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休肝日的なやつなのか、はたして

休肝日とかいう面白い言葉。
まず語感がいい。口なじみがある。加えて、この一語にその日以外の生活が明らかに見えるのもいい。

どうやら現在わたしは休肝日的なものを過ごしているらしい。
アルコールではなく、エクリチュールにまつわる休みである。
ホロライブにハマって以来、読書時間はガクッと減ったが、学校が始まり読書離れはいよいよ進んだ。

こういう日々が数週間と続くと不思議な変化が起きる。
本を開くと同時に眠たくなるのだ。わたしにとって珍しい反応だが、これがここ数日「久しぶりに読むか」という気持ちで本を開いて、何度も瞼が落ちてる経験をしたし、度々居眠りをしさえした。

いやはや生活の経験をというものは積んでみるものである。
「本を開くと眠たくなる」という人に深く頷ける。今までは、本を開くと目が覚めていき、不眠症になってしまう原因とだけ恐れていた。眠たくなる派に入るとは思ってもなかった。

新しい経験もいいが、困ったことは本が読めなくなることである。
文章が脳に入る感覚が今は極めて薄い。言葉を意味に変換して、内容を理解しながら読んでいる感じがする。時折言葉をそのまま読むには読むが、意味に変換されず何も頭に描かれない。これだと読書に時間がかかり、その割によくわからないので眠たくなるのである。

離れると下手になる、というのはどの分野にもあることだが、これに関しては何となく、バッティングセンターに久しぶりに行ったり、数年ぶりにギターを引っ張り出して弾いたときのあの不器用さ、記憶の自分の体の動きが幻想となってわたしの前を動き、現実の体が不恰好にそれを真似しようとして失敗する腕の鈍りとは別なものに思える。
もっと根源的に、体の中の「読む」という臓器を、一度不要物として排出してしまったような、分解して消化してしまったような感じがする。

また本を読むとなると、一から作ることになろう。
栄養をとり、休息を入れながら、少しずつ読書に慣れていかねばならないだろう。

『よみかけ』と題して続けているこのシリーズがこんな展開を迎えるとは想像だにしていなかった。
読書だけは世界が揺らいでも変わらずし続けていると思っていたからだ。
能力は衰えたが、やはり心のどこかに本を読む生活に対する憧れがあるというのが一抹の救いだろう。

これからどのくらい続くかわからないが、『よみかけ〜リハビリ編〜』の開幕である。

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