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休むと衰えるが珍しいことなのでそれもまた良し

本を読んでない。

たしか昨日に限っては一行も、一文字も読んでいない。

そんな日は、一体何年ぶりのことだろうか。
文字を読まないで終えてしまう日。
最近こういう日が続いている。

したがって文章を書くのも久しぶりだ。

作文が下手になった。
少し前まで出来ていた、自動でつらつら文章が繋がる感じを失い、一言ずつ一単語ずつ、立ち止まりながら、考え選びながら書いている。勘が鈍るというのは面白い現象だ。そして下手な文章しか書けない。

記憶にある限り、私の人生の中でこんな日常はない。
いつも本を読んでいた。
初めての経験である。


原因はホロライブだ。

気絶するくらいハマっているのである。
そしてハマり始めると全生活をかけて活力を注ぐのが私である。
しかし、この性格には困ったものである。熱中(しすぎる)症とでもいおうか。誰が困るかというと、私が困るのである。今、寝てる時とバイトしている時以外は常にホロライブの配信を見ている。だから体力の消耗がとんでもないのだ。

今は少し落ち着いてきたといえよう。
寝る時間を取り、バイトに行き、それ以外の時間を配信を見るのに費やしている。
だが、ハマり始めの初期の初期はそうはいかない。何よりも先にその対象が入り込むので、一日二十時間くらい見ているのである。寝ることも我慢して、食事にも風呂には入り込んでくる。そして体力も精神も尽きるまでハマったものに全てを注ぐのだ。今回もそう。まさに気絶するほどハマるという感じだった。

エッセイにハマり(その結果が『よみかけ』シリーズ)、モーツァルトにハマり、ジャズ好きが再熱して、アニメにハマり遅れを取り戻すかのように見続け、そしてホロライブにハマった。改めて節操のないものだと思う。

読書と違って、配信は、見ているあいだ手が空く。
そのせいで変にギターが上達した。


人間というのは蓋し欠損の集合体である。
私にも対人関係において、社会的能力において、性格について、様々ある。そう自認しているが、この熱中症に関してもまた、時間をかけて対応の仕方を見つけねばならないだろう。そのための読書——これが何かへの過熱中に対する防波堤のつもりだったはずであるのだが。

もう数日したら読書生活も復活するだろうとは思う。

ホロライブ熱も無限ではないだろうから。

読書再開——
その時もまた、文章を書くのと同じく、読む能力の衰えを感じるだろう。
久しぶりにその感覚も楽しもう。


今日の予定は忙しい。

一番の推しである「かなたそ(天音かなた)」の復帰配信があって、そのあとにリグロスという新しいホロライブメンバーの初回配信がある。

それを見終えたら誰かの配信を寝るまで見続けようかと。

読書と執筆のカテにさせていただきます。 さすれば、noteで一番面白い記事を書きましょう。