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仮 笙の窟から江ノ島へ巡礼の旅 1

さて、約束の日です。私の住んでいる愛知から3時間かけての登山です。


1,約束の登山日

和佐又山キャンプ場の駐車場にて

和佐又山ヒュッテから→笙ノ窟へと登山の日です。

約束の場所で合流をして、和佐又山ヒュッテまで車で移動しました。

車から降りて、問題の岩屋に向かう途中で、いろいろとお話を聞かせてもらいました。

その会話の中で「岩本新道」のことが、いちばん心に残りました。

「岩本新道」とは、簡単に言うと、ひとつ前か。ふたつ前のご先祖さまが、

登山する人のために私財を投げ売って、山道を切り開いたということ。

あまり詳しいことは、わかりませんが、そのようなことを言っていました。

「昔のひとは、そうやってみんなのためにやったんだよ」

「誰かが率先してやらないといけないだよ」と言っていました。

先人の人たちの力というものは、凄いものですね。

そして、岩屋に向けて歩いていくうちに、

普段見かけない光景がありました。

普段、私は、都心に住んでいますが、

自然でしか見かけない動物などを見ました。

この日は、スマホの調子が悪く、

頂上までの写真は撮影ができませんでした。

2,足のない白装束のおじさん

そして笙ノ窟に到着。

着いた頃に亡くなったおじさんのことを話していたときでした。

笙ノ窟の上に、白装束の姿になったおじさんが

立っているではありませんか?

ちょうど今日は、本家のゆかりのある人が、

亡くなって49日でした。

本家と言っても、本家の大元のおじさんがなくなったのです。

少しややこしいのですが、私が呼んでいる本家とは、

この本家から分家になったものです。

その方には、小さい頃に遊んでもらい、

私もよく、帰省するたびに遊びに行っていました。

何か言いたそうな感じに見えました。

まあ。 私にしか見えていません。

「わしは大本家や」

「おまえの役目はどういうことなのか?」

「理解しているはずだな?」

「大本家は、衰退しても魂は残るんや」

「今、お前たちがいきているのは、

ご先祖さまたちのおかげだよ?」

「わかっているのか?」

「ともかく、一度、江ノ島へ行け!」

しばらくすると白装束のおじさんの姿も消えてしまいました。

こう言うと、非科学的でオカルトと思われるかもしれませんが、

実際に視えました。


視えたと言っても、頭の中で脳内でイメージとして視えていました。


こうやって、大本家の言うのも・・・


もとは笙の窟を守ってきたのは、大元の本家ですから、


そういう当たり前かと思いました。


このことを、本家の人に話していると・・・


「最近の科学では、

目に見えない世界が科学で証明できる時代になったのだから、

そういうは話があっておかしくないね」と驚いていませんでした。

3,持参した円空さんの木仏を納める

そうやって会話しながら、木の仏さんを祭壇の横に収めました。


ちなみに、この円空仏は、飛騨高山の円空洞さんで購入しました。

少し円空さんのことを紹介します。


円空さんは、この笙ノ窟でも、厳しい修行をして、


全国を渡り歩き、仏を多く作ったことでも有名なお坊さんです。


また、ご先祖様も、

円空さんの厳しい冬の修行にサポートしていたのです。


円空さんのことは、別の機会に書く予定です。


ですから、ご先祖様も円空さんと同じ時代に会っていたわけですね。


話を戻しまして、

なぜ、木仏を持ってきたのか?


それは、ご先祖様が守ってきた場所を、


改めて自分のも仏さんを納めることにより、


お守りしたいと言う気持ちでした。

いわゆる結界と言う意味でもあるのです。

結界については、別の機会に話したい思います。

また、現在、私という存在があるのも、


ご先祖さまのおかげであると思っています。


そう思うと・・偶然ではありませんが、


この木仏を収めたくなる気持ちにもなりませんか?


ご先祖様の守ってきた大切な場所に来ると、


改めて感謝の気持ちの1日でした。


それから、1年後に江ノ島へ行くと決めた日になりました。


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