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6 小僧の女神様

その子はいつものように河原で石を積み上げています。芸術品のように積み上がった石の塔……。
そして大人が来て、蹴散らすのです。

その子の名前はバベル。

彼は石を積み上げることが何よりも好きでした。
だから朝、父親から「仕事の手伝いをしろ」と言われるよりも早くに家を出て、河原へ行くと、そこで一日中石を積み上げるのです。

彼は平べったいパンケーキのような形の石を拾いました。
そしてそれを横にではなく縦にして、さっきまで積み上げていた石の塔の上に、見事に重心を見つけて積み上げたのです。

「すごいや」
とこれにはアイも驚かざるをえません。

「そうでしょ」
とワールドザワールドの女神は誇らしげです。
彼女はワールドザワールドの中にいるすべての人間が誇らしいのです。

「どうやってやるの? アイもこれつくりたい」

アイがやっても、どうしたって三つ目で崩壊してしまいます。

「この世界は線でできているんだ」

バベルが暗い声で言いました。

「線?」

「線が集まってできている。石の中には、中心の赤い線があって、縦に、ずれないように、全ての線が一直線になるように、……積み上げていけばいいんだ」

「アイにも線はある?」

「あるけど……ブレブレだね」

「そっかー」

そんな二人をワルワルの女神は少し離れたところで腕組みをして眺めながら微笑んでいます。

「ともかく、彼にしか見えない世界があるみたいね」

白いロングドレスを着ているから、アイの倒す石の塔に汚されたくないのです。少し遠くから声を張って言います。

「そうだね!」

とアイは答えたのでしたが、そのまま彼はぼーっとワルワルの女神の方を眺めました。

彼女の隣に、アイも見たことがない謎の片目のおじさんが、ワルワルの女神のために日傘をさしているのです。左目を布で隠しているのです。さっきちらっと聞いてみると、怪我で失明したとワルワルの女神は説明したので多分そうなのでしょう。
さっきから何を喋るわけでもなく、ずっとワルワルの女神に太陽が当たらないよう傘をさして、ついて回ってるのでした。

「彼が彼の望むように生きられないことは、このワールドザワールドにとって損失だわ」

バベルについてです。ワルワルの女神は、バベルのことを気に入っているようでした。
しかしワルワルの女神がそう言った、そのときでした。

「いったい、またこんなことをしてるんかぁ、馬鹿ものぉ!」

男が、がなりたてながら土手を駆け降りてきては、石の塔を次々に蹴散らし始めました。

「ちょっと、何をするんだあ!」

アイは静止させようと、男の方へ駆け寄りました。
しかし男はそんなアイに対しても怒鳴ります。

「こんなことして何になるんだ! ええ? 答えてみろ、馬鹿息子!」

「ばかむすこ?」

馬鹿息子というのはアイに対して放たれたのではありません。
そう。やってきた男は、石を積んでいるバベルの実の父親なのです。

「早う、帰るぞ。いつまでもこんなくだんねえことしてないで、仕事するんだ、お前は!」

バベルは硬直したようになって、黙って下を向いています。

父親はバベルの腕をひき、無理やり連れ帰ろうとします。

「だめだよ」とアイは間に割って入りました。「彼はこれをするのが好きなんだ」

「好きだからとかどうとか、関係がないだろ。仕事をしてもらわなきゃウチだって倒れる。ウチはな、先祖代々水筒作りで続いてきたんだ。だからいつかはこいつにも継いでもらわないと困る。三十五にもなって、河原で石遊びなんてしてる場合じゃない」

「じゃあ」とアイは手を離して腰に当てると、グッと張り合うように胸を張りました。
「僕が水筒作りを継ぐ!」

男は考えて、「それならいいだろう。でもお前が一日でマスターしなければ、その話はなしだ。水筒作りはな、才能がいる。できない奴には一生できない。できる奴にはできる」

「わかった」

「ならついて来い!」

「はい、師匠!」
乗りやすいアイは、もうノリノリになっているのでした。

「水筒作りは苦手なの?」

二人きり(+謎のおじさん)になったときワルワルの女神はバベルのそばへ行って聞きました。

「パンガムを作りたいんだ」

「パンガムって神話に出てくるパンガムの塔?」

「そうです」

「あなたにはあなたにしかない才能があるわ。安心して。何があっても私があなたの独自の仕事が続けられるように計らうから」

「線を自分の手で崩すのは嫌だ」

「水筒作りは、線を崩すことになるの?」

「そしていつかは穴が開くんだ」

「あなたには向いてないということね」

それからバベルは黙ってしまいました。口をつぐんだまま、黙々と石を積み続けました。

ワルワルの女神はしゃがんで小石を一つ摘みました。(おじさんも合わせてかがみます)
物思いのため息を一つ落とすと、すぐに、
「アイ、大丈夫かしら」と言って立ち上がったのでした。

