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みどりちゃん t4


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 それからの数日間、わたしは何もせずにすごした。ハンバーグをちびちび食べたり、水を飲んだりの昼なかがいつともなく過ぎ、というより実は昼間は寝てしまっていて、午後にもいたるころに起き出し、夜中をテレビなんかを見てすごすことに費やしていた。

 母はそんなわたしを心配して声をかけたが、母や父の前では、できるだけ明るく振る舞っていたわたしであった。けれど、そのわたしの心についた闇というか悩みみたような生への無感動を気に病みながら過ごしている風はなおさらであった。夕方に寝たり、朝に寝たり、昼に寝たりと、自由、風ままな生活を自堕落に送ってしまっていたが、母はそれに合わせて食事を作ってくれた。

「またいつかペースを取り戻しなね」

 と云ってわたしに唐揚げと卵のどんぶりをくれたりした。

 きょうは一度朝に入ったから、そのあと少し眠ったけれど、それだけだから、今晩は入らなくても大丈夫かな、と風呂勘定をしながらの生活を持った。

 そんな日々に、わたしはよくテレビの前に座って時間を過ごしたけれど、あるときのこと、わたしは母と二人で昼ごはんを済ませた後の時間を、そうやってテレビの前で過ごしていたが、そのときの映像には次に天皇になられる皇太子さまが映っていて、きょう一日の仕事を見せてくれたのであったが、母はそれを見終わったあと知り合いの家に用事に出かけ、残ったわたしはまだ点いたままのテレビを観るともなしに見ていた。するとあるニュースが流れた。それには角にギンジくんの写真が映されていた。何かというと、彼が遺体として発見されたのである。わたしは、座ったまま腰を落としたようであった。「うそ」と虚に入るような声が漏れた。それからわたしはどういう考えかお風呂に湯を溜め、それにつかって、ぽろぽろと涙をこぼした。父が帰ってくる頃にわたしはバームクーヘンを残していたが、父は「起きてるじゃないか」と云って、わたしは「うん」と答えたのであった。

 そういうことがひとつあった。

 そして日は過ぎて行ったのである。

 きがつくと朝になっていて窓は霧でくもっていた。

 わたしは紙に書かれた短いことばの並ぶのに目を落とした。わたしは詩ともならないような詩と、ある小説を書きかけていたのであった。

 この夜は、ペンを執りすこしだけ書いたのだ。紙が湿気でゆがんでいる。

 けれど、おかげで少し持ち直したように思える。やはりわたしの血に余るエネルギーは出しておいたほうが、健康なようである。

 わたしは机の前にいたまま、後ろに倒れるように寝転んだ。そうすると、床の遠くにこのまえ本屋さんで偶然買った本を見つけた。匍匐前進してそこまで行くと、袋から本を出して(深閑とした朝は、音が響くので、袋の音がシャカシャカならないように神経を張って取り出した)その本を開いた。

 何やら地球のことが書いてあった。地球ができてからそこにいた少年の話。

 少し読んだだけで、わたしはその壮大な美しさにびっくりした。わたしは、もしかしたら、こういうのが書きたかったのではなかったか。ふとそう思うのであった。こういう神秘にかかった話。わたしがこの本を、いま手に取ったのはいろんな因果が結ばれた偶然である。この奇跡を感ぜずにいられようか。どうですか、皆さん。そうでなくっても、わたしの書くべき小説に、この本にあるような少年は、必要であるように思う。参考となるべき本に巡り合えたことに、わたしはどこか浮かれるような気になった。

 わたしは膝をついて立ち上がり、ピンと背筋をのばした。

 へやをでるとわたしはキッチンで水を飲んだ。そしてシャワーを浴びて、そこでもシャワーの水を飲んだ。それから、お風呂から上がって、歯を磨いた。そしてうがいで口のなかをすすいだあと、ささっと水を飲んだ。新しい服に着かえてからわたしは、外出の準備をする。それというのも、わたしはさっき自分のノーをひらいて眺めていたけれど、そこにある単語を見出したのでる。それは何かというと「水族館」という、いつかの思いつきで記したものであった。いくら記憶の浅いみなさんでも、わたしが先日ある人から水族館のチケットを受け取ったことは覚えていらっしゃるであろう。それと合わせて、わたしはそこへ行かねばならないという直感を得たのである。それに、そのチケットの期日というのが、一週間あって、その最後の日がきょうなのだ。きょうまでにあのチケットは使わなければならないのである。

