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読書感想文 『李陵』は中島敦の「戦陣訓」批判

 「生きて虜囚の辱めを受けず」。昭和16年の1月に当時陸軍大臣だった東條英機によって発せられた「戦陣訓」のあまりにも有名な一節である。「戦陣訓」は長引く日中戦争に緩み勝ちになった軍隊、国民に対して気を引き締める目的で発せられた。この一文がどれだけの日本人の命を奪ったことか。軍人、兵士は生きて降伏することを禁じられ、国民は自決用の手榴弾を持たされた。この「戦陣訓」に対する中島敦の静かな抗議が、『李陵』ではないか、と私は考える。
 匈奴に捕らえられるも、自決しなかった李陵。優れた武将であるがゆえに、匈奴の優遇を受け、自らも匈奴の文化、生活に馴染み、国へ帰ることはなかった。漢の武帝は李陵に激怒し、家族を殺してしまう。武帝に媚びることなく、ただ一人、李陵を擁護した司馬遷は宮刑(男性器の切除)に処せられる。それに対して同じく匈奴に捕らえられた蘇武は自決を図る。匈奴によって命を助けられが、匈奴に馴染むことはない。国への愛国心、皇帝への深い忠誠心を貫いて、やがて帰国を果たす。李陵の生き方と蘇武の生き方、この対象的な両者の生き方のどちらがいいのか、作者ははっきりと言っていない。また言えなかったのであろう。しかし、司馬遷が李陵を評価したということを述べることによって、作者も李陵の生き方に軍配を上げたのだと思う。昭和19年、戦争のまだ終わっていない中国で、中国語版が出版されたこともそれを証明している。
 中島敦は体が弱かったので戦争には行っていない。しかし、それだけに、自分のできる範囲で、戦争反対の意思表示をしたかったのではないだろうか。

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