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辛いことの先には楽しいことが待ってるはどこまで信用していいか?
ショート動画を見ていたら、又吉さんの卒業式のスピーチ?的な切り抜き動画が出てきた。
そこで又吉さんは
「辛いことの先には必ず楽しいことが待っていると思っている。自分が苦しい時はそう思うようにしている」と言っていた。
申し訳ないがこの手の言葉は何回か聞いたことがある。
「苦しいときっていうのは幸せになるための準備期間」だの
「大きくジャンプするために今は助走をつけいている」だの。
確かに喉が渇いてる時に飲む麦茶が美味しいように、苦しみを味わった後の幸せは大きなものに感じるかもしれない。
しかし、苦しんでいる最中に「この先、楽しいことが待っている」という言葉をモチベーションとして生きていくことは場合にもよるが無理だと思っている。
何言ってんだ。と思った人もいるかもしれないが、この「場合にもよる」という言葉が肝心である。
場合にもよるとは具体的に
何年間も同じ苦しみを感じ続けている人のことである
まさに今の僕である。16歳で自律神経失調症になり精神的に辛くなり学校を辞めてから今日に至るまで楽しいという感情が長続きしない。
Youtubeを見てこの動画、面白いとか本を読んで好奇心に駆られることは多々あったがそんなの刹那の出来事に過ぎない。
強調して言うが16歳から19歳に至るこの3年間、本当に涙が出るほどの不安と恐怖そしてつまらなさと共に歩んできた。
インスタを見れば学校生活を友達と満喫している同級生。
Twitterを見れば受験勉強に切磋琢磨し今日の勉強時間をあげている人。
本当に悔しくて仕方ない。
(これ以上書くと妬み嫉みになってしまうので書かないでおく)
上記の事実をもとに僕は「辛いことの先には必ず楽しいことが待っていると思っている」という言葉には限りがあると思う。
そうすると1つ、不安事項が出てきてしまう。
「僕は今後何の言葉を胸に生きていけばいいのか?」ということだ。
言葉は僕にとっては意外と大事なものである。
精神的に辛かった時
SEKAI NO OWARI の銀河街の悪夢という曲の中に出てくる
『そうさ、誰のせいでもなくて僕の問題だから僕のことは僕でしか帰ることができないんだ』という歌詞に救われてきた。
僕の辛い時の気持ちとピッタリと重なったからだ。
今はまた違う苦しみの中で生きていて、自分とピッタリと重なる言葉が見つからない。
この暗闇で彷徨っている感覚というのがいつになれば終わるのかわからない。
救いとなるであろう言葉にもいつ出会うかわからない。
その言葉を能動的に探すことがあっているのかもわからない。
もしかしたら、今の苦しんでいることや悩み、言葉を探すこと自体が無意味なのかもしれない。
「辛いことの先には必ず楽しいことが待っている」と思うことぐらい僕にとっては無意味なことなのかもしれない。
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余談だが
ある人に「この経験が将来の自分にとっていい経験になるよ」と諭すように言われた。
だけど僕は「その言葉は将来的に得られる感じ方であって、その言葉で今の苦しんでいる僕を励まそうとして言っているのであれば違うと思う」と心の中でつぶやいた。どうやらこの言葉ではないようだ。
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