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25 WDC・・・Worldtheworld Dog Community[ワールドザワールド犬共同体]

 午前11時。
 おにぎり雲が西の山に浮かぶころ。
 ドギー村の空き地には、張りつめるような血の色の風が吹きました。
 人の生活する不条理な音は遠く、ここにはただ虫の身をくねる音と、それを狙うネズミの髭の音だけがピリリと結びつきます。

 村と荒野の中間地。
 人と野生のちょうど真ん中。
 犬たちは、かつての失われた時間を讃えてここへ集まります。

 およそ50以上集まったでしょう。犬たちは、互いにウゥとかクゥンとかバフンとか言いながら、顔を合わせては頭を下げたり、尻を嗅ぎ合ったりしています。
 そこに右目が切れて閉じたままになっている大きな黒いハウンドが通るとき、ハッと気付いた犬たちのみんなが彼に道を開けました。ハウンドの後ろには賢そうな毛並みのいい背たかのっぽのコパニエル。空咳をしながら周囲に視線を光らせ歩きます。

 さて時間です。
 背たかのっぽのコパニエルがひときわ大きな咳をしました。
 するとピタリと会話をやめた犬たちは、誰彼ともなく皆ハウンドとコパニエルの方を向いて地面に腰をつけました。尻尾は右や左にくるりと巻いて。

 ハウンドが空箱の上にゆっくりと乗り上がります。

 うわぉぉーーん。とどこかの犬が鳴きました。
 すると同調して、ワン、ワンワン、ワオーンワンワン、グルルガルワン。たくさんの犬が声を上げました。
 そこに、ワン、と刺すようにコパニエルが大きく鳴きますと、前列から後方へ波のように静けさを取り戻しました。
 いよいよ、始まるのです。

「ワンワン(以下翻訳)では、始めよう」と低くよく通るハウンドの声。
「第7回人間調査研究発表会!!」

 うるさくはできませんので、犬たちは拍手をするみたいに鼻をしゅんしゅんと順番に鳴らしました。

「まずはショウタロウの家からpotti-pp」
 指揮を取るのはコパニエルのようです。

 potti-ppと名を呼ばれたチワワは前に出て犬衆の方を向きました。

「はい! 僕からの発表です。僕は毎日の彼らの習慣についてです。僕の家に住む人間のことなのですが、奇妙なことに毎日、夕食を食べた後水に浸かります。それがなんの効果を果たしているかは、今後の研究課題です」

「なるほど」とコパニエル。「しかしそれは以前から指摘されていたでしょう。それを彼らは風呂と呼び、水ではなく熱い湯に浸かるそうだ。たしか〜……kuto-ndoだったか、その風習を上位存在の支配者を想定して論じていたな」

「ええ」potti-ppは続けます。「それは人間が食糧として育てられている存在だと仮定し、人間を食う上位存在が、人間の中の細菌を殺すために行わせているのではないかという仮説だったのですが、それに対する否定を私は持ってきました。なぜなら私の家の人間は湯には入らず、水に入るからです。この中に水に入る人間を知るものはありますか?」

 すると、
「毎日川に入る事例は見つかっている」
 とどこからか声が上がりました。それだけでなく、
「毎日水を頭からかける人間も知っているぞ。遠いルルルレ町での研究だ」「そうだ。そうだ。その人間も熱い湯には入らないらしい」

potti-ppはそれを受け、したり顔です。
「そうなのです。そして、たしかにその点は取り沙汰されていませんでした。その人間も湯には入らない。ということはきっと、その水をかぶる行為が熱い湯に浸かる行為の代替として行われているのです。私はこの風呂あるいは水に浸かる行為に関して、少し違う観点から、もうひとつ、重要な事実を見つけました。……それは風呂の間にはトイレに入るのに、風呂の後のトイレは嫌がるということです」

「どういうことだ?」みながヒソヒソと声を上げます。

「ええ。なかなか理解しがたいことです。排泄はご存知のとおり睡眠・食欲と並んで生物の三大欲求に数えられますが、それを風呂前に済まそうとする。ここには以前から指摘されている、人間特有のあの信仰心なるものが関係するものかと思われます」

「馬鹿なことを言うな。信仰心なんてものは迷信で、存在しないことがこの前証明されたじゃないか」
 と跳びあがるように、熱烈に、抗議をしたのは、横で静かに話を聞いていたコパニエルです。

「いいえ、あれは十分な証明とは言えません」

「一体何のために信仰心なるものがあるのか、その理由も、必要性も見つかっていない」

「しかしなぜかあるのです」

「なぜかあるでは学問にならん。我々犬のモットーは『あるものをあるもののように正しく理解する』だぞ」

「しかし、信仰心はあるものです。まだ解明されていないからと言って、ないことにするのは強引で、そういう考えかたこそ科学に反します」

「そうではない! 信仰心ではなく、何らかの科学的必要性があって、それは……」

 茶色いチワワのpotti-ppと司会者コパニエルとの議論が白熱しかけたところで、ハウンドが喉をあげました。
「そこまで。よいぞ、potti-pp、一旦帰りなさい。情報はいくらでも保留できる」とその場を収めたのです。

