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映画「糸」

「糸」

悪い意味で興奮冷めやらぬうちにメモっておかないといけないね。
こういう作品、作っちゃいかんとおもうなあ。
これを観て、感動して泣きました、という人が一定数存在するのは理解できるんだけど、それでもなお、いかんとおもうね。

100歩譲って、
「つまらない」→許す
「辻褄が合わない」→許す
そういうことはフィクションなんだし、必ずついてまわるので別によろしい。

やっぱね、
観客や、演者や、ロケ地や、その他もろもろ、映画に関わる人々をね、なめたらあかんとおもう。
優しく言えば「愛がない」
厳しく言えば「バカにしてる」
ということですね。

ロケ地がいくつか出てくるんですが、ことごとく愛がありません。
愛がないなら、その場所を舞台にすんなよ、と思います。

スタートは北海道が舞台なわけですけど、少なくとも道民なら誰でも、美瑛と函館は全く別のエリアであることはわかる。それを
「どうせ気にするやつおらんやろ」
という舐めた態度で、美瑛から車を走らせると、あっという間に函館についてしまう。

舞台となる土地のことも馬鹿にしているし、
観客の知識も低く見積もってる。
「北海道の地理とか、誰も詳しく知らんやろ」
的な舐めた態度。許されない。

医療ドラマとかで、どうしても医者しか知らないことをごまかすならまだしも、実在の土地について、しかもメインの舞台で、距離をごまかすのはありえない。

ゴジラ映画であっという間に世界中の場所をワープするのとはわけが違うで。おとぎ話の移動と、リアルドラマの移動は意味が違う。

また、
北海道といえば「じゃがいも」やろ?
という安易なリンクでじゃがいも農家を登場させ、しかも
「本当はじゃがいもなんか作りたくなかった」
などといわせる。
もうね、懲役ものの差別発言ですよ。
北海道の全じゃがいもに謝らせよう。

こういう、土地や文化に対して不誠実な態度は一瞬出てくる「沖縄」というロケ地に対しても同じで、
謎に集合したジジババが、昼から意味なく三線を引いて、意味なくカチャーシーを踊っている。
「沖縄っていえば、海と三線とカチャーシーっしょ!」
という態度ね。
もう舐めきっております。
制作陣の顔面を剥いでミミガーにする刑にでも処すか。

破産して逃げ出した斎藤工が何故か沖縄に逃げる、という設定で、きれいな浜辺に釣り竿を設置し、くわえタバコで釣りをしている。このご時世にタバコをくわえさせて、何がしたいんや。
釣りをする人のイメージダウンも甚だしい。1000歩譲って斎藤工がクズ野郎、という描写をしたかったのなら、他の描き方せい。なんで砂浜でタバコ吸わにゃならんのや。

そんで、東京から小松菜奈がなぜか追ってきて浜辺の斎藤工みつけて
「やっぱここか。釣竿がなくなってたからここだと思った」
おまえの鼻は犬か!
東京からピンポイントで沖縄の島で釣りしてるヤツ嗅ぎつけてくんな。
沖縄は会社のビルの屋上とちゃうんやぞ。
「やっぱここか」
じゃねえよ!
まじふざけてやがる。

さらにはシンガポールで開業、という謎の展開の舞台にされたシンガポールもかわいそう。ものの見事にバカにされてる。
「シンガポールでは起業は簡単なんだから!」
じゃねえよ!!
もっと苦労せい、ばかやろう。

ほんでネイリストとして働くのはいいとして、客がみんな成金みたいなやつで、プールサイドで肌を焼きながら、ネイルさせて、ネイリストを奴隷のように見下して不遜な態度を取る。
靴磨きとちゃうんやぞ。
対等な立場でネイルしに来るやつのほうがおおいやろ、なめんなよ。

しかも
「日本人は手先が器用だから、シンガポールで日本人ネイリストは人気なのよ!」
ほんまね、他の国の人をバカにするのもたいがいにしなさい。
シンガポールの全ネイリストに謝ってまわらせよう。

シンガポールという国がどういう歴史の中で現在に至るのか、について、全く何も考えていない。

最も怒りがこみ上げたのはシンガポールの日本料理の屋台でカツ丼を注文し
小松菜奈にバクバク食わせ
「まっずい」
と言わせる。

どう思います?
他の国で、日本の料理を注文して食って
「まっずい」
と言わせるのは、一歩間違えたら戦争やで。

北海道や沖縄や、シンガポールにたいして
「きれいな観光地」
という雑な意識しかもってないことが映画の隅々に滲んでいるわけです。

そういうなめた意識だから、
美瑛の牧場から、いきなり函館に行けるわけです。
「やっぱ函館の夜景も押さえときたいっしょ~」
的な雑な発想。
ゲロがでますな。

と、まずは土地や文化の扱いに対してケチをつけてみましたが、
結局のところ、こういう不誠実な態度は他のすべてに相似形として現れるわけで

中島みゆき「糸」の扱い方も、スーパー雑。
あの歌をどう聴いたら、こういう場面で流せるんや、というね。

この映画を観ながら
「中島みゆきはこの映画を観るんだろか?みたらどう思うんだろか?」
と考えて悲しくなっておりました。

「ファイト!」

「時代」
も使い捨てのように配置されており、腹立たしい限り。

結局、糸、という曲そのものに感動したんじゃなくて
糸、で一部の層を泣かせる映画を作れるな、とひらめいたいうことでしょ。

材料にされたわけですね。

映画を観終わってから気づきましたが、脚本家、映画「永遠の0」の脚本家ですやん。
あの映画にもずいぶん吠えた思い出がありますが、ほんま、こういう作業ばっかしてたらバチあたりまっせ。

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