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プロレス&マーケティング第57戦 プロレスラーよ、安っぽい”カリスマ”に安住するな

この記事を読んであなたが得られるかも知れない利益:昨日とりあげた「プロレスラーとカリスマ」の続編。カリスマとは何か。プロレス界の真の復興は、レスラーの意識改革にある。村の長で満足していてはならない。

オカダと棚橋の「事件」とは

この「事件」はあまり知られてはいませんが、今日のテーマ「プロレスラーとカリスマ」を考える上で非常に重大な事件だと思います。

オカダの事件とは、こうです。

もう6,7年前の話です。

オカダが銀座でタクシーを降りると、そこにカメラが待ち構えてました。

愛車を降りるオカダ・カズチカ https://qr1.jp/MepCYr

テレビでよくある、街頭インタビューだったのです。

内容はわかりませんが、映像を撮っていたのはNHKのクルーでした。

しかし、彼らは目の前の「オカダ」がわからなかったのです。

プロレスラーの「オカダ・カズチカ」がNHKの映像クルーに知られてないことに、オカダは当然のことながら大きなショックを受けたのです。

棚橋の事件とは、こうです。

もうコレは10年以上も前ですが、棚橋が当時流行っていた六本木のアイスクリームパーラーに行ったそうなんです。

行列に並んだ棚橋でしたが、誰も声をかけるどころか、棚橋に気づいてない様子。

アイスと棚橋。アイスてまーす。https://qr1.jp/BhY4Y0

結局、誰にも「プロレスラーの棚橋弘至」と認識されなかった、というのです。

こんな実話を語ると、プロレスファンの読者の皆様は、「お前はプロレスラーのカリスマ性の話をしたいのかもしれないが、カリスマ性以前の知名度がないってことじゃないか、いやプロレスというジャンル自体が世間からかまわれてないんだよ」、そう突っ込まれるかもしれません。

確かに。

カリスマの計算式

昨日の記事で、僕が最も気になったのはここです。

「テクノロジー(スマホ)のせいで、彼のカリスマ性はダメになったTechnology tones down Harbaugh's charisma」

前掲The Wall Street Journal


そもそもカリスマとはなんでしょうか。

Oxford Languagesの定義にはこうあります。

”推し(devotion)”を誘発する、人の心を掴んで離さない魅力や魔力(compelling attractiveness or charm that can inspire devotion in others.)

カリスマは、生まれつきのものなのでしょうか。

オックスフォード英英辞典によれば、そのとおりです

他者に影響を与え、注意や称賛を引き寄せることができる、生まれつきもっている特別な力(a special power that some people have naturally that makes them able to influence other people and attract their attention and admiration)

この2つの定義を見る限り、カリスマとは後天的と言うよりも、先天的にその人が持っている天才、といえましょう。

とにかく「推し」がもらえるのが、カリスマ性のあるレスラーであり、その意味ではオカダ、棚橋にはカリスマがある、と言えます。

しかし、問題はそのカリスマが世間に届いてない、という事実です。

猪木を越えろ

NHKのクルーにスルーされる、アイスクリームの行列に並んで無視される・・・そんなことが、例えばアントニオ猪木に起こりうるでしょうか。

愚問ですよね。

猪木がそこにいれば、すぐに人だかりができます。

https://qr1.jp/9KNi6P

これが、プロレスラーのあるべきカリスマ、ではないでしょうか。

ではなぜ、ほとんどのプロレスラーのカリスマが、”プロレス村限定”なのでしょうか。

僕はそれは「世間と戦ってないから」だと思っています。

プロレス八百長論と戦え

わかってますよ、プロレスが世間に届きにくい”業”を持っていることは。

プロレスラーの皆さんは、命がけでこのジャンルを隆盛にするために、毎日身を削っていることは。

しかし、プロレスは今も昔も、世間から蔑まれているとまでは言えないけれど、スポーツとして一段低い存在と見られていることは事実です。

アントニオ猪木を、アントニオ猪木たらしめたのは、そういう世間と徹底的に戦ったからです。

猪木の戦いは、常にプロレス村からはみ出ていました。

プロレスの戦いに、常に社会的意義を持たせました。

その象徴がタイガー・ジェット・シンとの戦いであり、アリ戦です。

インドの狂える虎・シンは、猪木のプロレスは真剣勝負だという気迫に、刑事事件一歩手前のストリートファイトに手を出したのです。

新宿伊勢丹前で襲撃された猪木 https://qr1.jp/1xgLkM

アリ戦こそ、プロレス八百長を粉砕せんとする、命がけの挑戦でした。

猪木の戦いは、大げさに聞こえるのを恐れずに言えば、すべてプロレスを超えた、世間との戦いの歴史だったのです。

だからこそ、その姿に誰もが振り向く”超絶カリスマ”を身につけたのです。

世間を憎悪せよ

プロレスはプロレスでいい、そういう考えももちろんあります。

しかし、いまのプロレスの閉塞状況を打開するならば、アントニオ猪木に学ぶべき、そう思うんですよ。

昭和プロレスの熱気は、プロレスがどうのこうのではなかったのです。

あれは、猪木が世間と戦っていた、だから、面白かったのです。

猪木が戦っている間は「プロレスは八百長うんぬん」を忘れていた、いや猪木が忘れさせていたのです。

プロレス界に必要なのは、ともかく、プロレス村でしか輝かないカリスマではありません。

ズバリ、アントニオ猪木のカリスマです。

その超絶カリスマの正体は、世間を見返してやろうという憎悪にも似た反発心、なのです。

野呂 一郎
清和大学教授



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