39.水山蹇(すいざんけん)~険阻なる障害物①

六十四卦の三十九番目、水山蹇の卦です。
爻辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/nd3917f29267a

39水山蹇

1.序卦伝

乖(そむ)けば必ず難あり。故に之を受くるに蹇を以てす。蹇とは難なり。

家中が不和合であるときは(火沢睽)、難儀なことが生じます。

よって、火沢睽の後ろには水山蹇の卦が来るのです。蹇とは足が萎えていることであり、進むこと困難にして行き悩むことをいいます。

2.雑卦伝

蹇は難(かた)きなり。

雷水解は「緩やか」ですが、水山蹇は「難き」です。険阻なる山、そして渡り難き川が眼前にあって、冬至の前の大雪の如き険難の時であります。

3.卦辞

蹇は、西南に利しく、東北に利しからず。大人を見るに利し。貞にして吉。

水山蹇の「蹇」は、「寒」と「足」が合わさった形です。足が萎えており、前に進み難いのです。

この卦は、いわゆる四難卦の一つです。他の三つとは、水雷屯、坎為水、沢水困です。水雷屯は生みの苦しみであり、坎為水は次から次へと苦難が押し寄せる状態であり、沢水困は昇り過ぎて進退窮まる状態ないしはライフラインの決壊であります。

水雷屯を除く三卦の違いを明確に弁ずることはさほど建設的ではないと思うのですが、あえて上記と比べて水山蹇はどのようなものかと言えば、前に進み難い状態を表すものです。足が萎えているのですから、とにかく前に進みたいという気持ちはある状態なのでしょう。

しかし、進むことが困難なのです。坎為水ほど幾多の難儀が押し寄せているわけではないのですが、明らかに一つの、ないしは少数の大きな難儀がそびえ立っているのです。

外卦に坎があります。そして更には互卦の内卦にも坎があります。坎卦が二つ重なっているのです。そして内卦は艮です。坎の重なりに阻まれて、止まっているのです。

或いは、手前に険しい山がそびえ立っており、その山を乗り越えたとしても、更にその奥には大きな川があって、前に進むことが叶わない、という見方もできます。どちらでも意味するところに大差はないです。

かような時にはどうすればよいのかと言うと、卦辞には三つの方策が述べられております。一つ目は「西南に利しく、東北に利しからず」です。これは後天図によるものであり、西南は坤卦を、東北は艮卦を意味します。坤卦は平坦なる大地であり、艮卦は登ること難しい山々です。

艮卦は内卦にありますが、坤卦は水山蹇のどこにもありません、とツッコミを入れる必要はないでしょう。要するに足が萎えているのだから、困難な道よりも平坦な道を歩みなさい、ということです。難しい問題から始めるのではなく、まず点を取りやすい簡単な問題から手を付けなさい、という受験生の鉄則です。

二つ目は「大人を見るに利し」です。困難な状況であるということは、自分一人の力で乗り越えることが困難である、ということです。であれば、自分よりも経験豊富にして能力の優れたメンターに教えを乞えばよいのです。

三つめは「貞」であることです。困難な時だからこそ、正しくなければならないのです。誰にも見られていないようで、皆が見ているのです。そもそも正しくなければ大人も助けてくれないのです。

生卦は、山水蒙です。まさしく大人を見るに利し、です。

綜卦は、雷水解です。困難を乗り切ることは出来るのです。

裏卦は、火沢睽です。これは蹇難の根本的な原因が如何なるものであるか、ということを量るメタファーであるのかもしれません。困りごとの99%は人に関する悩みだからです。

