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26 川の底の神様

 しとしと雨が降った。
 うさぎたちはアイの部屋にはいったり、木陰にひそんだり、土にもぐったり、箱に隠れたり。ひげを揺らして、鼻を寄せあって雨をながめるのだった。みんな静かに、黒く濡れた瞳や、赤い瞳で。
 アイは床いっぱいにひしめくうさぎたちをかきわけて、扉から顔を出した。秋にしてはむし暑くて、どろりとした汗と雨が首から背中へ流れる。
 陰鬱とした重苦しい雲。
 うさぎたちも体を重そうに、ひっくりかえったりするのだった。

 アイは雨が強くないと判断したので、外へ出て、クァシンのいる町へと走ることにした。
 途中、立ち止まった。
 あることを思い出したからだ。
 昨日の晩のこと。

 アイはワールドザワールドの女神の作った晩ご飯を食べたあと、ゼリーが食べなくなった。それで頼んでみたのだったが、にべもなく「ゼリーなんてないわよ」と言われ、なくなく口寂しい思いを抱えベッドに潜るのであった。
 そのときなぜか彼はどうしてもゼリーが食べたくってしかたがなかった。機嫌をそこねたまま眠るのだった。

 クァシンの家に到着した。
 彼は『キャプテンドラゴン航海記』を読んでいた。そのせいで、今日に限っては一緒にはいけないと言われるのだった。

「もう、何回その本を読むんだよ、君ってやつは」
「何回読んだっていいんだよ」
「本当の冒険に行こうよ」
「今日はよしておくよ」
「なんだい。このペン立て持って帰っちゃうぞー」

 それはクァシンの家のまんなかにある机の隅っこに置いてある、クァシンの専用のペン立てのことである。
「いいのかー」

 しかしクァシンはかまわないのだった。アイはつまらなそうにペン立てをそこに返して、クァシンの家を出た。

 村につくまえに孤独王と行き合った。何をしているのかと聞くと、彼は道にできた水たまりを土でなくしているから邪魔をするな、と言い放つのだった。

「アイも手伝おうか」
「いい。全部俺がやるんだ。いいから、俺がやるんだ」

 孤独王はもう集中しきっている。アイは手が出せなかった。それからタニシの女神のところへ行って、ゲームを借りようと思ったのだが、彼女は留守にしていて、さらには井戸の女神もタニシの女神と一緒に出かけていると聞いたので、彼女とも遊べない。タイガーデニッシュもジェニファーにいじめられていてアイの話を無視した。ライオンは目を覚さなかった。

 アイは気がつくと森へきていました。あまりにつまらない一日だ。ただ歩くばかりで、なにもせず、葉っぱをちぎったり、枝を折ったりしながら歩いていると、森の女神の歌が聞こえてきた。

「そうむやみに〜、葉っぱを千切っては〜、だめよ〜♪」

 アイは森の女神に言った。

「ぜんぜん楽しくない」
「何かの巡りが悪いのかもね」
「めぐり?」
「そう。めぐり」
「森の女神は楽しいの?」

 すると、森の女神はアイに木の実を渡した。小さな赤い木の実。

「これ、私が作ったのよ。そうね、アイも何か特定の趣味を見つけるといいかもしれない」


 アイはお腹が空いたので帰ることにした。ポッケいっぱいにもらった木の実をちょこちょこたべながら、左川にかかる橋を通る。そこには釣りの女神がいた。

「やあ、釣りの女神さん」
「なんだ、アイか。どうしたね」
「趣味が欲しくって。釣りって楽しい?」
「やってみるかい」

 魚を釣ると食べれるらしい。
 アイは釣りの女神から釣り竿をもらった。
 釣りの女神はアイに釣りを教える。気を落ち着かせて待つこと、浮きが沈むと力強く引くこと。だが、せっかちなアイは釣竿を盛んに動かしたり、立ち上がって川を覗きこんだりした。

