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経営学者の新定義:プロレスラー(笑)

学者は社会貢献を

コロナで時代は変わった。だから、あらゆることに新しい定義が必要だと考える。

じゃあ、学者はどうあるべきか。一応僕も末席だから考えたい。

大学で教え、企業で教え、たまにコンサルティングみたいなことをする。論文や本を書き、学会発表をする。けっこう大変なのが学内行政といわれる委員会活動だ。これは大学で教えること、研究すること以外の仕事だ。例えば大学の社会的評価をあげるための委員会、だとか学生のキャンパスライフの質を上げるための委員会だとかだ。

学生の教育と大学への奉仕と自分の研究だけでは、でも、大学教員は今の時代ダメだと思う。

特に経営学に求められているのは、CSR(企業の社会的責任)という概念だ。これは企業は利益追求だけじゃなくて、社会貢献せよ、という考え方で、経営学が偉そうにこういう教えをたれている以上、経営学を教えているものもそれにならわなくてはならない。

僕がnoteをはじめたのはそういう理由だ。高校生のみんなに対しての連載と、社会人の方々に対しての連載の2つを毎日書いて、今日で54日連続している。毎日書く、と皆様にお約束した手前、これを守ることが僕の社会的責任だと思っている。

今起こっている経済を政治を経営学で解け

僕はいつも思っていることがある。経営学で最も大事なのは“同時代性”である、と。

以前にそれについて書いたので興味があれば読んでほしいが、

要するに目の前のリアルタイムの事象を題材にして講義すべきだと。

これは新しい問題に対しては、新たな問題解決が必要だということでもある。

つまり、経営学も常に変わらなくてはいけないということを、目の前の問題を題材にして示せ、ということだ。それも題材は日本だけでなく、グローバルな事象や問題でなくてはならない。

毎日、noteでそれをやっているつもりでいる。ポイントだけだが、世界の企業、経済、政治の動きを題材に、経営学で新しい答えを出しているつもりだ。

政治も取り上げるのは、今や、政治と経済の結びつきがかつてよりはるかに強くなっているからだ。それと、政治経済に限らず、あらゆる問題を解決できるのが、経営学だと信じているからである。いわば、noteの連載は経営学の可能性を試そうという試みでもある。

プロレスと経営学の共通点

なんてかっこいいことを言ってみたが、実際はほぼ反応は、ない。毎回見てくれている方はいるみたいだが、評価されてないということだ。経営学は問題解決だけじゃなく、面白くなければ意味がない。学問的に正しいということと同時に、その説明や解説や意見なりが、面白くなければならないのだ。

考えてみれば、経営学はプロレスそっくりだ。

単にレスリングの勝ち負けという正しい行いをすればよいのではなく、お客さんを喜ばせなくてはならない、これがプロレスだ。経営学もそう、正しい経営学の考え方を伝えながら、どうそれを面白く見せるか、これを両立させなくてはならないのだ。

経営学者はプロレスラーでなくてはならない。

今の時代特にそうなのは、あらゆる場面で「面白さ」が求められるからだ。面白さは「魅力」と言い換えてもいい。

ほら、政治家だってそうだろ?魅力がなきゃ、どんないいことを言ってたって、選挙に勝てないよ。

どの党とは言わないけれど、もう衆院選はダメ、だよね。企業家だってそうだ。スポーツマンだってそうだ。今の時代を常に読んで勉強してないと、面白いことなんて言えない、できない、演じられない。

ただ、あくまで経営学者=プロレスラーっていうのは僕の考え方だからね。

僕以外の経営学者はそれは邪道って言うに決まっている。いいんだ、大仁田厚で。

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面白さの追求が経営学なんだけれど、さっき面白さは魅力だと言ったが、魅力っていうのは深い、時代によっても変わるし、時代にウケなきゃ意味がない。これはむずかしいよ。

今日も最後まで見てくれてありがとう。

じゃあまた明日。

                             野呂 一郎

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