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みどりちゃん u4
空調の音が耳にはいった。
また目が覚めて、今度は清潔な図書館のベンチに寝ているのに気づいたとき、果たしてこの頭にあるおぼろげな恐ろしい映像は本当かどうかと疑った。ここはどこかというと、わたしは知っている。わたしがはじめて謎謎くんとあったところである。馬鹿みたいな言い方をすると、謎謎くんとはじめましてをした場所である。けれど、謎謎くんもいなければ、丸植さんの笑い声もしなかった。
しかしすぐに、扉があく音がしてそこに重なるように、足音がこつこつと近づいてきた。
「気がついたかい」
謎謎くんであった。
「外へ出よう。ここは本当はもう閉まっているからね。早く出なきゃいけないよ」
まったく、安心安全の謎謎クオリティーである。
彼はわたしを川に挟まれた大きな公園へ連れて行った。図書館からでて道路を渡ると橋がある。その向こうに暗い暗いもう森ともいえる木々しげった公園が待っているが、わたしたちは子どもが駆け回るための芝生の広場が一望できるベンチに座った。もちろんのこと、夜中の九時にもなる現在、人なんて一人もいなかった。木が風に深い響きを(——描写が面倒くさいので、各々想像してくださいまし)
そこへ行く間に、わたしは気を失うまえにみたおぞましい話を、わたしに云える範囲の言葉で謎謎くんに伝えた。その話が終えるとどうじにわたしたちはベンチに座った。
「まったく、君はフィクションの女の子だね」
「フィクション? わたしが見たのは、何もなかったの」
「違うよ。たぶん、あったんだろ、その部屋も丸植という男も。でもね、その部屋の景色といい、男の表情といい……だよ」
「嘘じゃないもの」
「嘘だとは云ってないよ。でもね、君はそうやって、頭の中で、あれはこうだとか、これはそうだとか、苦しいだとか辛いだとか、そういうのがフィクションだというんだよ。見てごらん」
と彼は両腕を広げた。すると、さっきまで暗い公園だったここが、明るく色鮮やかな、シャボンの浮かぶ魔法の国へと。
なることもなく、何の変化もなかった。暗い公園のままだった。どういうことかと彼に聞くと、
「いま君は、僕と公園を見たでしょ。それが本当なんだよ」
「ううん」とわたしは首をふった。「何を云ってるのか、わからない」
「わからない、そればっかりだね。君は、わからないと云ってればいいと思ってるんだ」
「だって、わからないんだもの」わたしは思わず声を上げてしまった。「それもわからない。なんで謎謎くんが『わからないと云ってればいいと思ってる』なんてことを云ったのかもわからない。なぜそんなこと云うの」
謎謎くんは何も答えなかった。わたしはそのせいで、次の言葉を続けたのであった。言葉というより、意味のない質問をぶつけるみたいな、不躾なものであったが。
「わたしはね、何もわからないの。なぜクラスメイトのみんなが、ああやって楽しそうに話してるのかとか。何を話してるの。何が楽しいのかも知らない。なぜみんな学校に行くの。学校でなくっても勉強はできるでしょ。しんどくないの。働かなきゃいけないのもわからない。そう云うことをしなきゃ、わたしは生きていけないの。本当にそうなの。わたしはどうやればいいのよ。生きていけないじゃない。何もわからないのよ。全部が全部。わからないのが本当。なぜみんなわかっているみたいに、過ごしていられるのかが、わたしには不思議でしかたない」
「それは君が弱いからだよ。何もしてこなかったからだよ」
「ほんとうにそう?」
最後はもう搾りかすのような声であった。謎謎くんは「冗談だよ」とわたしに負けずか細い声で云った。
「風に当たるといいと思ったけれどね。涼しくなるかと思ったけれど、そうではなかったかな。そうだ、彼は病院へ運ばれているよ。タキくんと云ったね」
「あなたが全部やったの?」わたしはもう、すっかり正常に戻った、普段のわたしの声で尋ねた。
「何がさ」
「事件のこと。お兄ちゃんに指示をしてるの」
「でもね」
「でもねじゃあないよ」
「ごめんね。でも、僕はみどりちゃんに気付いてもらいたい事実があるんだよ」
「全然わからないよ」
「わかった。もう終わりにするね。けれど、じゃあ最後の仕事だけ、すぐに済ませてしまうよ。それと、指示はしていないよ、何もね。教えたことが一つあるだけさ。それもとても間接的に……ごく当たり前のようなことを云っただけだよ」
もう時間は九時半を過ぎているといったところであろう。
わたしと謎謎くんはいいかげん別れた。謎謎くんは何をするのか知らないけれど、わたしは急いで帰らなくてはならなかった。兄が帰ってくるからである。それまでに、マンションの兄の部屋で待ってないといけない。
わたしは公園から走って帰った。わたしの息が保てば、十分くらいで着くだろうと思ったが、十歩走っただけでもう歩いてしまった。走り慣れていない人間にとって、走るという行為は、大変、事件である。それでも、久しぶりに走ったな、という感動はあった。ちょうどわたしがマンションへ着いたと同時に、兄のバイクもやってきた。
「みどり、出かけてたのか」と兄は云った。わたしは何も答えなかった。兄はわたしを持ちあげて、バイクへ乗っけた。そしてバイクを走らせた。わたしはまた、落ちないように兄にしがみついた。きょうだけでもう三度目のバイクなので、慣れたものであった。
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