一方その頃、アイは放り出されていました。
玄関先で尻餅をついて、バウンドしました。そして彼が作った大量の失敗品が後から投げ出され、アイの周りにバラバラと散らばりました。

アイは一つ持ち上げてみてみました。
ひょうたんです。
そう、水筒というのは、ひょうたんをくり抜いたものに他ありません。
アイの作ったそれは、飲み口の部分がかけていたり底が突き抜けていたりしました。

ワルワルの女神がやってきました。
「どう?」

アイは水筒を見せました。

「そう」

「バベルさん、どうすればいいんだろう。僕、力になれなかったよ。どれもこれも失敗ばかり」

「そんな、誰でもできるようなものじゃないからね。アイに全てを任せる世界なんてよくないわ。みんながみんなの立場を持っているんだから」

「でも……」

二人でひょうたんを拾っていると、家からバベルの父親が出てきました。
「あいつは、どこへやった。なぜ連れて帰らなかった」

「もう少し待ってね。私が何とかするから。水筒作りの後継だって、今まさに必要なわけでもないでしょ。気を長くね」

「ふん。俺だって、空から降ってきた亀にぶつかって明日死ぬとも限らない。なぜそんなことが言える」

「急いだってしょうがないことはあるのよ」

「急がば回れ!」とアイも口を足しました。

バベルの父は腰につけていたひょうたんをワルワルの女神にひょいと投げました。
「明日までに見つけてこい」

これは後継者になる才能のあるものを明日までに見つけてこいということです。ワルワルの女神が受け取ったのは、まだ穴を開ける前の新品のひょうたんでした。これを使って、一発で水筒作りを成功させる者がいたら、バベルの父親も無理にバベルに仕事を継がせようとはしません。

アイはさっそく、器用な人を探してワールドザワールド中を走りました。

「どうしたのアイ?」
クァシンは読みかけの本に指を挟んで、扉を叩いたアイの方へ振り返りました。

「ひょうたんをくり抜いて水筒を作れる人を探しているんだ」

「器用な人が必要なんだね」

「そう。アイがやったけど全然だめだった」

クァシンは笑って言いました。「そうだろうね」

「クァシンはできる?」

「僕には興味がないからね。……糸工場に行ってみれば?」

「そうか! 器用な仕事をしている人に頼めばいいんだね」

アイは糸工場を訪れました。
糸工場は、村の北西の位置にあります。
その工場は見た目が面白くてアイは好きでした。昔、よく見に行ったものです。

灰色の寝転んだ羊のような形をしています。顔の部分が扉で、もこもこの部分に窓が点々とついています。
中には三十人の女性やこどもが働いています。

アイが中へ入ると、すでに工場長とワルワルの女神が話しているのが見えました。

ワルワルの女神は肩を落とすと振り返ってアイに気づきました。

「だめだったわ」

「そうなんだ」

二人は工場を出ました。
糸工場の扉の横にはあの片目の謎のおじさんが待っていました。
ワルワルの女神が出てくると、すかさず傘を開けて、陽が当たらぬよう彼女の上へかざしました。

「ありがとう」
とワルワルの女神。

「ねえ」とついにアイは聞いてみました。「このおじさんって誰なの?」

「あれ、説明してなかったかしら。彼ね、仕事をなくして外国からやってきたの。暇だから何か仕事くれって出会う人ごとに頼んでたみたいで、いまは私の対日焼け係をしているわ」

「ねえ、おじさんって、器用?」

「そりゃあ、俺はもともと半導体を組み立てる仕事をしていたからな」

「じゃあ、水筒も作れるのかもしれない」

「あら」と口に手を当てて驚いたワルワルの女神は、日傘を受け取ってひょうたんとのみを渡しました。

おじさんは受け取るとすぐに、くいっくいっとくり抜いてゆきます。
どうでしょう。
見事に器用にくり抜いてしまいました。口を欠けさせることなく、穴を開けてしまうこともなく、水筒を完成させてしまいました。

これにはバベルの父親も喜びました。

「一件落着だね」
とアイは喜びました。

「そうね。よく思いついたわね」

「ふふん、これはもう才能だね。僕には事件を解決する才能があるんだ!」

「そうね」とワルワルの女神も微笑みました。

そんな彼女にアイはふと思い出し、聞きました。

「ねえ、ワルワルの女神。さっきおじさんが言ってたハンドウタイって何?」

「いいえ、私も聞いたことはないわ。きっと外国語なんでしょう」

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