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『遠別少年』解説 クマの置きみやげ(坂川朱音)全文掲載

20日から始まる「遠別少年」装丁展で制作した坂川栄治『遠別少年』の解説文を掲載します。

『遠別少年』は装丁家・坂川栄治さんが少年時代を過ごした北海道遠別町での体験をもとに書いた短編小説集。その1冊を10人のブックデザイナーたちが装丁するという展示企画を立ち上げ、2020年開催予定で準備を進めていました。その最中の2020年8月、坂川さんは長野の別荘で心筋梗塞により旅立ちました。
その後、残された赤字原稿をもとに本を完成させ、展示会も2022年2月に開催することができました。今回、5月20日より再度展示を開催しますが、それに当たって『遠別少年』という本のこと、この展示会のこと、坂川栄治さんのことを少しでも知っていただくために、本の最後に収録している解説をnoteに掲載します。
これを書いた坂川朱音さんは坂川栄治さんの長女であり、同じ装丁家として仕事をしており今回、制作した本のデザインも担当しています。親子であり師弟関係でもあった朱音さんの視点から書かれた文章です。

※縦組の文章を横組にしています。漢数字など直すべきところはありますが、そのまま掲載いたします。


解 説 クマの置きみやげ    坂川朱音

 『遠別少年』は二〇〇三年に単行本が刊行され、二〇〇七年に文庫化されました。坂川栄治の五冊の著書のうちの二冊目で、小説は本作のみです。セールス的には売れたとは言い難かったのですが、現在に至るまで全国の模試や国語の試験問題によく使用されています。
 今回の企画にあたり坂川は大幅な改稿を施しました。十三篇のストーリーはほぼすべてが実体験に基づくものであり、一人称で語られていたのですがそれを十三人の物語として各物語に主役を配しました。
 それに気づいたのは坂川の死後でした。

 二〇一九年夏にこの企画が立ち上がり、二〇二〇年二月のデザイナーが集まっての顔合わせには坂川も参加して、お酒を片手にひとしきり参加者の皆さんとおしゃべりをして笑いの絶えないひとときを過ごしました。
 七月にはこの本の造本プランが決まり、本文設計を本展示主催の折原さんに送った数日後の八月三日の朝、弟からの電話で目を覚ましました。

「父ちゃんが死んじゃった」
 「嘘でしょ」

 前日に父が更新したSNSを見たばかりでした。
 折原さんに動悸が止まらないまま電話を掛けて要領を得ないたどたどしい説明をして一旦この企画をストップして欲しい旨をお願いしました。折原さんも事態が飲み込めていないのが返事から分かりました。
 慌てて特急に飛び乗り、実家でもなく、まだ慣れない長野へ向かう道中は行楽日和の快晴で、平日の朝、乗客が私ひとりの電車の中で緑が濃くなっていく車窓を眺めながら映画を見ているような不思議な気分でした。
 庭仕事をしてそのまま旅に出てしまっただけあって、本は読みかけ、ズボンは脱いだまま、マスクやサンダルもさっきまで身につけていたかのような様で置かれており、傍らで坂川はあっけらかんといびきをかきだしそうな顔で眠っているのでした。開口一番「なにしてんの?」と言ったくらいです。
 翌々日荼毘に付し、結局この本文や造本を坂川が知ることはありませんでした。

 すっかり小さくなった坂川を抱えて帰京して事務所に向かいました。本来はその日も打ち合わせが入っているような状態だったので仕事の整理をするためです。そして坂川の机に行くと付箋がびっしり貼られた単行本の『遠別少年』が置いてありました。開くと鉛筆で書き込みがあり、一人称だった箇所に古い友人や親戚、長い付き合いのスタッフなどの聞き馴染みのある名前が与えられていました。同じ名前の友人知人が複数いたりもするので具体的に誰をイメージしていたかは分かりませんが、この話にはこの人の名前を借りようと親しい人や懐かしい人の顔を思い浮かべながらこれを書き込んでいたのが晩年の作業だったのかと思うと、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストのような粋な計らいに見えてきたのでした。

