14.火天大有(かてんたいゆう)~大いなる所有②

六十四卦の十四番目、火天大有の卦です。
卦辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/na7e54038a813

14火天大有

主爻

主爻は、六五です。成卦の主爻であり、主卦の主爻でもあります。大有の卦は六五が全てを象徴するのです。

初九

害に交はる无し。咎にあるに非ず。艱(なや)めば即ち咎无し。
象に曰く、大有の初九は、害に交はる无きなり。

害悪なるものに交わってはならない。さすれば咎あるはずがなかろう。常に戒心恐懼すれば咎は無いのである。

初九は応爻も比爻もなく、孤立無援であることが功を奏して、邪悪なるものに心を惑わされることがないのです。大有の時が始まり、小人は豪奢に溺れてしまうものですが、初九はしっかりと自制するのです。

九二

大車(たいしゃ)以て載(の)す。往く攸有り。咎无し。
象に曰く、大車以て載すとは、中に積みて敗れざるなり。

大にして頑丈な車に重い荷物を積んで運ぶ。その重さに耐えかねて潰れるはずはない。行くべきところに行けばよろしい。咎はない。

主爻の六五と応じており、中徳をもって信任を受け、重責によく応えるのです。六五に比する九四の方が高貴にして距離も近く、平時にあっては九四の働きでも差し支えないのですが、しかし大事業を行う時においては、身分は低くても力量に優れたる者を抜擢すべきなのです。

九三

公(こう)用(もっ)て天子に亨(きょう)せらる。小人は克はず。
象に曰く、公用って天子に亨せらる。小人は害あるなり。

諸侯が天子の盛大なる饗応を受ける。小人は害あるので饗応されるべきではない。

九三は身分の高い諸侯の立場であり、正位にして志正しい陽爻であります。六五の謙虚なる天子に仕え、六五も諸侯の献身に応えてへり下るので、良き関係性が育まれるのです。しかし三爻目は危い位置でありますので、油断してはなりません。諸侯が君子でなく小人であるときは、饗応されると図に乗って天子を欺き、国を滅ぼしかねないのです。

九四

其の彭(さかん)なるに非ず。咎无し。
象に曰く、其の彭なるに非ず、咎无しとは、明弁晢(あきら)かなるなり。

明晰なる知恵をもって時勢をわきまえ、盛んなる勢いに乗り過ぎない。さすれば咎は無いであろう。

高貴なる身分にして六五の天子と比しておりますが、やもすれば天子の首を掻くべき危い位置にあるのです。しかし九四は離卦の始まりにあって明晰なる頭脳を持ち、かつ陰位にありますので、陽剛に過ぎることはなく、権勢を振るうことを控えて恐縮しておりますので、難を逃れるのです。

六五

其の孚、交如(こうじょ)たり、威如(いじょ)たり。吉。
象に曰く、其の孚、交如たりとは、信以て志を発するなり。威如の吉は、易(い)にして備ふる无きなり。

柔和にして嘘偽りなき真心が臣下万民を感化して、互いの心が交わり、かつ自然に備わりたる威厳に皆が感服する。吉である。

一陰五陽の卦にして唯一の陰爻であり、中徳を備える位置にありますので、一点の曇りなき、私心なき「虚」であります。明晰であるにも関わらず、その明晰さが表に現れることはないのです。しかし溢れんばかりの徳を隠すことは出来ませんので、上下万民が交わりを求めるのです。一方で柔和なる陰徳だけをもって人々を心服させることは出来ず、そこに威厳がなければいけません。そこで六五は、無理して虚勢を張るようなことはなく、容易くして自然に備わっている威厳をもって、その努めを果すのです。

上九

天より之を祐(たす)く。吉にして利しからざる无し。
象に曰く、大有の上吉は、天より祐くるなり。

天の佑助を受けて、天子を補佐する。吉であり、宜しくないはずはない。

上爻は本来ならば窮まるべき位置にあるのですが、この上九は心の底から六五の天子を貴んでいるのです。六五の大いなる徳が、上にある者をも感化せしめているのです。上九は隠遁者であり、自身が天の思召しを受けることはなく、かつ自力をもって六五を補佐する力量も足りないのですが、しかし天がこれに味方しておりますので、天の助けを受けて、天の力をもって六五に貢献するのです。

上九(繋辞上伝)

繋辞上伝の第十二章より抜粋します。

易に曰く、天より之を祐(たす)く。吉にして利しからざる无し。子曰く、祐とは助くるなり。天の助くる所の者は順なり。人の助くる所の者は信なり。信を履み順を思ひ、又以て賢を尚ぶなり。是を以て天より之を祐く、吉にして利しからざる无きなり。

火天大有の上九の爻の言葉に曰く「天より之を祐(たす)く。吉にして利しからざる无し。」と。
孔子曰く、祐とは天が助けてくださるということである。天が助けてくださるのは「順」、すなわち一点の私心無く、天・地・人の道に柔順なる者に対してである。人々が助けるところのものは「信」、すなわち口に出す言葉と心にある思いとが一致しているところの、信実なる人である。「信」をもって行動し、「順」をもって思いを抱き、そうして賢人の教えをひたすら貴ぶのである。それ故に天が助けてくださるのであって、吉にして大いなる禍福を得ることが出来るのである。

上九(繋辞下伝)

繋辞下伝の第二章にて上九の爻辞が引用されております。
詳細な解説は以下をご覧ください。
https://note.com/northmirise/n/n74ced87cf070#9Xr4r

まとめ

全ての陽爻が、六五に心服しており、これを補佐すべく機能しております。

初九は、大いなる富裕の時にあって慢心することをまず始めに戒めております。九二は、大役を果たす賢人であり、大なる事業にあっては近くの凡人よりも遠くの賢人を抜擢するのがよいのです。

九三は、君子たる諸侯は饗応されるべきでありますが、小人を過度に饗応すると災いを招くことを恐れています。九四は、調子に乗って権力を振り回さず、ただ六五に献身すべきことを説きます。

六五は、大有の時を成就し得る人物はかくあるべし、という理想像を体現するものです。柔和なる陰徳、そして陽剛なる威厳をもって、他の陽爻たちを心服せしめて、大いなる富は自然と集まるのです。

かようであれば、上九で窮まることはなく、むしろ天の佑助があってますます富み栄えることになるのです。

自己の内的探求を通じて、その成果を少しずつ発信することにより世界の調和に貢献したいと思っております。応援よろしくお願いいたします。