45.沢地萃(たくちすい)~砂漠の中のオアシス②

六十四卦の四十五番目、沢地萃の爻辞です。
卦辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/nd252bdf9c21e

45沢地萃

主爻

主爻は九四と九五です。この二つの陽爻が衆望を二分するのですが、九四が一歩引いて九五を立てることによって天下は安定するのです。水地比の六四と比較すべきです。

初六

孚有れども終へず、乃ち乱れ乃ち萃(あつ)まる。若(も)し號(さけ)べば一握(いちあく)して笑(わらい)と為る。恤(うれ)ふる勿れ。往きて咎无し。
象に曰く、乃ち乱れ乃ち萃まるとは、其の志、乱るるなり。

(九四と応ずる)誠意を全うすることなく、(縁故のない九五の元へと向かうも叶わず)心乱れて(再び九四の元へと)集まる。もし(九四を裏切ったことを恥じ入って)泣き叫んだとしても(九四はそれを咎めず)握手して笑い合うであろう。憂うることはない。進んで行って咎はない。

本来は九五に付き従うのが正しい道ではありますが、縁もゆかりもない初六がいきなり拝謁することは叶わず、今は縁故ある九四に従うべき時なのです。九四は初六の心を了解しており、ふところ深く迎え入れるのです。

六二

引けば吉。咎无し。孚あり、乃ち禴(やく)を用ふるに利し。
象に曰く、引けば吉、咎无しとは、中未だ変ぜざるなり。

(初六と六三の陰の仲間を)引き連れて(九五の元へ)行けば吉。咎はない。簡素なる祀りの如く(贅沢な供物によらず誠意を尽くした祀り)であればよろしい。

禴は夏祭り、生物が腐敗しやすい時期であり、質素なる野菜類を供えて真心を込めます。

六三

萃如(すいじょ)たり嗟如(さじょ)たり。利しき攸无し。往けば咎なし。小(すこ)しく吝。
象に曰く、往けば咎无しとは、上(かみ)巽(したが)へばなり。

集まるべき時であるのに(応爻なく)嘆息する。宜しきことはない。しかし(比する九四が巽卦の順徳をもって受け入れるので)行けば咎はない。ただし(応爻ではなく比爻に従うのは)少し恥ずべきである。

初六は九四、六二は九五とそれぞれ応じ、六三は上六と不応。幸いにして比する九四が巽順を発揮して交わってくれるのですが、本来の道ではなく恥ずかしいところがあります。

九四

大吉にして咎无し。
象に曰く、大吉にして咎无しとは、位当らざるなり。

大いなる吉にして咎はない(が、位は正しくない)。

初六と応じ六三と比し、九五の天子と勢力を二分する存在です。九四の大いなる働きがあってこその翠の時です。しかし陰位にあり、本来おるべき立場ではありません。身の程をわきまえずして九五を脅かすと、天下を乱すことになるので要注意です。

九五

有位に萃まる。咎无し。孚とせられず。元永(げんえい)貞なれば、悔亡ぶ。
象に曰く、有位に萃まるとは、志未だ光(おおい)ならざるなり。

(天下の人や物が九五の)この位置に集まる。咎はない。しかし(九四の元にも同じく人や物が集り勢力が二分されており、天子に)信服しないものも少なからずいる。しかし元亨利貞の徳を久しく発揮し続けることによって、悔いは滅ぶであろう。

九四と九五が天下を二分する状況にありますが、九四と敵対するのではなく、己の徳を磨くことによって衆望を萃めるようにすべきです。元永貞は水地比の卦辞にもある言葉です。

上六

齎咨(せいし)涕洟(ていい)す。咎无し。
象に曰く、齎咨涕洟するは、未だ上に安んぜざるなり。

(無位無官の立場に安んずることができず)嘆き悲しんで涙を流す。(やがて真心が比する九五に通ずるであろうから)咎はない。

無位無官にして応爻なく、翠の時にあって孤立しております。孤独に安んずべき立場ですが、寂しさが優っているのです。

まとめ

全てが九五に集まる水地比と異なり、九五と九四に衆望が二分されます。故に集まる勢いは高いのですが、制御することが難しいのです。

九四に集まるのは応ずる初六と比する六三ですが、いずれも心ならずです。一方で六二は九五と固い絆で結ばれております。

九四は己の立場が身に余るものであることを自覚し、九五は九四と敵対せず徳の涵養に専念することで、天下は安定します。

自己の内的探求を通じて、その成果を少しずつ発信することにより世界の調和に貢献したいと思っております。応援よろしくお願いいたします。