは、位、当らざるなり。

地震に恐怖して途方に暮れる。恐れて自戒し正しい道を行けば過ちはない。

不正の陰爻、初九の盛んなる勢いに成すすべもなく、ただ茫然自失しています。これまでの悪事を改めるならば、再び災いに遭うことはありません。

九四

震、逐に泥(なず)む。
象に曰く、震逐に泥むとは、未だ光(おおい)ならざるなり。

震い動かすべき力は泥の中にはまる。

初九と同じく動くべき役割であるにも関わらず、不正であり、上下の陰爻に挟まれて思うように動けず、坤卦の泥の中に挟まっている状況です。

六五

震して往くも来るも厲し。億りて事有るを喪ふ无し。
象に曰く、震して往くも来るも厲しとは、危行(きこう)なり。其の事、中に在り。大いに喪ふ无きなり。

(立て続けに)地震があって行くも来たるも危うい。(しかし中徳を発揮してよくよく)思い量るので、やるべきことを見失うことはない。

初九の大動乱が過ぎたかと思えばまた九四の大動乱があり、気の休む暇もありません。六二は財貨を捨てて山に逃げましたが、天子の立場にある六五は逃げるわけにはいかず、落ち着いて事を処すのです。

上六

震して索索(さくさく)たり。視ること矍矍(かくかく)たり。征けば凶。震、其の躬(み)に干(おい)てせず、其の隣りに干てすれば、咎无し。婚媾(こんこう)、言有り。
象に曰く、震して索索たりとは、中(うち)未だ得ざるなり。凶なりと雖も咎无しとは、隣を畏れて戒(いまし)むるなり。

地震に遭って恐ろしさに元気を失う。ものを見る目はきょろきょろと落ち着きがない。進んで行けば凶。我が身に災いが降りかかるより(前に)、隣に災いがあるのをみて(恐れて自戒するとき)は、咎はない。しかし婚約相手(本来ならば応ずるべき六三)から恨み言を言われるであろう。

柔弱なる陰爻にして能力乏しく、せいぜい隣が慌てふためくのを見て我が振りを直すことしかできません。本来は六三を助けるべきですが、そのような余力はなく、恨み言を言われます。

まとめ

初九と九四が天下を動かす原動力であり、特に初九が力強く、九四は上下の陰爻に阻まれてやや弱いです。

六二と六五は中徳を発揮して上手く身を処します。六二は逃げて財産を失いながらも後に取り戻し、六五は逃げることなく国を守ります。

六三と上六は成す術なく、ただおろおろするばかりです。

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