見出し画像

日本沈没2020

「日本沈没2020」

先週、第一話を観た。たぶん続きも観るだろう。
9年前の、震災の記憶、というものを、クリエイターはさまざまな形で表現しているわけですが、

どういう側面から震災を照らすか、によって、そこに描かれるメッセージは多種多様になる。

今年公開されたFukushima50、などは、災害をベースにしつつ、いわゆる美談もの、ヒーローもの、というつくりになっており
「日本人の底力」

「日本人の絆」
のような
日本だから、ということを押し出したものになっていたように思う。
それはもちろん右寄りの

世界に類をみない、優秀で美しい国、日本

という部分を刺激し、そういう感性の持ち主には響くわけですが、逆に、

どの国にもそれぞれの良さや長所があるから、日本だけが飛び抜けて優れた国なわけないやろ

という人は白けてしまう、プロパガンダ作品となっていたように思う。

***

日本沈没2020
においては、湯浅監督のインタビュー↓

にもあるように

(以下引用)

日本が沈没するとなったら、どうしても「日本は良かった」とか「日本人だから」「日本民族だから」という風な民族意識的な題目に流れがちです。
そうではなく、現代の人たちのごく普通一般の視点、たまたま日本に生まれて日本人ということになっているけれども、普段自分がどういう地面に立っているのかも、日本人であるからとかもあまり意識していない、ニュートラルで周囲の些末な中で生きている人を中心に描こうと思いました。

(引用終わり)

民族意識を鼓舞するような作品にはなっていない。
そこがまず、とても良い。

主人公一家の息子は、ベースとして英語を話す。
それはかっこつけ、ではなく
国籍が曖昧な人が、このような国難に巻き込まれたときに、どういう気持ちでどう行動するのか、という部分とも絡んでくるのだろう。

奇しくもコロナ禍のど真ん中で公開となったこのシリーズ。
容赦なく襲ってくる震災描写は残酷で厳しく、
中途半端な気持ちで作ってないことがひしひしと伝わる。

共同体のなかで生きていくこと、同胞の死、家族の死、
いろいろを考えさせる、アツい作品なんだろうな。

全10話。
あと9話、噛みしめるように観させていただきます。

[2020.07.15 facebookから]

※追記

最終10話まで観終わり。

1話から予想していた道を大きく外れていくトンデモな展開でしたが、では幻滅したかというと、
自分はかなり肯定的に観ましたし、感動して震え、
涙がこぼれるところもたくさんありました。

最後まで観て思うのは、

何かの役目については、
あえて喪失させることで、
そのものの本質やありがたみを考えることが出来る

という、実に論理的なことを、無理やりではあるがやってみせた、

ということですね。

「日本が沈没する」

という現象の部分だけをとらえ、

愛国心はないのか、反日アニメだ、
というのは、的外れであると思います。

日本を海の底に沈めることで、消失させることで、では日本とは何なのか、という問いかけとなる。

小松左京が本質的に意図した部分はそこで、細かな設定が違うからといって、原作無視だ改悪だ、と騒ぐのは違う。

***

このアニメを肯定的に受け入れられるか、という分岐点に
リアリティ問題、現実との整合性
があるかと思う。

実際に相当イレギュラーに突飛なことが起こり、そのはちゃめちゃな展開には何の整合性もない。

ただ、これも順序が逆で

リアリティが足りない→受け入れられない

ではなく

受け入れられない→リアリティの欠如にケチをつけたくなる

という流れなのかと思います。

私としては「乗って」しまったので
正直、まったく説明もなく、水陸両用戦車とかが迎えにきますが、
「良かった〜助かった!」
という喜びしかない。

これが作品に乗ってない人からすれば
「なんでやねん!」
「ご都合主義!」
ということになる。

途中、映画「ライフオブパイ」的な流れになるところもあり
ライフオブパイの味わい方としては
描かれていないことを、脳内補完する
という楽しみなんですね。
表面的には都合のいいことが次々と魔法のように起こる
ただ、その都合のいい展開は、なんなのか

そこにこの手のファンタジー映画の楽しみ方が隠れている

現実の地震は
現実の自衛隊は
現実にこういうことが起きたら
現実は
現実は

作品によっては現実に忠実に描くこともある

時代劇には電柱を映してはいけないし
「マジかよ」というセリフを言えないこともあるだろう

ただ
今回、この「日本沈没2020」においては、
一番の重心はリアリティではない。

ど真ん中にあるのはタイトル通り

「大切なものの喪失」

であり、
大切なもの(愛する家族、仲間、国土)が失われていく、そのリアクションこそが、この作品のど真ん中だ。

であれば、リアリティの優先順位をさげて
父や母や兄弟姉妹
友だち
仲間

故郷
コミュニティ
そういうものが、次々と破壊され、失われていく

これを最優先に描いたのはとても正しい姿勢だと思う。
その喪失のためなら、無理やりな展開をつくるのは仕方のないことかと。

思い返せば劇場で観たキン肉マンは、だいたい超人の誰かが謎の犠牲によって死ぬ。
でも我々は、男塾で谷底に落ちていくやつらに対して
「何でやねん」
と白けてはいけないのだ。

崩れていく道で、岩を背中で支えながら
「俺に構うな!先に行け!」
という展開は
決して「ご都合主義」ではない。

あえてその「見せ場」を作り、そこでどのようなセリフを言わせるのか、どのような死に様をみせるのか、というのが様式美なわけで。

そういう意味で
日本沈没2020は、2話を観終わったあたりから
「あ、これは仲間全滅するやつや」
と気づけるので
大切な人たちが、ひとり、またひとりと食われていくお話で
その理不尽なロストからは逃れられないとわかる。
腹が痛くなる。
嫌だなあ、次々と仲間が死んでいくのか。
嫌だなあ。

そして、ありえない展開で毎回誰かが欠けていく。
その欠け方
死に様に
毎回涙するか
白けるか

そういう観る側のリテラシーも問われる作品でしたね。

ワイは大肯定ですわ。

否定意見も多そうですが、肯定派の感想考察もあります


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?