 このチケットは使わないと思っていた。まさかこうやって息を吹きかえすとは。

 わたしは二枚ある(彼の皮肉つきで)そのチケットを財布に入れて、その財布を鞄にいれて、それから本も鞄に仕舞い、ハンカチも放り込む。あとは鏡で顔を見るやら、靴下を履くやら、ペンダントを首に巻くやら、外出準備を整える。そしてもうそろそろ限界なので、ここで一度トイレに行き、それから家を出た。

 朝の中の朝だった。霧っぽい道を、泳ぐように……じゃないね、ジャングルを探検するように……というのも少し違う、夢の中を歩く……くらいで合格かな、そう、夢の中を歩くみたいに歩いていた。というのも、妙に頭がすっきりと清涼に冴えていて、体も重くない。景色も朝の霧に包まれて、どこか神話の世界の感じがした。

 あまり遠くが見えないので、近くに見える看板や、道の線をみながら歩いた。

 自慢ではないが歩くのが好きなわたしは、久しぶりの外ということもあって、勢い余った歩きをしてしまった。車の通りがちっともないので、車道の真ん中を歩いてみたり。右に曲がって、右に曲がって、右に曲がって同じところへ出てみたり。土手を降りる坂をゆき、少年用の小さな野球グラウンドでアイススケートのような演技を見せたり。それから草の中を太い茎を踏み踏み歩いて、レベル上げをした。

 舗装された道へ舞い戻り、橋を渡って、あとはまっすぐ駅まで歩く。その道中わたしはある失敗に気がついた。こんなに早い時間に、果たして水族館は空いているのか。まだ太陽が半分のぼったか、あるいはのぼりきったかも……くらいの暗い時間である。開いていないかも。それはわからない。けれど、わたしはとりあえず、電車は動いているので、電車に乗って行くだけ行こうと思った。開くまで近くで待てばいいのだ。

 切符を買って、改札から入り、誰もいない構内でわたしは電車をまった。

 鉄の線路には水粒が浮き、小石がぎっしりあたりを詰め、ちょっとした隙間に雑草が挟まってはえる。わたしはそれら静かにこの世界におりた風景を心にとめながら、その胸の内に小さな暗い炎を灯していた。

 ベンチに座ったわたしは、床を足でとんとんと鳴らして、この場所とわたしが一緒にあることをかくにんした。それでもこの不安な心は治らなかった。この駅だけでみても、陽のあたるところと陰とがあるように、心や事実の何においても、それらはあるのだろう。

 時計をみると止まっているようにみえたが、根気よく眺めるとカチンと針は動いた。

 それから、霧の奥から少しずつ、きっきっと高い音や、そこに混ざるようにだんだんと低い音がやってきて、それらは糸が結ばれるように一つになると、電車が現れた。

 ほんの数人しか乗っていないさまは、まるで過疎化した……は野暮なので、まるで歯抜けの巨人の口の中みたい……というのもちょっとかわいくない。まるで……まるでわたしの知識量……ってコラ!

 とまあ、ちょうどいい例えの思いつかないうちに到着した駅にもまた、誰もいなかった。アガサクリスティーもこの景色には膝を落とすだろう。「そして——」も何も、起こりようがない。元から誰もいなかった。

 ここでわたしはアガサクリスティーが生前云ったあの言葉を思い出した。

『ちょっと、お腹が空いたかも』


 さて。

 わたしは昨日の晩ご飯からずっとおきているのに、まだ何も食べていないことを思い出した。それと同時に、不思議に、全くお腹が空いていないことにも気がついた。

 そこから五分ちょっと、大きな道を歩いて、わたしは水族館へ到着した。

 ——ちなみに、アガサクリスティーのあの言葉は、わたしが勝手に作りました。騙されましたか? 何かいい言葉に見えましたか? 『ちょっと、お腹が空いたかも』

 アガサクリスティーになりきって、とぼけた口調で、ぽっと云うのがコツです。わたしの創作ですが、多分本当に、一度は彼女が云ったことのある言葉でしょう。


にゃー