「そんなに動くもんじゃないんだけどな」
「釣れるかなー」

 と橋の端に爪先立って、釣竿を聖剣のように空にかかげている時だった。魚が針にかかったのか、強い力で糸はピンと張った。気を抜いていたアイは、なすすべなく、川の中へ落ちてしまった。大きな音が鳴って、大量の泡が、アイを包んだ。白い泡。うるさい泡。人をのみこむ冷たい泡。
 自分の釣竿を使って川に流されかけた釣竿を取り戻した釣りの女神は水面をのぞきこむ。しかし、そこにもうアイの影はない。


 アイが目を開けるとそこには川の底の世界が広がっていました。
 口から空気が溢れた。視界がだんだん狭く、暗くなってきた。

 白い人魚がアイの元へと泳いできた。溺れて何もできないでいるアイを引っ張って水草からはがすと、そのままより深い底へと連れて行った。その途中、とうとう最後の空気が小さくぽこりと口から出て、白目をむいたアイの口に、人魚は力づよくリンゴにかぶりつくかのようにキスをした。次の瞬間、目を覚ましたアイは水中で息ができるようになっているのだった。

 川の底には「川の底の神」がいる。からだは大きく太って、顎には黄色い無精髭を胸まで生やしている。自堕落な老人で、いつも巨大な苔の椅子にすわって水草を食べてばかり。アイが連れてこられると、ザリガニのような下半身をがさがさとうごめかせて座りなおした。なにか少し怯えているような、怒っているような、それとも喜んでいるような、落ち着かないようすであった。

「何しにきた?」
「理由があってきたわけじゃないんだ。釣りをしてたら落ちちゃって」

 アイは答えた。

「ふん。バカにしおって。お前、人間だろ。おいみんな、地上の存在さ。どうだ少年、見てみろ、ここにいる魚や、エビたちを。みな神が来たと思って怯えとる。ちがーう!!! わしが神じゃああ!!! そうじゃろ。まあ、それはそうとして、なぜお前を神だと畏れているか、恐れわずらっているかというと、それが魚の運命に結びついているのだ。つまりな、こいつらはときに餌が浮いていると思って食いついたら天へ召される。そうだろ。そして、その恐怖、天災、その不条理に、こいつらは地上の存在を 神 とするとこで精神に折り合いをつけたのじゃな。なあ、人間よ、おれはお前を生贄にする。魚の精神の解放のための生贄だ」

「殺すってこと?」

「そうするかもな。いや……お前をお食わせろ」

 アイはおどろいて部屋一面を見回した。とても広いとは言えない。水色の岩をけずって造った柱や床。芸術的にきれいに整えられた水草。護衛のエビたち、可憐な人魚たち、タコ。彼らみなも川の底の神の言葉に動揺したらしく、アイの身体をじろりと観察した。

「おいしくないよ……たぶん」
「なら魚にあゆ追従するのだな」
「どういう意味」アイは隣にいる人魚に聞いた「さっきからむずかしいこと言うよね、この人」

「たぶん、魚の部下になれ、みたいなことだと思います。魚世界は階級が厳しいとはよく言われることですので、おそらく神様がおっしゃることも、そのおような上下関係の話かと」
「上下関係が重要なの?」
「そうだ!」と神が答えた。「何か貢物でもないのかね」
「これとかどう?」

 アイはポッケから赤い木の実を出した。

「なんだこれは?」興味津々な神。アイが説明すると、神はおそるおそる大きな指で木の実をつまんで口に放り込んだ。そしてすぐ反応した。身体をのけぞらせて、口から泡をぶくぶくと吹いた。

 わぁ、と魚たちがどよめく。エビは尻尾を巻いた。人魚がアイからたじろぐように遠ざかって、それkら視線をすぐ神の方へと動かすとそのまま神の元へすいすい泳いだ。

 そのときだった。
「うんめ〜〜〜」と神が起き上がった。「うめえうめえ」とよだれを手の甲で拭きながら。

「まだあるよ」とアイはまたポッケから木の実を取り出す。こんどは神の他にもエビや人魚たちもそれを食べ泡を吹いて倒れた。一連の流れを見ていたタコがぷちぷちと音を鳴らしながらよってきて「それなんの実」と尋ねた。