 コパニエルは咳払いをし、司会に戻りました。

「ええ、次の発表は……mudkd-ari。来なさい」

「は〜い」と可愛らしい声を上げたのは、メスのパピヨンです。尻をふりふり振りながら、ダンスを踊るような足の跳ね方で前へやってきました。

「人間は、時おり立ちくらみというものをするそうです。そういうときの人間の行動はどの人も、どの状況においても一致しています。まず立ち上がった時に体の重心がぶれる、そして机なり壁なりに手をつくか、椅子がある場合はもう一度腰を下ろしたりする、そして、『今立ちくらみした』報告をする。おおよそここまでが症状であるようです」

 犬衆はみな関心したように頷きます。

「言葉というのは意識的になされます。しかし我々にもあるように驚いたとき、気づいたとき、熱かったとき、お腹が空いたときは無意識にワッと声が出ます。『今立ちくらみした』というのもその一種でしょう。ここまで長い非意識的な声は事例がありませんから研究素材として重要かと思われます」

 それからも、様々な犬が発表を行いました。

「人と人が出会ったとき、天気の話から始める。天気なんて全員そこにいれば晴れてるか雨か暑いか乾燥してるかなんてわかるはずなのに。ここにはきっと隠された意味があり、裏側の意味でやりとりをしているのだ」
 だとか、
「寝ながら本を読んでいる人を見つけた」だとか「最後に一つ残った餃子を恐れている」あるいは「どうせ浮気するのに相手を一人に決めているようです」と言う発表もありました。

 そろそろ疲れてきたのか、うとうとし始める犬も出てきました。

「えー、最後に、以前から長らく議論されていた、なぜ人間は我々にわざわざ人間の言葉で名前をつけ直すのかという問題であるが、新しい仮説が浮上した。これまで人間は我々の言語を理解していないのだろうということは学会でも大方賛成多数な意見であったが、mtva-nn博士が新たな説を提唱しました。それによると、人間は我々が固有の言語を有するとすら思っていない、とのことです」

「そんなことがあるわけない」とある中型犬が叫びます「なぜなら我々の鳴き声は人間の可聴領域内であり、かつ人間は我々より繊細な視力を持っている。我々の言語を見逃すはずがない」

「mtva-nng博士、お願いします」
 コパニエルが頭を下げました。

「ええ、私の『人間の犬に対する言語面での理解の仕方』研究の現在の所では、我々に言語がないと人間が想定していることでしか、納得のできない事象がいくらかあるのです。いいですか。まず彼らは我々に人間言語で話しかける。しかし人間同士で話す時と、我々に話す時とでそのトーンが違うことはcarr-tiop博士の3年前の指摘から検証が重ねられ、およそ揺らぐことのない事実であったが、そのトーンを彼らはまだ言語の有さない赤子に対しても用いていることを発見した。ここから、彼らが我々に人間言語を教えるつもりが幾分かあるのだと予想できる。もし我々に言語があることを彼らが認めているのであれば、多少なりともその言語を読み解こうとするだろう。それもこれまでの人間研究、わけても『人間相互コミュニティー』の中の「遠人種間の交流」分野の研究からも予測できる反応であるが、我々に対してはそれがいまだに見られない。斯様な部分からでも、この説のそれなりの確さを証明することである」

 犬衆は静まりかえりました。
 遠くで何かの爆発する音がした。人間が何かをしたのでしょう。

「これについては」と粛々とした調子でハウンドが言いました。「もっといろんな方面から議論をして行く必要があるな」

「ええ」とコパニエル「ことが言語の問題ですから、難しい。第一人間には尻尾がありませんから、その言語も貧弱なのでしょうが」そして、誰もこのテーマに対して意見を出さないと判断しますと、コパニエルは、
「ここで、先ほど後回しにしましたが、遅れて到着していました。ここで、最後にはなりますが、発表していただきましょう。名誉犬アイ。お願いします」

「はい」と犬に囲まれて一人だけ人間のアイがいました。彼は一応つけ耳だけつけているのですが、普通に二足歩行で前に出てきました。

「僕は人間なのですが、不思議に思うことがあります。それは……」

 アイは犬衆をぐるりと見て、

「それは、食べ切れないくらいご飯を持っている人がいるのに、お金がなくてご飯が食べられない人もいることです。なぜちょうどいいようにならないのでしょうか」

 今までの緊張感とは違う、スッと空白ができたか、一瞬空気が抜けてしまったような無音が訪れました。
 それから、ワンワンワンワン、キャンキョン、ケンキョウンと犬たちは笑い、また真剣に話し、目を覚めた犬は周囲を見回しました。

「それはな」とハウンドが前足の上に置いていた顎を上げて静かに言いました。「アイ、人間が自然の一部、つまり科学的な存在だからだよ」

 アイにはさっぱり訳がわかりませんでした。

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