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水をかけられて、あんなに楽しそうに笑う子は、見たことない。

生前の志村けんさんにそう言わしめたのは、
演歌の丘みどりさんだ
(先日の『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~』)。

この丘さん、志村さんにコントの仕事で声をかけられたとき、

「粉をかぶるか、水をかぶるか、たらいが落ちてくる。
そういうのやりたいんです」


と伝えたというのだが、そこには生来の
明るさとコント好きがそのまま出たような自然さがあった。

演歌を歌えると思って18歳で挑んだオーディションに合格したのに、
アイドル事務所だったため1年で断念、
専門学校で一からボイストレーニングをし直し、
大阪のカラオケ番組出演をきっかけに、
2005年に演歌でデビューするも
事務所の社長の意向でへそ出しルックで歌う日々。
そんななか母のガンが発覚し、
「仕事がない」と嘘をつきながら看病に専心、
デビュー間もない大事な時期に、一年間、看病し、
47歳の母が天国に行くのを見送る。

その母の

「やらずに後悔よりやって後悔の生き方をして欲しい」

という言葉を胸に10年、演歌を歌い続けた。
しかしヒットには程遠く、
30歳を過ぎて、普通ならこのままあきらめても仕方のない
ストーリーを生きるが、母の死以降

「これ以上、悲しいことは私の人生でもう起きない」

というポジティブな人生観が芽生えて突き進むことができた。

そして10年後の2016年に一念発起し、一人、
東京へと上京、事務所もレコード会社も移籍し一からスタートを切るのだ。
そのとき、事務所での面接で、彼女はこう言ったそうだ。

「10年う~んと休みましたので、この先、休みはいらないです」。

もちろんそこには、もう後がない決意がにじむが、
「10年う~んと休んだ」という言葉に、
自分自身の過去への決別の意図もあったのではないだろうか。
私はそこに、あたかも片肌脱ぐかのような、潔さを感じた。

このあと、「仕事ってこんなにあるんだ」と思うほど、まさに
“休みなし”の日々が続いたと言うが、
移籍第1弾シングル「霧の川」は、各賞に輝き、
2017年の第2弾シングル「佐渡の夕笛/雨の木屋町」は
10万枚を超えるヒットになった。

こうして、売れずに埋もれる歌手の典型のようなストーリーが、
正反対の結果を生んだのは、
最悪の事態を最高に変えるポジティブ思考、
そして過去に執着しない潔さ、ではないか。

丘みどりは普通にかわいい、でも、骨の髄からカッコいい。

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