「森の女神が新しくつくった木の実だよ」
「ふーん」

「それだ!」と神がまた目を覚ました。「それを定期的にここへ持ってこい。いや、待てよ、ちょっと待っとれ」と神は人魚を揺り起こして耳元で何かをつぶやいた。人魚は追われる魚のような素早さで廊下へ消えていった。
 人魚が帰ってきたとき、その手にはカニが乗っていた。

「これは時計仕掛けの蟹の子と言ってな、望むものをなんでもくれる。さあ、これをやろう。ただしな、少年よ、毎日一つその赤い森の木の実をこの子にやるんじゃ。毎日一つじゃぞ」

「ひとつでいいの?」

「残念ながら、一つだな。でも定期的にここへこさせるより、毎日一つ欲しい。一気にもらってもこの様子じゃ、その日のうちに無くなりそうじゃ」

 たしかに周囲を見ると、まるで阿片窟のようにみんな床に倒れている。

 アイは時計仕掛けの蟹の子を受け取ると人魚にひっぱられ水面まで泳いだ。川のから上がると、地上はもう夜になっていた。


 次の日、アイは森へ行き、赤い木の実の木を見つけてもぎとった。夕食の後、木の実を一つ蟹の子にあげる。すると時計仕掛けの蟹の子の目がにゅっと伸びた。「ゼリーが食べたい」とアイは蟹の子に言った。すると、蟹の子の口からぶくぶく泡が出てきて、その中の一つにゼリーが入った泡があった。

 アイは泡の中からゼリーを出す。一口にすら満たないほどの小さなものだったが、確かにゼリーだった。それを食べたあと、アイは蟹の子に色々欲しいものを言ってみたが、もう泡はでなかった。

 次の日も、アイは蟹の子に木の実をあげた。そしてプリンを頼むと、泡を吹きその中にプリンがあった。

「けれど、心もち昨日のゼリーより大きくなっている気が」

 次の日も次の日も、アイは蟹の子に木の実を一つ与えては、欲しいものをもらった。たしかに、機械仕掛けの蟹の子は、すこしづつ成長していた。


 アイは蟹の子で「とてつもなく面白いゲーム」を出して、そのゲームに必死になっていた。すこしやりづらい。指先でどうにかプレイするほど小ささなのだ。が確かに面白く、小さな画面に食い入るようにして遊んだ。その熱中は少し行き過ぎ、クァシンが一緒にゲームをしようとやってきても、ワルワルの女神が少し手伝ってほしいことがあるとやってきても、村や町からいろんな人がアイに用事があってやってきたが、彼はそのすべてを無視して遊んだ。

 そしてその熱中のあまり、ついに彼は蟹の子に木の実をするのを一日忘れてしまったのだった。

 気づくと時計仕掛けの蟹の子は大量の泡にまみれていた。アイは慌てて溜め込んでいた木の実をいくつもつかんで、無理やり蟹の子の口に押し付けた。蟹の子は受け付けない。それでも力づくでやっていると、とうとう蟹の子は破裂してばらばらになってしまった。殻と歯車が泡の中に散らばった。それと同時に、蟹の子に出してもらった、極上プリンや、組み立てロボットや、高級ティッシュやゲームなどが全て消えてしまった。



 アイは落ち込んだ。

「僕は一体、何をしていたんだろう」

 消えてしまうと今までのことが、本当の幻のように思えた。彼は気分を入れ替えるために部屋から出て歩くことにした。このところ巨大樹の根から一歩も出ていなかった。部屋も散らかり放題。

 彼は外へ出た。そして目を疑った。

 今までに見たことないくらい川の水が増えていたのだ。

 ワルワルの女神が、忙しそうに走り回っていた。そして彼女はアイを見つけると言った。

「ああ、やっと出てきたのね。大変なのよ、川が氾濫しちゃって」

 彼女は馬に乗って川上へ仕事をしに行った。

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