32.雷風恒(らいふうこう)~恒久不変①

六十四卦の三十二番目、雷風恒の卦です。
爻辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/ne4d4b8f4e884

32雷風恒

1.序卦伝

夫婦の道は以て久しからざる可からざるなり。故に之を受くるに恒を以てす。恒とは久しきなり。

沢山咸に続くのは、雷風恒です。この二つは共に男女の道を表すものであり、咸の卦は若い男女の始まりの道、恒の卦は壮年の久しき道です。

夫婦の道は、長く久しく続かなければなりません。世のあらゆるものは変化していくものですが、夫婦の関係は変化してはなりません。

2.雑卦伝

恒は久しきなり。

雷風恒の卦は、物事が永く久しく変わらないことを意味します。

3.卦辞

恒は亨る。咎无し。貞しきに利し。往く攸有るに利し。

雷風恒は、沢山咸と比較検討すべき卦です。

沢山咸は、外卦の兌の卦が若い女性であり、内卦の艮の卦が若い男性でありました。若い男性が下にあって止まり、若い女性がその上にあって悦ぶ図式です。これはプロポーズであり、若い男女が心を同じくして一つになることを意味するものでした。

雷風恒は、これの後日談なのです。沢山咸が一瞬の感情の高まりで終わってしまってはならないのです。プロポーズが成就した後は、その関係性を細く長く継続させなければならないのです。つまりは夫婦の道です。

雷風恒の「恒」の字は、長く久しいことを意味するものです。恒と常、この二つは共に「つね」と読んで意味を同じくするものですが、常の字は太陽の「日」から来ているものであり、永久不変なるものを意味します。恒の字は月から来ているものであり、永久不変ではありますが、太陽と違うのは、欠けたり満ちたりしているところです。不変であり、かつ始終変化しているのです。

夫婦の道もこれと同じことであり、所詮は他人同士の関係性でありますから、時には喧嘩したり仲直りしたり、思いがけない事故に遭ったり、とにかく色々なことが起こるものです。しかし、とにかく夫婦という関係性だけは、細く長く続けるべきものです。

外卦は震の卦、内卦は巽の卦。震の卦は壮年の男性であり、巽の卦は壮年の女性です。この構図は沢山咸と全く正反対です。

震の卦は動くものです。沢山咸の若い男は止まっておりましたが、この卦の男は外で仕事をするために、外卦で動いているのです。

巽の卦は巽順なるものです。沢山咸の若い女は悦んでおりましたが、この卦の女はへり下って家内を守るのです。そのようにして家庭の道、夫婦の道は長く久しく守られていくのです。

この卦でいうところの夫婦の道は、言うまでもなく比喩です。諸行無常の世において、恒常不変たるべきものにスポットを当てよ、ということなのです。その一つの具体例が、夫婦の道なのです。現実問題として、熱烈なる恋愛を経て婚姻した男女のうち、少なからぬ数は離婚に至ります。いずれかの浮気、夫の甲斐性の無さ、婚姻後に発覚したDV癖や浪費癖など、離婚に至る原因は数多くあります。現実は所詮そのようなものです。

しかし、だからといって、恒の道が幻想であるとは誰が言えましょうか。逆説的に言えば、絶対に曲げてはならない恒常不変の道があるからこそ、人は離婚を選択する、と言えるのです。

個の人間として究極的なる恒常不変の道は「死に向かって生きる」ということです。死に向かって生きる、という恒常不変の道を貫くことが、人生というものです。それ以外は全て、おまけです。

そして個の総体たる人類として、究極的なる恒常不変の道は何か、というと、これもまた同じく、総体として「死に向かって生きる」ということなのです。これが究極的なる恒の道です。しかし、多くの人、特に西洋的思考に毒された人は、何か勘違いをしているのです。「成長すること」ないし「支配すること」が恒の道だと勘違いしているのです。だから地球がどんどんバランスを崩して汚染され続けているのです。

4.彖伝

彖に曰く、恒は久しきなり。剛上りて柔下り、雷風相い與(くみ)し、巽にして動き、剛柔皆応ずるは、恒なり。恒は亨る、咎无し、貞しきに利しとは、其の道に久しければなり。天地の道は、恒久にして已まざるなり。往く攸有るに利しとは、終れば則ち始まる有るなり。日月は天を得て能く久しく照らし、四時(しいじ)は変化して能く久しく成し、聖人は其の道に久しくして天下化成す。其の恒(つね)にする所を観て、天地万物の情、見る可し。

雷風恒の恒とは、長く久しいことです。

この卦は、陽の卦である震の卦が上にあり、陰の卦である巽の卦が下にあります。つまり壮年の男性が上にあり、壮年の女性が下にあるのです。

あるいは、地天泰の初九と六四が入れ替わった形としてみることもできます。あるいは、地天泰のうち乾の部分が一段上に上った形としてみることもできます。地天泰→雷風恒→沢山咸→天地否という流れです。和合と閉塞の途上に、夫婦の始まりと長久の道があるのです。

上の震の卦は動きます。壮年の男性が外に出て働くのです。下の巽の卦はへり下ります。壮年の女性が内助の功をもって男性を支えるのです。そしてこの卦は、全ての爻が応じているのです。歯車が嚙み合っているのです。だから亨るのです。

天人合一思想に従って解釈するならば、天地の道もまた久しき道です。天にある日月星辰は絶え間なく動き、また地にある万物も絶え間なく変化し続けているのですが、そこには恒常不変たる根本の道があるのです。例えば太陽の動き、月の動きは一定の法則性に従って動いているものであり、地上の草木もまた一定の法則性に従って生長していくものです。

春夏秋冬の四時もまた然りです。春が過ぎて夏が来、夏が過ぎて秋が来、秋が過ぎて冬が来、さて、これで世界の終りか、というと、そうではないのです。冬が過ぎればまた春がくりかえのです。すなわち終りは始まりでもあるのです。

人間社会においても然りであって、聖人が社会を運営するにあたっては、その恒常不変なるものを久しく守ることによって、人々はその徳に感化されて、より良い社会となっていくのです。

つまりは天地人それぞれが何をもって恒常不変の道としているかを明らかに観察することによって、それらの真実の道が明らかになっていくのです。

5.象伝

象に曰く、雷風は恒なり。君子以て立ちて方を易(か)へず。

雷と風とが相共に起こり、互いに補完しあってその働きを成している形が雷風恒です。

君子はこの卦の形をみて、己の立つべきところに立ち、その方向性を変えることはありません。些末な事々においては順応することもありましょうが、恒常不変たるべきものを知っているので、断固として死守すべきことはあくまでも死守するのです。

6.繋辞下伝

繋辞下伝の第七章からの抜粋です。

恒は徳の固きなり。

雷風恒は、正しい道を長く久しく守る道であり、あらゆる道徳が堅固になる道です。

恒は雑はりて厭はず。

世の現実は様々な物事が交わって常ならぬものであり、まことに乱雑なること極致ではあるのですが、恒の道はそれを厭うことはありません。乱雑さのなかに、長く久しく守るべきことを見出しているからです。

恒以て徳を一にし、

恒の道は、長く久しく守ることを貫徹することによって、その道徳が分断されることなく、始めから終わりまでを貫徹せしめるのです。「一」とは、貫徹せしめることの象徴なのです。

自己の内的探求を通じて、その成果を少しずつ発信することにより世界の調和に貢献したいと思っております。応援よろしくお願いいたします。