初爻変は、水火既済です。この卦は四難卦ではありますが、初爻を除いた五つの爻は全て正位なのです。最初の一歩が難儀ですが、そこを乗り越えれば活路は開けるのです。

二爻変は、水風井です。解釈に悩むところであり、状況次第ですが、或いは上にある坎卦の水を活用し得るのかもしれません。

三爻変は、水地比です。この九三が、爻辞においても大きな役割を担う存在となっております。

四爻変は、沢山咸です。なかなかよろしい卦が続いております。

五爻変は、地山謙です。これもまた結構な卦です。

上爻変は、風山漸です。どうやら全てが良い卦であり(二爻変のみ状況次第ですが)、蹇難は卦辞に従うことによって乗り越えられるべきものであるようです。

最後に、この卦は、水雷屯と非常に連動しているところがあります。

まず、「屯蹇(ちゅんけん)」という言葉があります。あまりポピュラーな言葉ではありませんが、どうやら単語として存在するようです。まさしく水雷屯と水山蹇が合わさった言葉です。意味は解説するまでもないでしょう。

爻辞をみると、水雷屯は初九が屯難を克服するキーパーソンであり、水山蹇は九三が同じくキーパーソンです。どちらも内卦であり、位は低く、しかも王位である九五とは応じておらず比してもおりません。

しかし、どちらも間接的には九五と繋がっているのです。水雷屯の初六は、応ずる六四が九五と比しており、水山蹇の九三は、比する六二が九五と応じており、同様に比する六四が九五と比しているのです。

つまり、か弱い王者たる六五が、屯難ないし蹇難を克服するためには、己の力量だけでは足りず、在野にある賢人を頼るべし、ということなのです。そしてその賢人は、己と直接的に繋がっている関係性ではない可能性が高く、広くアンテナを張ってこれを探し求める努力を要するということなのです。

そしてこの賢人とは、卦辞で言うところの大人であることは言うまでもありません。

4.彖伝

彖に曰く、蹇は難なり。険、前に在るなり。険を見て能く止まるは、知なるかな。蹇は西南に利しとは、往きて中を得るなり。東北に利しからずとは、其の道窮するなり。大人を見るに利しとは、往きて功有るなり。位に当り貞にして吉とは、以て邦(くに)を正しくするなり。蹇の時用(ときよう)、大(おおい)なるかな。

多くの有能なビジネスマン、特に経営者を始めとするエグゼクティブ層は、前に向かって進むことは得意なのですが、止まることが苦手です。立ち止まっていられないのです。

しかしこの彖伝においては、危険なるものを目の前にして立ち止まる選択をする者を褒め称えているのです。「険を見て能く止まるは、知なるかな」というのがそれです。ここで言うところの「知」とは、単なる知識や知恵のレベルではなく、般若の如き智慧ではないか、というのは流石に考えすぎでしょうか。

続く「蹇は西南に利しとは、往きて中を得るなり」、ここで隠されていた坤卦の正体が明かされております。外卦の坎卦のことだったのです。外卦は元々は坤卦であって、そこに充実したる陽爻が九五の位置に収まったのです。

坎卦は難儀なることを表すものであると同時に、心の内側が充実していることを表すものでもあります。

内卦の艮が目の前にそびえ立っており、これを何としても乗り越えなければなりません。しかし、蛮勇をもってむやみによじ登ってはならないのです。充実したる九五の心と、六二の虚心を併せ持って、まずは平坦なる道から攻めるのです。

この卦にある二本の陽爻は、いずれも坎卦に陥っております。だから蹇なのであり、八方塞がりで足が萎えているのです。しかし、西南を得て、大人を見て、かつ貞であるときは、一国ないし天下を正しくするほどの成功を収めることができるのです。

蹇難を乗り越える道は、まことに偉大なるものであり、偉大なる者だけがこれを成し得ることができるのです。

5.象伝

象に曰く、山の上に水有るは蹇なり。君子以て身に反(かへ)りて徳を修む。

山の上に険阻なる水があって、これを乗り越えることが難しい形、それが水山蹇です。

君子はこの卦の形をみて、我が身を修養して徳を磨き続けるのです。

坎卦は、勤勉労苦の象でもあります。山々の間を休むことなく流れる水の如く、常に我が身を省みて修養することを怠らないのです。

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