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映画「朝が来る」

「朝が来る」
本日より上映開始。
観てきました。

今年みた邦画でいちばん良かったです。
テーマ的に刺さる、ってのもあるのかもですが、非常に繊細で丁寧、そして、なにより
映画であること、が必然となってる。そこが愛しい。

小説が原作で、小説には小説でしか描けないことが描かれているはず。
この映画は小説をなぞるのではなく、映画でしか描けないもの、がしっかりと映っており、そこに酔いしれました。

河瀬直美という監督の作品を観たことがなく、なんとなく
「カンヌとかよく行ってる、映像がきれいな感じの、芸術家気取りの映画作家やろ」
という認識でありましたが、これからさかのぼって観てみようかな、と思えるすばらしい表現の語り口でした。

たとえば夜空に月がうかんでいて、そこに赤子の泣き声がきこえてくる。
誕生、ってのは夜明けのはずで、光とともに生まれてくるはずで、それが、なぜ夜空に。
という。
映像はもちろんすぐに朝になるんですけど、もうこの、夜中の月と赤ちゃんの産声を重ねよう、という発想であったり、感覚が素敵じゃないですか。

また、この映画は赤ちゃんが生まれること、生まれないこと、母親とはなにか、というところに物語の土台があるわけですが、それと呼応するようにひたすら海が出てくる。

海、は、産み、であり、胎児が水の中にいることからも、よく母と海はたとえられるわけですけど、それにしても素敵な海の映像の数々。

映画を撮る以上は、言葉であれこれ説明するのではなく、画を観たら、それでわかる、感じられる、伝わる、ってのがひとつの理想の形であるとは思います。そういう部分を丁寧に丁寧につないでいっている感じがしますね。

古文などで、トビや鷹が子をさらう話、などがあると思います。この映画にも、そういうことを連想する場面で、鳥が挿入されるのですね。ギクッとする。理屈ではなく深層心理に映像が食い込んでくる仕掛けになっている。

素敵なところが数多くあるんですが、
キャスト、
蒔田彩珠
ってよくこんな適任がみつかったなという。
現在18歳だそうです。
14歳の中学生を演じなければならず、そして、同時に疲れた大人も演じなければならない。
テレビドラマ版では、キャストを分けて、撮ったようです。
この映画版では、18歳の蒔田が2つの時代を演じる。

一歩ミスったら
「こんな大人びた中学生いるかよ」
あるいは
「こんなガキみたいな大人いねえよ」
という、どっちかになってしまうところですが。
その両方を表現できている。
すごいことっすよ。
20代の女優つかって、メイクで若く見せたらええやん、とかいう逃げがない。
撮影当時は16とか17なんかなあ。
こういう年齢が数年ずれたらもうこの映画はこういう形では存在できないでしょう。
顔や首の産毛までを映す、非常に絵画的なシーンがあるんですよ。そんなん、大人の女性になったら無理やもんなあ。

そしてラストも、しびれました。
いろんな切り方があるとは思うんですよ。
誰のいつの顔でこの映画を終わらせるのか。
その解答が本当にすばらしく、
子どもの顔なんですね。
さんざん母の話をしてきて、ラストは子どもの顔かい、と思ったら、違うんですよ。
子どもの目の中に、母が映ってるの。
だからね、ラストは子どもの顔じゃなくて、
「子どもの目に映った母の顔」
で終わってるんですよ。
もうさめざめ泣けましたね。

歌がまた、ちょうどいい感じで刺さる歌で。

これもよかったですね。

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