 坂川の急逝で中断していたこの企画はこの付箋だらけの本の発見により、
再び動き出すこととなり、記された改稿部の反映のほか、文庫化の際に削った部分を戻したり、再度単行本と文庫本を照らし合わせる地道な本文組版作業および校正を、途中離脱した私に代わり、参加デザイナーの折原さん、福田さん、石間さん、白畠さん、近田さんが行ってくれました。

 全文を改めて読み進めていくと、どの話も一度は坂川から聞いたことがあるエピソードだったと思い出します。それはたまたまロシア映画を見ている時であったり、一緒に働いていた頃に深夜たまに帰りがけの車に乗せてもらった際の車中の会話であったり、打ち合わせ中の何気ない話であったり、ちょっとした世間話の中に紛れ込んでいました。
 
 この本が刊行されたとき私は大学生で、この本と客観的に向き合うことができませんでした。
 会話の中では「へぇー」なんて聞いているのに、ディテールがしっかりと描かれてリアリティを増してくると途端にノンフィクションである部分が気恥ずかしかったり、どうしてこんなことを書くのだろうと思ったり、読むのがつらい内容もあったからなのですが、この共感性羞恥に近い生々しいむず痒さには憶えがありました。
 幼い頃から家族で見ていた『北の国から』です。
 今でこそ幾度となく見ていますが、どの役の立場で見ても不器用な振る舞いや、いびつな感情、太刀打ちできない自然や人生の摂理が描かれているが故にこどもが家族で見るのは自分がどんな顔をして見ていればよいかわからない部分がありました。それによく似ています。

 コロナ渦で告別式やお別れの会ができなかったので、なんとか一年間坂川事務所とギャラリーを荒木町で維持できるよう画策して回顧展を四度に渡って開催したのですが、片付けをしながら展示するものを発掘している時に『遠別少年』刊行時の献本に坂川が挟み込んでいた文章が出てきました。
 そこには「もうひとつの『北の国から』がここにもあるんだよという気持ちで書きました」とあり、腑に落ちたというべきか、まんまと術中にはまっていた自分に十五年を経て気づいたのでした。

 今読み返していてもここに描かれているエピソードはどれもが坂川を形作ってきた原体験であり、幾度となく話していました。
 おそらく一晩飲み明かしたらこの中の三つくらいの話は出てくるはずです。
 「北海道にもう住もうとは思わない」と言っていましたが、同郷の人に会うと親戚に会ったかのように喜び、北海道の歴史について調べたりアイヌの記事をスクラップしたり、故郷に本を寄贈したり、『遠別少年』を書き、北海道の気候に近い場所を探して家を建てグズベリを植えて食べていました。そしてそこで眠りにつきました。
 自分が求めているものは遠別にはなく、都会に憧れて東京ならではの職業に就き、都市の暮らしの方がとっくに長くなっていましたが、七年ほど前に別荘を建ててそこに通うようになってからは北国の暮らしを追体験しているようにも思えました。

それはまるで遠い山からやってきたクマが、生まれ育った故郷を離れて都会ですごしてまた山に戻っていったようにも思えるのです。

『遠別少年』はそんなクマが残していった置きみやげです。


『遠別少年』の展示は5月20日から再開催いたします。坂川さんの残したこの本と、デザイナーとイラストレーターたちが作り上げたカバーをぜひご覧ください。

「遠別少年」装丁展(アンコール展示)

2022.5.20(金)21(土)22(日)
27(金)28(土)29(日)
12:00-19:00
●会場
Gallery装丁夜話
東京都渋谷区神宮前1-2-9 原宿木多マンション103
●参加デザイナー
阿部美樹子/石間淳/小口翔平/折原カズヒロ/坂川朱音/坂野公一/白畠かおり/近田火日輝/福田和雄/藤田知子
●参加イラストレーター
浅妻健司/草野碧/さかたきよこ/髙栁浩太郎/平井利和/三橋乙揶/保光敏将/横山雄/3WD(agoera・げみ・田中寛崇)

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