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エッセイ 関東大震災で燃え残った町

 NHKの番組で、関東大震災にまつわる話でとても興味深い話を知りました。感動的であり、皮肉であり、また、とても恐ろしい話です。
 関東大震災で東京の下町は壊滅的被害を出し、10万人以上の人がなくなりました。その中でポツンと燃え残った町があったというのです。千代田区の神田佐久間町と神田和泉町です。二つの町は隣同士です。他の町の住民が、家財道具だけ持って逃げ出した(借家住まいが多かったから)のに対して、この2つの町の住人は逃げずに、協力して消火活動に努めたというのです。それには理由があって、江戸時代に火事の火元にたびたびなっていた(木場があったから。その後深川に移動)という不名誉を挽回するために、逃げずに消火に努めたというんですね。その努力の甲斐あって、町は燃え残り、そのあと他の町から防火のお手本とされたということです。
 と、ここまではいいのですが、昭和20年3月10日の東京下町大空襲の際には、大火災の中で、家を空けて逃げることを禁じられた(!!)住民の多くが焼け死ぬことになってしまうのです。佐久間町、和泉町もその時は火災から免れることはできませんでした。またしても10万人以上の死者を出してしまいました。
 アメリカは、先の関東大震災を徹底的に研究して、どうしたら効果的に住家を焼き、住民を焼き殺せるかを考えた上で、空襲を行ったということです。なんとも痛ましい話です。
 2か月後の山の手空襲では、家を捨てて逃げるように指示が変更されたため、死者の数は数千人で済んだそうです。
 地震はもちろん恐ろしいですが、それにもまして、権力の恐ろしさ、戦争の恐ろしさを感じます。
 

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