夢の定義を変えてみろ。例えば作家の新定義 note>紙

夢を持て。古くね?

夢を持つ、というテーマで高校生の皆さんと話をしているんだけれどさ、そもそも「夢」ってなんとなく古くない?僕はそう感じるけれどね。

経営学の立場からすると、経営学って「同時代性」がいちばん大事なんだよ。同時代性っていうのは、設定をすべて今の時代=同時代っていうかリアルタイムに変えて授業をする、ってことなんだよ。

だから、経営学を教える者は若くなくちゃダメなんだ。

もちろんそれは実年齢のことじゃないよ。

齢が若くったって年寄りはたくさんいるさ。

本当の肉体、精神年齢が若いってことだよ。

じゃなきゃ、時代についていけないじゃないか。経営学でいうとマーケティングがその顕著な例だな。

マーケティングは時代の詐欺師だ

マーケティングって、ちょっと時間が経つと、すぐに進化しちゃうんだよ。でもその進化とやらは、マーケティングのトリックでさ、マーケティングって自分で宣伝がうまいの。そういう、ちょっとそれ自体がトリッキーっていうか、油断ならないっていうか、ある種マーケティング自身が変化に乗じちゃう性質があるんだ。

だから自分で進化って言っているだけなんだけれど、変化はしてるわな。

そして、その変化を世間が持ち上げるように、自分でしちゃうんだって。

そうすると、世間はそれを新しいマーケティングだとかもてはやすでしょ。そうするとマーケティング学者はそれを知らないってわけにいかないわけよ。えっ、あれは最新マーケティングでしょ、マーケティングの先生なのに知らないの?ってなるから。

もちろん、その新マーケティングのでどころは、アメリカだよ。

だからマーケティング学者は、常にマーケティングの”進化“とやらの動向を探ってなくちゃならないんだよ。それって実際に大変。毎日アメリカの新聞、雑誌、経済、経営、マーケティング関連専門誌などを漁ってなきゃならない。

そして、それを日本の読者のために、日本語でまとめる作業も必要だ。実際に体力がないと、新しいものが好きっていうある種若い精神もないと務まらないから、学者やコンサルタントも「俺、マーケティングはもう体力、気力が続かないから追っかけられない」ってギブしちゃう人も多いんだ。

ただ、マーケティングは普遍の法則であるっていう学者や専門家もいて、そういう人は持論を変わらずに展開してればいいから、新しいものに目もくれないって態度でいいんだよ。

ただね、マーケティングで困るのは、マーケティングの神様って言われているフィリップ・コトラーっていう人が、”進化“の張本人なんだってことなんだよ。

自分がマーケティングっていう体系を作り上げたんだから、そこでやめてくれりゃいいのに、時代の変化に合わせてマーケティングを変えちゃうんだ。マーケティング2.1みたいに。

そうすると、下々(しもじも)のマーケティング学徒も、それをまた勉強しなくてはならない。

経営学者はつらいよ

さて、同時代性は特にマーケティングで大事な心得っていうのは分かってもらえたと思うんだけれど、他の経営学のジャンルも実は同じなんだ、同時代性っていう前提で、全ての理論、考え方を同時代にあわせて変えなきゃいけないんだよ。

でも、そんなことやってたらきりがないじゃない。教える方はたまったもんじゃないでしょ。きちんと昔の教科書のセオリー通りに教えれば楽なのにさ、時代の変化、極端に言えば今現在のリアリタイムに合わせて、しょっちゅう授業内容を変えろっていうんだよ。

でも、それをしないと、お客さんには不親切なのさ。経営学って、お客さんを楽しませるっていう学問だから。

正直、それは経営学以外でも同じだと思うんだけれどね。あ、他のジャンルまで踏み込むのは越権行為だな、訂正します。

そんなことで、夢っていうのも同じだと思うんだ。夢にも同時代性を適用しなくてはならないと思うんだ。

ちょっとシリーズでやってみようと思う。今日は作家、だ。

紙の作家は作家か?

思うんだよ、今、紙の作家って意味あるのかな、って。

ベストセラーだって今は100万部とかでない時代でしょ。せいぜい1万部売れればヒットっていうもの。そもそも紙は新聞や雑誌も読まれない時代でしょ。それは仕方ないよね。

作家の弱点はさ、読者層が固定されていることだよね。ファンは買う、でもそれ以外の人たちは、いちげんのお客さんにはなかなか手に取ってもらえないっていうのがあるよね。テレビに出て顔が知られてるからって、じゃあ、本を買って読むか、にならないし。

作家で食べていくのって大変なんだ。年に4冊それぞれ1万部くらいくらい売って、年収400万ってところだ。それを40年も続けなきゃならない。もちろん、映画化しました、テレビ化しましたっていう付加価値をつけられれば別だけれどね。作家専従で食べていける人がどのくらいいるのかなあ。

作家の定義も変わるべきじゃないか。

もうネットでしか字を読まない、そういう層が増えていることは間違いない。

いや困ったものだ、作家上がったりだ、じゃなくて、ネットにシフトすればいいんじゃない。Noteがいいよね。Noteは有料もあるけれど、無料にしてたくさんの人に読んでもらえば、作家の構造的な弱点である読者の固定化、っていうのがなくなるよ。

儲けはそこで得た新しい数万のファンを相手に、ネットで作家講座やオフ会をバンバンやればいいんじゃない。

そもそも作家の今日的な役割は、もっとネットやテレビで自分たちを主張することなんだよ。

あんたたち、自分の主張を伝えるのが仕事なんでしょ。紙じゃ伝わらないよ。

そもそも作家は新規性が命でしょ。時代に合わせた生き方をまず自分らから見せなさいよ。

なあんて、暴言を吐いてみたよ。

作家の定義を変えろって話だったけれど、これはあくまで経営学の立場からいうと、そうなるって話だからね。オレ個人の主張じゃないから・・て今更何を。

また新作家論はいつか明日にでもしようか。

それじゃあ、今日も読んでくれてありがとう。

長いと嫌われるから今日はこのへんで。

明日も会おう。

                             野呂 一郎

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