梶原一騎が戦った「集合的無意識」とは何か。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:「マーケティングの罪」byののの。お客を育てることの現代的意義。梶原一騎の偉大さ。集合的無意識と戦うのが本当のマーケティングという奇妙な論。初代タイガーマスクのマーケティング的な意味。
昨日タッチパネルを非難したところ、”ののの”さんから次のようなコメントをいただきました。大変示唆に富んでいるので、許可を得て掲載します。
のののさんの作品群はこちら
お客を育てることの重要性
のののさんのこの文章にとても共感しました。
日本文化のすばらしさが認知されない危惧を
わたしも共感します。
つまるところ、この部分ですよね。
のののさんは、「客も育たない」、とおっしゃいました。
非常に示唆に富む言葉だと思います。
お客さんを育てる、とはどういう意味でしょうか。
それは、客のご機嫌伺いをしない、客にこびない、ということです。
時流におもねらない、ということです。
読者を「育てた」梶原一騎
シンクロニシティかもしれませんが、のののさんのコメントが届いた昨日、授業で「梶原一騎」の特集をやったんです。
どうしてとりあげたかというと、経営学の歴史の講義だったんですが、歴史においてはある一人の人物が時代を創ることがあり、昭和の時代を作った最重要人物の一人が梶原一騎である、ということを教えたかったのです。
その梶原一騎こそ、お客さんを育てた人だと思うのです。
きのう講義で使った動画には、こんなくだりがありました。
編集者が、梶原にやんわりと書き直しを命じます。あまりに時代錯誤の描写があったようで、それをたしなめたのです。
しかし梶原は「それじゃてめえが書け」、と突っぱねたそうです。
梶原は、一度たりとも編集者の助言に従ったことはありませんでした。
あくまで、自分の伝えたいことを愚直に表現したのです。
マスマーケティングが経済をダメにする
編集者の方向性は、えてしてマス・マーケティングです。
大多数の読者が、こういう展開を望んでいるから、作家ににこう書かせよう、それが腹です。
漫画はもっとあからさまです。
とくにかつての少年ジャンプに顕著でしたが、読者アンケートなるものが毎号あって、その反応によって編集者は漫画家にこう書け、ああしろと命じてきます。
大御所はともかく、連載を外されたくない漫画家はたいていそれを飲みます。
読者の欲している展開は、ある意味で”集合的無意識”なのかもしれません。
漫画というものは、編集者の意向に沿って、つまり世の中におもねって世に出ていることを考えると、漫画は“時代が創っている”のかもしれません。
しかし、梶原一騎は、その集合的無意識に牙をむいたのです。全存在をかけて、抵抗したのです。
読者の期待を裏切り続けた結果、ハッピーエンド、勧善懲悪という陳腐なストーリーは姿を消し、救いようのなさ、敗者の美学というこれまでにない価値観がうまれたのです。
あしたのジョー、でジョーのライバル力石徹を殺してしまった展開は、その最たるものでしょう。
読者(消費者)を突き放す所に勝機がある
人は慣れ親しんだものを好みます。
当時の少年マガジンが、少年ジャンプみたいに毎号アンケートをとったら、「力石を殺すならマガジン買わない」が、殺到するでしょう。
お客さんを教育するとは、お客さんにこびず、お客さんを裏切り、作り手のロマンを飲ませることではないでしょうか。
アントニオ猪木は二言目には、俺は客にこびない、と言っていました。
勝負があらかじめ決まっている的な、予定調和的なファイトを嫌ったのです。
ピカソは、大衆の好みに寄り添って、絵を描いたわけではありません。
集合的無意識とは、突き詰めれば、ありきたりな感覚、平凡志向ということにほかなりません。
人間は、自分の知識や感覚を超えたものはイメージできないからです。
初代タイガーマスクを思い出してみれば合点がいきます。
タイガーマスクのファイトは、誰かがイメージしたわけではありません。
大衆の思考の限界を超えたものを提示する、それがお客さんを教育する、ということではないでしょうか。
僕は、これからのマーケティングに市場分析など必要ないと思っています。
経営者のロマンをぶつけて、市場を、お客を教育するのです。
以上、のののさんの文章を勝手に深読みしてみました。
のののさんの最新記事は、なにかちょっとシンクロを感じるんですよ、神社がテーマですがとても面白いですよ。
今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
では、また明日お目にかかるのを楽しみにしています。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー
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